なにか同じところばかり写しているようだけど、まあいいや。引きつけて写せば少しは違うもんね。
「天空都市」標高はおよそ2400mだという。まさかまさか何故ここに、なぜこんな山の上に。疑問は解けない。が、それが幸いしたといいます。ほとんどの都市がスペイン軍に破壊されてしまったというのに、この奥まった都市にまで目が届かなかったようだ。この場所を発見当時に写した写真を、次に貼ります。
ガイドさんが見せてくれた。後ろの山が写真に影を落としていていけませんが、これが発見当時の遺跡の姿だ。1911年9月18日と記されている。時代が時代の写真、鮮明さは無理からぬところですが、よくぞ残してくれた。と、感謝ですね。インカ帝国消滅後、400年以上の時を経た1911年にアメリカの大学の先生ハイラム・ビンガムさんが見つけたといいます。なにがきっかけでここが見つかったのか、探してみればどこかで、その訳を知ることができるでしょうが、私には、そこまでの探求心はありません。でも、願わくばもう少し近くで撮影したものも見せてもらいたかったな。と、時が14年経過した今日の日になって振り返るのです。
そして都市を復元した絵がこちらだ。スペインに破壊されたのでないというならば、なぜこの都市から住民がいなくなり、廃墟と化してしまったのでしょうか。このことも追いかけて見なければならない。
これから街に入ります。その入り口には観光のお客さんが列をつくっています。
私の仲間が石段を下りて入口に向かっています。
入口から入るときに写しました。ドーンと見える山がワイナピチュ山(2693m)これが象徴の山であることは、もう何回も書いちゃった。
そして振り返ってみた画がこちら。段々畑の上に見張り小屋が見えている。その奥のとがった山がマチュピチュ山(3082m)ほんとはこちらが本命の山のはずなのに、可哀そうなことに、まずは無視されているようだ。右に見えている石がゴロゴロしてるところ。ここが石切り場だと聞いた。ここから石を切り出して住居にも段々畑にも積み上げた。「うう~ん」うなってしまう。
行列のできる坂道を上ったところに「インティワタナ」という日時計らしきがある。「インティ」が太陽、「ワタナ」が結ぶとかつなぐにの意があるといいます。何に使われていたのか定かではないようですが、冬至や夏至など季節を知るための気象台であったということか。ここが遺跡の中で一番高いところだという。
山登りが大好きだという大和市の友は、この山に登るという。もちろん私は丁重にお断り。ご覧いただきたい。この山頂付近にも段々畑らしきもの。インカの人たちの能力と体力ってどうなっていたのでしょう。私が登山を辞退したこの山頂からの素晴らしい写真が届くのでした。