お世話になっている小児科の病室に、「どうぞ小さな頃からNOと言ってあげてください」というタイトルの記事の切抜きが貼ってある。
可哀想だからとなるべくNOと言わないようにして育てると、我慢のできない自分勝手な人間になってしまうと。自分の思い通りにならないときにどう対処していいのか分からない人間になってしまうと。そしてそれは最近の親の子育てによく見られる傾向だと。
よく分かる。世の中には「したいと思ってもしてはいけないこと」というのがある。
それでも「NO!」「NO!」と大人の論理から言いまくるだけ、というような簡単な事でもないと思う。そんなことでは返って「NO!」の威力も落ち、違った意味で「NOに免疫」がついてしまう。
小さな頃は、なるべく「NO」と言わないでいい環境を整える。触ってはいけないものや、危ないものをなるべく減らすようにし。細かい大人のルール的なことには目くじらをたてないようにし。ここぞというときの「NO」が子どもの心に響くように。
私の内では、「自身や他人の安全を侵す」、「他人が大切にしているものを踏みにじる」、「相手を傷つけ自分だけが楽しむ」、「約束したことを破る」、これらだけは小さな頃から一貫して「NO」と示そうと決めている。と言うと何だか子育てのしょっぱなから確固として決めていたようだけれど、あちらこちらにぶつかり失敗を繰り返しながら少しずつ「これだけは」という境界を見つけ出していったという方があっているだろう。それでも境界がはっきりとせずそうそう一筋縄にはくくれないこともある。
試行錯誤しながら大切だと感じるようになったことに、「NO」の背後にある親の姿勢のようなものもある。「NO」と言った後にはしたいという気持ちを必死で我慢する子どもにまずは寄り添うといいように感じている。この世にはしたくてもしてはいけないことがあるのだということを受け入れようとする子どもの悔しさや悲しみみたいなものに寄り添う。小さな子なら抱っこしてきれいな景色をみせるなどしながら、興奮して泣きもしているだろう背中をとんとんと叩いたり。「NO」を変えることはせず、それでも子どもの内にある感情に寄り添う。
気持ちに共感してもらい温もりに触れることで、子どもがすっと「NO」を受け入れる瞬間がある。頭で理解して受けれいるというよりは身体にしみ込んでいくというような感覚。
そんなことを繰り返す内に、外からの押し付けではなく、子どもの内に律のようなものが育っていくのかもしれない。
可哀想だからとなるべくNOと言わないようにして育てると、我慢のできない自分勝手な人間になってしまうと。自分の思い通りにならないときにどう対処していいのか分からない人間になってしまうと。そしてそれは最近の親の子育てによく見られる傾向だと。
よく分かる。世の中には「したいと思ってもしてはいけないこと」というのがある。
それでも「NO!」「NO!」と大人の論理から言いまくるだけ、というような簡単な事でもないと思う。そんなことでは返って「NO!」の威力も落ち、違った意味で「NOに免疫」がついてしまう。
小さな頃は、なるべく「NO」と言わないでいい環境を整える。触ってはいけないものや、危ないものをなるべく減らすようにし。細かい大人のルール的なことには目くじらをたてないようにし。ここぞというときの「NO」が子どもの心に響くように。
私の内では、「自身や他人の安全を侵す」、「他人が大切にしているものを踏みにじる」、「相手を傷つけ自分だけが楽しむ」、「約束したことを破る」、これらだけは小さな頃から一貫して「NO」と示そうと決めている。と言うと何だか子育てのしょっぱなから確固として決めていたようだけれど、あちらこちらにぶつかり失敗を繰り返しながら少しずつ「これだけは」という境界を見つけ出していったという方があっているだろう。それでも境界がはっきりとせずそうそう一筋縄にはくくれないこともある。
試行錯誤しながら大切だと感じるようになったことに、「NO」の背後にある親の姿勢のようなものもある。「NO」と言った後にはしたいという気持ちを必死で我慢する子どもにまずは寄り添うといいように感じている。この世にはしたくてもしてはいけないことがあるのだということを受け入れようとする子どもの悔しさや悲しみみたいなものに寄り添う。小さな子なら抱っこしてきれいな景色をみせるなどしながら、興奮して泣きもしているだろう背中をとんとんと叩いたり。「NO」を変えることはせず、それでも子どもの内にある感情に寄り添う。
気持ちに共感してもらい温もりに触れることで、子どもがすっと「NO」を受け入れる瞬間がある。頭で理解して受けれいるというよりは身体にしみ込んでいくというような感覚。
そんなことを繰り返す内に、外からの押し付けではなく、子どもの内に律のようなものが育っていくのかもしれない。
桜さんのその友人はYesと言うようにしたんだね、それでその娘ちゃんもYesをよく言うようになってたと。「イッシュ」って可愛い~。
言葉もなるべく否定語でない表し方をするといいよね。これを「してだめ」でなく他の事を「したら」とか、「~しないようにして」より「~するようにして」、例えば「服を床におかないで」より「服を洗濯機に入れるようにして」とか。かなり違ってくるように感じてます。
桜さんのお母さんの育児論、私も聞いてみたいよ。「説明」、本当だね。まだ小さくて言ってもわかないかな、と思うことでも結構理解したりするんだよね。頭ごなしの「NO」に分けも分からず従うよりも、なぜしてはいけないかを子供自身が納得して自分でしないようにする、というようにもっていけたらいいね。
探究心を止めないような環境作り、なるほどです。その壁新聞紙の話、私も桜さんから聞いていいお母さんだなあ、と思ったの覚えてます。
桜さんのいつもポジティブな元気さ、お母さんの知恵からもきていたんだね。
私も上の子たち反省点だらけよ。(笑) NOと頭ごなしで萎縮させたり、今思うと大して大切じゃないと思えるような躾を必死でしようとしていたり。上書きできると信じつつ、反省点を今後に生かせるよう心がけつつ。
いつもありがとう、考えさせられます。そちらも涼しくなってきたのかな。Have a wonderful weekend!
私も極力言わないように、言わないようにと気をつけてるつもりだけど、無意識に言ってる事多いかも(^^;
私のアメリカ人の友達は反対に「Yes,Yes,Yes」を教えてた。だからその子はいつも何か語りかけると、「首を縦に振ってイッシュ(Yes)イッシュ(Yes)」って良く言ってたな。。。笑
同年代の子が周囲で「No,No,No」って言う中、彼女だけ「Yes,Yes,Yes」って言ってたので珍しいな~って思った。
私はいつも母から「駄目と注意しても良いけど必ず〇〇〇だから駄目なのよ。」っとナゼ駄目なのかと言う説明を駄目と言う前に必ずしてあげなさいよ。っと電話ごしで時々育児論を長々と聞かされてます(--;
そう、後は駄目と言う前に子供のやりたい事を出来る環境にしてあげて、駄目と子供の探究心を止める事を少なくしなさいとも。。。私は良く小さい頃、壁にお絵かきするのが好きだったらしくて、母は私の手が届く壁一面に新聞紙についてくる広告の裏(白紙部分)を貼り付けてお絵かき出来る様にしてあげたのよっと、母から100回くらい聞かされてます。。。笑
上の子には「NO」が多かった気がする。。。だから今でも色々やる事に自信があまり感じられないし、かなり慎重に行動をとる子だね。駄目って言われるんじゃないかって怯えてるのかも。っとちょっと反省してます。なのでチビはなるべくやりたい事をさせてあげようと環境を整える様にしてます。