ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅             逮捕・・・4

2012-03-30 | 1部1章 逮捕
 今回、ぼくの旅は3年目に入っていた。安定した長期ビザの収得は不可能だ。ツーリストビザの範囲内でインド、ネパール、スリランカ、タイランド等を転々と移動し続けたぼくは疲れていた。94年7月、始業予定のビソバーサー・キャンパスの入学手続きは順調に進んだ。カトマンズにあるトリブバン大学内の外国語学校である。学生としてネパール語の勉強を始める事にした。特別ネパール語の勉強をしたいという強い意志があった訳ではない。ネパールの1年間のマルチビザは手続を終えた全学生に与えられる。この優遇制度は短期のビザでの移動に疲れたぼくとって有難かった。それと人種的に同じモンゴリアンであるという安心感をぼくは持っていた。相互理解の許容範囲内にあるのかもしれない。ネパールにある程度定住のような形で生活をしてみようと思い始めていた。
 70年代に旅をしたときドラッグのゴールデン・トライアングルと言われたゴア、カブール、カトマンズだが今その面影はない。
デリーへは定期的にスタッフの買出しに出かけていた。10月はヒンズー教の大きな祭りで学校は1ヶ月間休み。年内分150gぐらいのスタッフの買い付けが必要であり今回が最後だと考えていた。年明けタイのバンコクへ行きメタドン・クリニックでヤクとの生活を終わりにする為の治療を受けようと考えていた。ネパール人で息子のようにしていた青年から
「ドラッグだけはやめて下さい」 と、度々悲しい顔で懇願され心が動いたのかもしれない。
 今まで何度もデリーへ行っているのに今回はどうしてなのかぼくの気持ちはすっきりしない。不安に似たような精神の揺れを感じた。タメルの古本屋で安部譲二氏の『塀の中の懲りない面々』という文庫本に出会った。在カトマンズ・インド大使館はぼくに対してトランジット・ビザの発給は今回が最後だと通告した。増ページしたパスポートのインド入国記録を調べられていた。カトマンズ・ジョッチン、通称フリーク・ストリートのぼくの定宿の部屋は1週間程度で戻って来る予定だったから荷物を置きキープした。鍵はそのまま持っていてくれとホテルのマネージャ、94年10月初旬のことだった。ぼくが再び、この部屋に戻ってきたのは96年1月10日深夜12時過ぎだった。ネパール人のスンダルはぼくが帰ってくるまでの間、荷物を保管してくれていた。

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