靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

無条件に「愛する」とは?まとめ

2013-02-24 03:14:22 | 子育てノート
子どもの根本にあるのは 親に認められたい、受け入れられたい、愛されたいという気持ちです。その根本のところが満たされていると、その子は周りに認められよう、受け入れられよう、愛されようという気持ちに振り回されることなく、その子自身の力を最大限に発揮していくことができます。

 子供を無条件に愛することが大切、そうは言うものの、「愛」とは何とも漠然とした言葉です。そもそも愛するということとは、どういうことなのでしょうか。メディアから流れる男女間のロマンティックな愛から、赤ちゃんを胸に抱いた時湧き上がる愛しい気持ちまで、愛と表されるものには様々な形があるように見えます。

「愛は動詞」と言う言葉があります。愛とは動きのある行為行動なのであって、「ある・ない」などと測られるものではないということです。物のように、こっちにはあるけどあっちにはなかったというようなものでも、たまたまそちらに転がっていた愛を見つけたというようなものでもないということです。愛とは、自分自身で今ここに動的に作り出し続けると選択するものなのです。

世界的に名の知れた経営コンサルタントであり、九人の子供を育て、家族や子育てについての著作もあるスティーブン・コビー氏とそのクライエントの間に、こんな会話があります

クライエント:妻と私はもうかつてのような感情を互いに持ち合っていない。私はもう彼女のことを愛していないのだと思う。彼女も同じだ。私はどうしたらいいのでしょう?
Covey:感情がもうないということ?
クライエント:そうなんです。私達には三人の子どもがあり、私達は本当に心配してるんです。どうしたらいいんでしょう。
Covey:愛しなさい。
クライエント:だから今言ったように感情がもうそこにはないんですよ。
Covey:愛しなさい。
クライエント:分かってくれませんね。愛という感情がもうないんですよ。
Covey:じゃあ愛しなさい。もし感情がないというのなら、それこそ愛する理由になる。
クライエント:だけどどう愛することができるんですか愛せないという時に?
Covey:友人よ、愛は動詞なんです。愛という感情は愛するという動詞の実りのようなもの。だから愛しなさい。犠牲を払い(sacrifice)、彼女のことを聞き、共感し(Empathize)、感謝し、彼女を肯定し。あなたはそれらを喜んでできますか?

 何の努力もせず燃え溢れるような愛情が湧き出る、男女の間でも確かにそんな始まりがあるかもしれません。それでも互いに愛すると選択し行動に移していくのなら、そんな初めの高まりを維持することができるでしょう。

 ここでは夫婦間の愛の例ですが、愛というものの元のところは同じです。子どもに対して愛情が発露している場合とそうでない場合があります。常に溢れる愛情が湧き上がってくる場合もあれば、「この子を愛しく感じられない」ということもあるでしょう。親自身の育った環境や、育てられ方も関わってきます。また親の性質と子供の性質との相性などもあるでしょう。親がそれまで歩いてきた道、大切に積み重ねてきた価値観、それらから見事にはずれることばかりしてくれる子供もいるものです。この子には自然と愛情が湧くけれど、この子には難しい、そんなことは、性質も性格も全く異なる五人を育てていると、何度も経験することです。だからといって、子供を愛せないなんて母親失格! そう自己嫌悪に陥り、罪の意識にさいなまれていたとしても、どこかに辿り着くというわけではありません。

 「愛情が湧いて来ない」、それなら今ここにどう動いていくかが大切なのです。もし「愛せない」のならば、思いやり、その子の言葉や心に耳を澄ませ、共感し、その子を肯定し続けてみることです。するとそれらの「行為の実り」として、最初は少しずつかもしれませんが、愛情が湧いてきます。そして「愛する」と選択し、行動し続けることにより、ふとある日、溢れんばかりの愛情が湧き出ている自分に気がつくのです。愛があるから思いやるのではなく、思いやるから愛が湧いてくるのです。「愛がある・ない」のではなく、「愛する・愛さない」という選択があるのです。「無条件に愛する」とは、どんなことが起こっても、「愛する」と自ら選択し行動するということです。

 結婚式で新婦と新郎の間に立つ神父が、「健やかなる時も病める時もこの人を愛しますか?」と聞くことがあります。これは、「無条件に愛する」と選択し続けるという誓いです。それでも夫婦は共同で作り上げるもので、もし相手に一緒に作り上げていく意志がないのならば、「夫婦を解消する」という選択肢もあり得ます。

 それでも親と子供の間には、「親子を解消する」という選択はありません。親と子は夫婦のような共同作業ではなく、例えその子がどんな子であろうとも、親は一時の間、その子を預かり育てるという役割を与えられているのです。子供の出方や意志に関係なく、また例え愛情を感じられないとしても、「愛する」と選択し行動し続けることです。すると愛する行為の実りとして、心の奥底から愛情が湧き出てきます。

 愛とは、個々人を超えたところに、常に滞ることなく流れ続けているものなのかもしれません。愛するという一人一人の選択と行為が、その流れに繋がる管の詰まりを取り去り、尽きることのない無限の愛が流れ出す、そんなイメージを抱いています。愛とは、自らの意志によって、今ここに流し続けていくものです。


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