S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

不戦の誓い

2006-08-10 16:19:14 | Weblog
小泉さんって、毎日記者に「8月15日に靖国参拝しますか?」と聞かれて、「公約は生きてますから」とか言ってるけど、国債の大量発行では、公約違反と突っこまれ、「そんなことはたいした問題じゃあない」とのたまった・・・・
都合のいいように公約を使ってるとしか思えないよ。別にわたしは靖国参拝しようがいいけど、「心の問題」と言うんだったら、あなた、首相になる前は参拝してたのかよ?と言いたい。そんでもって首相をやめたら、そんなに心の問題うんぬんだったら、毎日でも靖国にお参りしろよ・・・・とわたしは言いたい。
そんでもって、わたしは靖国神社のおみやげもの屋さんのおばちゃんになって、小泉さんが首相をやめても、不戦の誓いをしに靖国に来るのか見ていてやるよと言いたい。
本当に心から不戦の誓いをするためであるのなら、小泉さんは首相をやめてからも、死ぬまで靖国に参拝し続けるだろう。

靖国神社には中学三年の修学旅行で行ったことがある。靖国神社のそばの九段会館が宿だったので、朝早く先生が「これは心の問題だから、靖国に行きたい人は行く。自由だから全員では行かないよ」と言った。
わたしは、好奇心から一度は靖国神社を見ておきたかったので、先生といっしょに行った。それでもやっぱり、中学生として、「わたし達は、平和な日本を守っていきます」と神社でお参りしたことを覚えている。
人の考え方は、みんな同じではないし・・・・それでも戦争はたくさんの傷を残したことだけは真実で、それは人の心の中にも消えない傷を残した。

わたしの父は8年間中国の杭州に戦争で行っていた。亡くなる3ヶ月前、父がわたしに諏訪に連れて行ってほしいと言ったことがある。
自分の手の中で死んでいった戦友がいて、その戦友の家族にその人の最期がどんなだったか、話しておきたいからだと言う。それから父はリンパ腫癌が進行して、入院になってしまって、とうとう連れていってあげられなかったことは今も悔やんでいる。
父からは戦争の話をたくさん聞かされてわたしは育った。まだ小さい頃、わたしと姉がいつも眠るときに使っていた毛布は、毛布というには、硬くて、まるで麻袋のようだったが、カーキ色のそれは、父が戦争時代使っていたものだったし、のどが渇いて河の水を飲んで病気になり、たくさんの兵士が死んでいったことで、父は死ぬまで水道の水は飲まなかった。必ずお湯か湯冷まし、夏は沸かして作った麦茶しか口にしなかった。身体の芯まで戦争がしみついていた。

父は戦争から帰ってから死ぬまで50年という年月があったのに、死んでいった戦友のことはずっと頭から離れなかったのだ。

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