「褒めて育てる、子どもは褒めれば褒めるほど伸びる」そう思ってきた。「うわあよくできたね、すごい!」と声をかけられた時の、子ども達の輝く表情。
2日前の「マインドセット、やる気の持続」で取り上げたDweck氏の調査結果、そしてこの「New York News and Features」の記事では、「褒める」ことがいかに子どもをだめにし得るか、ということが示されている。「あなたは賢い」と褒められ続けた子どもは、「努力をやめる」、自身が賢いというイメージが壊れるのを恐れるため「チャレンジを避け容易な道を選ぼうとする」、「他を貶めたり嘘をついてまで賢いというイメージに拘り始める」ということが、いくつかの例や実験結果を通して明らかにされたと。
記事によると、アメリカの親の85パーセントが「あなたは賢い」と子どもに伝えることを大切だと考えている、ニューヨーク地域では100パーセントといえるだろう、とある。
確かに「褒める」ということはこちらの教育の根幹にあるように感じている。とにかくまずは褒める、という姿勢。私自身もすっかりこちらに慣れ日本の人がみたらちょっとぎょっとするくらいあからさまに褒めてきたかもしれない。メキシコ人の友人が子ども達の「ひどいサッカーゲーム」で周りの親が褒めまくっているのを「やってられない」とぼやいていたのを思い出す。アイルランド人の友人も少しのことでも褒めまくるこちらの眉を上げ呆れた顔でみていた。
アメリカで見られるこういった現象は、1969年にNathaniel Brandenが「the psychology of self-Esteem」の中で「自己評価こそ人にとって最も重要」と提唱したのが始まりらしい。子どもの「自己評価」を傷つけないようにあらゆることをしようという風潮が生まれる。「サッカーコーチがゴールを数えるのをやめトロフィーを全員に渡し、先生は添削をやめ、批判は値するかしないかに関わらず『褒める』にとって代わられた」 と。
ところが「自己評価」の先導的研究をしてきた心理学者のRoy Baumeisterは1970から2000年までに「自己評価」について書かれた本15000以上
の中から厳密な基準に達するものを200に絞り調べたところ、結局「自己評価」が高いところで成績もキャリアの達成も何も改善しないと結論付けている。そして今はDweck氏と同じ立場での研究に取り組んでいるという。
日本には「褒め殺し」という言葉があるけれど、「褒める」ことが引き起こし得る一面がよく表されている。何だか学問的世界の流れをみているとDweck氏らの研究はものすごい新しい発見のようだけれど、昔からあった知恵が学問的科学的に表されたということなのかもしれない。それはそれで画期的なことだけれど。メキシコやアイルランドの友人、夫のイタリア系の母親が「必要なときだけ褒めるのよ」と言っていたのも思い出す。心理学の流行的流れに関係なく暮らしてきた人々は自身のペースで淡々と昔からの教えに沿って子ども達に向かってきたのかもしれない。
Dweck氏の研究が「褒めてはいけない」というような風潮を生むのだとしたら、またおかしなこと。やはり「子どもは褒めて育てる」は大切なことだと思う。Dweck氏も言うように要は「褒め方」に注意することが重要なのだろう。闇雲に何でもかんでも褒めるわけでなく、誠実によく観察して褒める、そして「成果」より「努力」を褒める。外からの「評価」より「努力し変化成長していく過程」を楽しみ大切にしていくよう。
褒め方に注意しつつ褒め過ぎず、褒めなさ過ぎず、子ども一人一人に向き合いながらそのときその子に必要な対応をしていけたら、そう思いつつ。
2日前の「マインドセット、やる気の持続」で取り上げたDweck氏の調査結果、そしてこの「New York News and Features」の記事では、「褒める」ことがいかに子どもをだめにし得るか、ということが示されている。「あなたは賢い」と褒められ続けた子どもは、「努力をやめる」、自身が賢いというイメージが壊れるのを恐れるため「チャレンジを避け容易な道を選ぼうとする」、「他を貶めたり嘘をついてまで賢いというイメージに拘り始める」ということが、いくつかの例や実験結果を通して明らかにされたと。
記事によると、アメリカの親の85パーセントが「あなたは賢い」と子どもに伝えることを大切だと考えている、ニューヨーク地域では100パーセントといえるだろう、とある。
