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マチュピチュ その3(2006南米no24)

2020-09-29 | 南米

  これが山頂から届いた貴重な写真だ。マチュピチュ遺跡の全貌が望めます。右側の谷は垂直に切れ落ちているのが見える。これを見ると「何故ここに」と改めて思ってしまいます。ガイド嬢が言っていた。この都市の建設が始まったのが1450年、調べてみたら日本では応仁の乱の頃だった。始まった建設が完了を見ずに1530年ごろ放棄されたと。何故なぜ何故なの。やっぱりわからない。まあそれはよしとして、本文に戻ろう。ちょっとご覧じろ。左に現代のお家がある。これ宿泊所でしょうか。ここに泊っていれば入場料無しで、マチュピチュ山登山も、朝日も夕陽も眺められるでしょうし、毎日遺跡観光を楽しむことができそうだ。と思ったけど、この遺跡の管理事務所かもしれない。

 白く浮き上がっている九十九折れ、もちろんガードレールなんか皆無のバス道( ハイラム・ビンガム・ロード=遺跡発見者 ) が見える。段々畑の一番上から左に山の中腹を横切って伸びている道は多分インカ道。空中都市マチュピチュの住人はこの道を歩いて下界とつながっていたのだろうなと、勝手に想像を巡らせてみるのです。

 急峻だ。険しい山並みが遺跡の周りを取り囲んでいる。そして谷間を流れているウルバンバ川。それに沿って走る鉄道が見えている。このあたりが2000mか、そして遺跡周辺が2400m。登ってきたこの山が約2700m、高い高いお山からいただいた写真の抜粋は以上3枚の貴重品。

 これは段々畑を下りてきて市街地に入ってきた入口のところを所を写した写真。手前の広場を囲んでいるのは、多分なんとか神殿というんだろうと勝手に思っているのですが。

 リャマが食事中でした。

 

 「コンドルの石」この石に集中してしまい後ろを写していませんが、コンドルの神殿。後ろの岩は羽根を広げたコンドルだと教えてもらうのでした。言われてみればふむふむ。

 ワシントン条約で絶滅の恐れありとされている「チンチラ」がいた。注意していなければ見落としてしまう保護色だ。

 曲線を描いて造られた「太陽神殿」この近くに水がチロチロ流れている水くみ場もあったのですが写真には残っていませんでした。

 帰路についています。

 分からないことばかり。そんな遺跡の観光を終えました。帰り道に太陽神殿とワイナピチュを振り返ります。

 クスコ市長さんから遺跡訪問証なるものをいただきました。

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