スーパーで買い物。こちらの大手のスーパーには、お店の人がレジをしてくれる他に、セルフチェックアウトのコーナーがあり、一つ一つの商品のバーコードを機械に読ませ、野菜などは名前や指定番号を入力し重量をはかり、と自分でレジができます。私はいつもこのセルフチェックアウトで、大きい子が一緒にいる場合は子供たちにまかせ、小さな子達は手伝ってもらいます。
日中次男と二人で買い物。次男が一つ一つの品物をバーコードで読ませと手伝ってくれる。
見回りの人が話しかけてくれる。
「ママ助かっちゃうね、いくつ? そう四歳なの。じゃあ来年はいくつになるのかな?」
「五歳!」
「よくできました~。今日もよい日をね!」
そう笑顔で見送ってくれる。レジを後に、話し続ける次男。
「でね、次は六歳になって、七歳になって、八歳になって、それからず~とず~と大きくなって。でね、僕は死ぬんだよ」
「えっ?」 ぎょっとして聞き返す。
「だって、みんな大きくなったら死ぬんだよ」 笑顔で朗らかに。
「そうね」、そう笑顔で返すと、にっこりと頷く。
こうして一緒にいられる一瞬一瞬を大切にしていこうね、そう思いつつ。
日中次男と二人で買い物。次男が一つ一つの品物をバーコードで読ませと手伝ってくれる。
見回りの人が話しかけてくれる。
「ママ助かっちゃうね、いくつ? そう四歳なの。じゃあ来年はいくつになるのかな?」
「五歳!」
「よくできました~。今日もよい日をね!」
そう笑顔で見送ってくれる。レジを後に、話し続ける次男。
「でね、次は六歳になって、七歳になって、八歳になって、それからず~とず~と大きくなって。でね、僕は死ぬんだよ」
「えっ?」 ぎょっとして聞き返す。
「だって、みんな大きくなったら死ぬんだよ」 笑顔で朗らかに。
「そうね」、そう笑顔で返すと、にっこりと頷く。
こうして一緒にいられる一瞬一瞬を大切にしていこうね、そう思いつつ。
本当ですね、子供はよく言葉の意味を知らずに使っていること、ありますね。「死」という概念も、大人とは全く違ってとらえているように感じています。
理解するにつれ、その言葉が口から出てこなくなるとは、なるほどです。「死」を理解するようになって、「生きる」ということも分かってくるのかもしれませんね。
「生きる」ことに勤しむ。本当ですね、健やかに、一瞬一瞬、生きているということを感じられるように、歩いていってくれたら、私もそう思います。
いつもありがとうございます。週末をお楽しみください。初雪の舞うアンカレッジより。
我が息子たちもそうですが、言葉を知っていても、その意味がわからずに口にすることってよくありますね。成長と共にその言葉の本当の意味が理解していくのですが、理解できていくと共にその言葉が口からでてくる回数が減っていくということもありますね。
「死」を理解するには、まだまだ幼い次男くんですが、そのうちに意味を少しずつわかり、また「生きる」ということにも興味が沸いてくることと思います。
子供たちの健やかな成長を祈りつつ、「生きる」ことに勤しんで欲しいと願う母です。