ブナ林を救ったもう一人の雄は原田正彰さん(村文化財保護審議委員・故人)です。先だって鉢伏山を村指定の天然記念物にした立役者であり、最初に鉢伏山の白滝自然林の保護のために動き始め、情熱をもって各所に説得に当たった当事者でした。
トレードマークの茶色の革製手提げかばんを持って郷土史の資料を基に、村の大切な文化遺産、自然が無事守られているだろうかと、村の隅々まで足を運んでいたそうです。
原田さんのお言葉です。
「雑木(ブナ)と言っているのは、自分が木の名を何も知らんがため。名を知っとれば愛情がわいてくる。人間一人一人に名前があるように、木や草の一本一本にも名前がある。「雑木」や「雑草」なんて生き物はいないのです。」
「以前、頂上に展望台を造ろうという話が持ち上がった。私、言うたんです。鉢伏山は奥能登第二の高峰で展望がきく。なんでその上に展望台が必要か、とね。鉢伏山は観光の山ではありません、自然の尊さを勉強する山です。」
一方で原田さんは住民の反対を説得して、五十里の河内川入り口に、みずからその一部に私費を投じてダム建設をすすめました。自然保護と治水を一体として考えていました。それは戦時中に村長だった父親の存在がありました。
「父はそれまで、町野川の氾濫を止めるために、鉢伏山での製炭用材の伐採を固く拒んできたんです。しかし、時勢がそれを許さなかったのです。」
原田さんは第二次大戦後、柳田村が洪水にみまわれるたびに、戦争末期に国の力におされて苦境に立ち、鉢伏山南面の豊かな広葉樹林を切った父親への想いをはせました。
風景にはその地の人の心が反映し、また人の想いが風景をつくっていくのです。