確かに「褒める」ということはこちらの教育の根幹にあるように感じている。とにかくまずは褒める、という姿勢。私自身もすっかりこちらに慣れ日本の人がみたらちょっとぎょっとするくらいあからさまに褒めてきたかもしれない。メキシコ人の友人が子ども達の「ひどいサッカーゲーム」で周りの親が褒めまくっているのを「やってられない」とぼやいていたのを思い出す。アイルランド人の友人も少しのことでも褒めまくるこちらの眉を上げ呆れた顔でみていた。
アメリカで見られるこういった現象は、1969年にNathaniel Brandenが「the psychology of self-Esteem」の中で「自己評価こそ人にとって最も重要」と提唱したのが始まりらしい。子どもの「自己評価」を傷つけないようにあらゆることをしようという風潮が生まれる。「サッカーコーチがゴールを数えるのをやめトロフィーを全員に渡し、先生は添削をやめ、批判は値するかしないかに関わらず『褒める』にとって代わられた」 と。
ところが「自己評価」の先導的研究をしてきた心理学者のRoy Baumeisterは1970から2000年までに「自己評価」について書かれた本15000以上
の中から厳密な基準に達するものを200に絞り調べたところ、結局「自己評価」が高いところで成績もキャリアの達成も何も改善しないと結論付けている。そして今はDweck氏と同じ立場での研究に取り組んでいるという。
日本には「褒め殺し」という言葉があるけれど、「褒める」ことが引き起こし得る一面がよく表されている。何だか学問的世界の流れをみているとDweck氏らの研究はものすごい新しい発見のようだけれど、昔からあった知恵が学問的科学的に表されたということなのかもしれない。それはそれで画期的なことだけれど。メキシコやアイルランドの友人、夫のイタリア系の母親が「必要なときだけ褒めるのよ」と言っていたのも思い出す。心理学の流行的流れに関係なく暮らしてきた人々は自身のペースで淡々と昔からの教えに沿って子ども達に向かってきたのかもしれない。
Dweck氏の研究が「褒めてはいけない」というような風潮を生むのだとしたら、またおかしなこと。やはり「子どもは褒めて育てる」は大切なことだと思う。Dweck氏も言うように要は「褒め方」に注意することが重要なのだろう。闇雲に何でもかんでも褒めるわけでなく、誠実によく観察して褒める、そして「成果」より「努力」を褒める。外からの「評価」より「努力し変化成長していく過程」を楽しみ大切にしていくよう。
褒め方に注意しつつ褒め過ぎず、褒めなさ過ぎず、子ども一人一人に向き合いながらそのときその子に必要な対応をしていけたら、そう思いつつ。
ちょっと遊びに、とかどう?今週はベビーシャワーよ~。待ってるからね~。
ほんと、私もアラスカ行きた~い!!
"作って食べる会"にもさんかしたあ~い!
私もこちらに来たて頃周りのアメリカ人の親が「Good Job! You are great! You are incredible!」と褒めまくっているのを見て驚いたのだけれど、いつしか私もその一員となり。(笑) OYABAKAさんも悪いと思ったことなかったんですね。私も子ども達の反応をみて、笑顔で生き生きと物事に向かっていくというようないい印象がありました。
確かに、私も褒められたという記憶があまりないです。だからOYABAKAさんの言うように数少ない褒められた出来事を大切に覚えているということもあるのかもしれません。ピアノや空手や日本人の先生に教わると、日本のやり方を思い出しますね。こちらの人の視点に立つとちょっとぎょっとするような態度に見えることもありますが。実際日本人の先生に対するそんなこちらの親のとまどった反応を目の当たりにしたこともあります。(笑)
Tiger Momと言われるAmy Chuaの著書について教えてくださってありがとう。よく知らなかったのですが、そういう方針で育てられ、そして育てている方なんですね。またじっくりと読んでみたいです。
「どれだけ高いスタンダードを持って子供に期待するかということに焦点を置いている、スタンダードを高めれば、子供は必ず達成できるという考えを持っている。」
多分スタンダードを設定して言うだけなのでなく親もかなり努力してそのスタンダードが可能となる環境を整えているのでしょうね。親が影で達成が可能となるよう力を注いでいる、その上に子ども自身にこれだけのものがそろっているのにできないわけがない、ということなのじゃないかと。全くの裸で突然高い設定を目の前に突きつけられても子どもはつぶれるだけなのだと思います。きちんと子ども自身を見、環境ソースを整えた上での姿勢なのじゃないかと。読んでいないので推測なのだけれど、読んでみてからまた考えてみますね。(笑)
