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ナスカの地上絵(2006南米no17)

2020-09-07 | 南米

 あまりにも有名な地上絵。1994年に世界遺産として登録された「絵」その見学遊覧に出かけます。ちょっと調べてみた。何と発見されたのが1939年、いや驚いた。私が生まれる1年前のことだ。この遺産が発見されてから私の生きてきた歴史しか持っていない。

 人口13万人というイカの町。砂漠の中の色のない街。緑もわずかだ。

 私たちのパイロットの後ろに「チップありがとう」と、ちゃっかり張り紙だ。

 市街地を抜けてしばらくするとこんな地形が広がる。この台地に地上絵がちりばめられているのです。

 砂漠の上の遊覧。色がありません。生の写真では、その絵図がなかなか判明できない。そこで少々修正して何とか絵が見えるようにしてみました。が、修正技術もつたない。悲しい。判定に苦しむものもあります。

 「サル」と言われてもわからないでしょう。手をついて顔がこちら向き、尻尾がぐるぐる巻きしてる。

 

 撮影時の光線のためか、どうも色調が整いません。いずれにしてもここに掲載している地上絵のほとんどは大和市の住人が撮影したものです。座席位置の関係かどうか分かりませんが、私のカメラは、あまり捉えていませんでした。視力不足だったのか、いや撮影術の問題かもしれない。

 これは何者か分かりません。幾何学模様の直線が何本も見えている。これも地上絵だというのです。

 これは有名だ。長さは96mだといいます。もちろん地上からでは何が書いてあるかわからない。発見者は飛行機から偶然見つけたのかもしれない。どんな魔術を使ってこれを描き出したのか、何を目的に。なぞは多い。その手法を日本の学者が解き明かそうとしている様子をテレビで見たけど、覚えていない。

 手と木と書いた横、ハイウェイのそばに観測塔が見える。遺跡の域内は立ち入り禁止。多分ここに登っての観光ってのもあるのでしょうが、何個の絵柄が見えるでしょうか。

 ナスカの大地を貫くパン・アメリカン・ファイウェイがくっきり見えます。アラスカを発してアルゼンチンの先端まで(その先端はウシュアイア、かってその地に立った。そこには17848kmと書いてあった)

 右上のペリカンは、全長なんと285mだといいます。今までに発見されたものでおよそ70種類ほどの動植物の絵があるという。これらの絵が描かれたのは今からおよそ1400~2200年も前のナスカ文化時代だという。幅1~2メートル、深さ20~30センチメートルまでの岩を取り除き作成したという。2000年以上も前に描かれたものが消え去らないとは何事か。まあいいでしょう見学したことに意義ありとしておきましょう。

 搭乗証明書をいただいた。

 15:40 にイカを発ってリマに 16:30 に着いた。市内を少々見学。アルマス広場スペインが造った街だ。正面に政府宮殿

 マルサス広場の噴水をバックに現地ガイドの新垣さんと添乗員龍谷氏。

 二晩お世話になった「シェラトン・リマ」ホテル。

 

 この協会の方三名をお迎えしての有意義な夕食会となるのでした。ペルーと言えば日系2世のフジモリ大統領と1996年在ペルー大使公邸襲撃事件ぐらいしか知識がありませんでした。今では高い評価を得ている日系の方々だといいますが、農業者として移民した当時のご苦労などもうかがうことができるのでした。名刺の神内先駆者センターとは、高齢者のケアのために運営されているセンターだそうです。このブログを書くにあたって少し調べてみた。1899年(明治32)農業契約移民として790余人がペルーの地を踏んだという。ブラジル移民より9年も前、南米への最初の移民だったといいます。現在およそ8万人の日系人が生活しているという。この際「ペルー日系人協会」のホームページを開いてみました。その活動などなどいろいろ知ることができるのでした。

コメント (1)
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