今読んでいる本「他者と死者」(ラカンによるレヴィナス)のなかで、目からうろこの言葉を見つけました。
「現実は複雑すぎ、哲学は簡単すぎる」・・・・・うーん、確かにそれが本質だと、妙に腑に落ちたのです。
わたしたちが、日常生活で経験することばにならないような要素でさえ、哲学者は言葉に還元してしまうしね、化学反応起こしているみたいに・・・・
わたしの好きな詩は、そのことばにならないような要素を、化学反応を起こして、完全に説明できる哲学のことばにするのではなくて、ことばにならない要素自体を、そのまま言葉を使って、反対方向から浮かび上がらせるという行為かもしれないなあ、と思うのです。
この本に書かれている、死者、他者の捉え方、知というものの考え方、とてもおもしろい。
わたしは、居間で時間があるとき読む本と、二階で眠る前に読む本が違うので、(持ち運ぶのが面倒くさいという単純な理由)、ふたつの世界を同時進行しているわけです。
だから、夢のなかに交じり合った世界が出てきたりする。その奇妙さも面白い。
老眼鏡は100円ショップで3個ぐらい買って、あっちにもこっちにも置いてある。
あっちにもこっちにも置いてあるので、逆にどこにいったのか、よく見当たらなくなるのも難点。
台所でも、お魚をさばいて骨を取るときなんかは、老眼鏡がないと見えない、新聞や本を読むときはないと何も焦点を結ばないし、字の小さい本は、強い老眼鏡がないと見えない・・・・
遠くはとてもよく見えるぐらい目がいいから、車の運転は裸眼で健康そのものだ。よく見える。
今朝、仕事に来る前、テレビをつけていたら、「タトゥーがまたドタキャン」と言っていた、ずっとまえ、タトゥーがミュージックステーションをドタキャンしたときのことは、うれしかったのでよーく覚えてる。なんでうれしかったかっつうと、ミッシェルガンエレファントが解散前だったけど、出演していて、タトゥーがドタキャンした穴埋めに最後にもう一曲歌ったのだ。
ミッシェルの歌は好きなので、長女がテープに入れてくれたのを時々、車で聴いたりしている。
あのときは、ミッシェルが2曲歌ってラッキーだった!ドタキャンしてもらってありがとうだったよ。
「現実は複雑すぎ、哲学は簡単すぎる」・・・・・うーん、確かにそれが本質だと、妙に腑に落ちたのです。
わたしたちが、日常生活で経験することばにならないような要素でさえ、哲学者は言葉に還元してしまうしね、化学反応起こしているみたいに・・・・
わたしの好きな詩は、そのことばにならないような要素を、化学反応を起こして、完全に説明できる哲学のことばにするのではなくて、ことばにならない要素自体を、そのまま言葉を使って、反対方向から浮かび上がらせるという行為かもしれないなあ、と思うのです。
この本に書かれている、死者、他者の捉え方、知というものの考え方、とてもおもしろい。
わたしは、居間で時間があるとき読む本と、二階で眠る前に読む本が違うので、(持ち運ぶのが面倒くさいという単純な理由)、ふたつの世界を同時進行しているわけです。
だから、夢のなかに交じり合った世界が出てきたりする。その奇妙さも面白い。
老眼鏡は100円ショップで3個ぐらい買って、あっちにもこっちにも置いてある。
あっちにもこっちにも置いてあるので、逆にどこにいったのか、よく見当たらなくなるのも難点。
台所でも、お魚をさばいて骨を取るときなんかは、老眼鏡がないと見えない、新聞や本を読むときはないと何も焦点を結ばないし、字の小さい本は、強い老眼鏡がないと見えない・・・・
遠くはとてもよく見えるぐらい目がいいから、車の運転は裸眼で健康そのものだ。よく見える。
今朝、仕事に来る前、テレビをつけていたら、「タトゥーがまたドタキャン」と言っていた、ずっとまえ、タトゥーがミュージックステーションをドタキャンしたときのことは、うれしかったのでよーく覚えてる。なんでうれしかったかっつうと、ミッシェルガンエレファントが解散前だったけど、出演していて、タトゥーがドタキャンした穴埋めに最後にもう一曲歌ったのだ。
ミッシェルの歌は好きなので、長女がテープに入れてくれたのを時々、車で聴いたりしている。
あのときは、ミッシェルが2曲歌ってラッキーだった!ドタキャンしてもらってありがとうだったよ。