周りにもいます。常に高いスタンダード。子どもさん色々な面で学校市州のトップになってますね。彼女と接するといつも色々なことに気づかされます。日常生活から何に向き合うのも勢いが違ってます。子どもが置かれる環境状況を常に細心の注意を持って整えてました。本当に子ども思いの(dedicated)アメリカ人の母親です。
トップ、一位、ということにこだわらずとも、自身の最高、最大限の力を発揮していく、ということは目指していく方向なのだと思ってます。順位や評価はより良くなって行く過程の目安としてあ
るだけで。
闇雲に褒められて出来上がった「高い自己評価」は確かに子ども達自身にとってこれから社会に出ていったときにネガティブなものになり得ますね。「評価」の殻に閉じこもらず、一時の「評価」など突き破り努力し変化していく過程を楽しんでいけるようにできたらいいのですが。
Dweck氏らの言う「褒めすぎず」「褒め方」を変え「成長型マインドセット(growth mind-set)」を育てていくというのは一つの方法なのかもしれないですね。Dweck氏らは「褒め方」によって、いかに子どもが「評価」に拘る姿勢、努力チャレンジをしなくなる姿勢を育ててしまうか、ということを言っているのだけれど、私も思い当たることあります。アメリカの主流にどっぷり浸っていた私に少し何かを思い出させてくれたようにも感じてます。それは日本の「褒め殺し」だったり、あのメキシコやアイルランドの友人であったり、夫のイタリア系母であったり。
「成果結果」を強調するような褒め方でなく、「努力」を褒めるよう、褒め方に注意しつつ一つ一つの褒め言葉に責任を持ちつつ、褒めすぎず褒めなさすぎず、と思ってます。
Hさ~ん、お元気ですか!またお話お聞きしたいです。
ホリデイシーズン、OYABAKA家にお呼ばれした日々を思い出してます。またああしてテーブルを囲んで色々な話ができる日を楽しみにしてます。ありがとう!
私がアメリカのデイケアーで働いていた頃、研修に行く度に聞いた言葉が"Positive reinforcement"、要するに“褒める”ことですよね。
確かに、アメリカ人はどうして何でもかんでも褒めるんだろうと、自分でも疑問に思ったことも何度かあります。でも、それが悪いと思ったことはあまりない。やっぱり誰でも褒められると、気持ちがよいものですものね。子供達も、褒められる度に、もっと活気を帯びていたような気がします。
逆に日本の昔からの習慣としては、滅多に褒めませんよね。私も部活とかでは、いつもかなりひどくけなされていた様に覚えています。でもそれ故に、褒められたときの喜びは、一段と大きかった気がします。
お宅のお子さんもレッスン受けているピアノのR先生、滅多に褒めませんよね。
だからこそ、数少ない褒め言葉には、重みも感じました。
ちょっと前に、Tiger Momで有名になった中国人2世のAmy Chua(彼女の著書"Battle of Hymn of the Tiger Mother"が有名)ご存知ですか?
彼女自身親から受けて来たかなり厳しい教育方法、それが正しいと信じて自分の子供に行っている人。
彼女の場合、褒めるとか褒めないとかの問題ではなく、どれだけ高いスタンダードを持って子供に期待するかということに焦点を置いている、スタンダードを高めれば、子供必ず達成できるという考えを持っている。
彼女のエピソードの中で、彼女自身の子供の頃の体験が印象的でした。それは確か、社会のプロジェクトで校内2位を取った彼女、その結果を彼女の父親は、喜びも見せず、お前なら1位を取れる力があったはずだ!”と逆におこられたらしい。彼女がいうには、その言葉がとっても励みになったとのこと。。。。
確かに、アメリカ人の子供の中には、親がいつも何でも間でも褒めているために、自分の本当の力をわからずに、自信を持ちすぎている子供達も、よく見受けますよね。そういう子達は、きっと独立して現実に直面した時、かなり落ち込む経験をするのかも。。。。
んんんん~、難しいところですよね。
でも、やっぱり私は褒めることは大切だと思う。大人でも、わかっていても褒められると悪い気しないものね。
"成果"より"努力"を褒める
うんうん、ためになる言葉です。
自分も
“褒め方に注意しつつ褒め過ぎず、褒めなさ過ぎず、子ども一人一人に向き合いながらそのときその子に必要な対応”していける様に、努力します。
BTW,うちのHが"Hi"だって