「何でこの子は何度言ってもこういうことをするんだろう」「あの子のああいったところ注意して直していかないと」
自身を振り返ると、子どもに見出す問題は、自身の内に因がある場合がほとんど。
「子どもは親の鏡」、これはその通りだとつくづく思う。
子どもの周りの大人は皆子どものモデル。子どもは周りの真似をして大きくなっていく。
自身の内のネガティブな因を子ども達に見出すたび、背筋が伸びる。
親が見せていけるのは、努力して変わっていけるという姿勢。成長していけるという希望。
いい面だけを見せるようにしたとしても、子どもは鋭く全体を察知するもの。
変わっていく過程を見せていくこと、それが子ども達のモデルとしてできることのひとつ。
自身を振り返ると、子どもに見出す問題は、自身の内に因がある場合がほとんど。
「子どもは親の鏡」、これはその通りだとつくづく思う。
子どもの周りの大人は皆子どものモデル。子どもは周りの真似をして大きくなっていく。
自身の内のネガティブな因を子ども達に見出すたび、背筋が伸びる。
親が見せていけるのは、努力して変わっていけるという姿勢。成長していけるという希望。
いい面だけを見せるようにしたとしても、子どもは鋭く全体を察知するもの。
変わっていく過程を見せていくこと、それが子ども達のモデルとしてできることのひとつ。
マチカさんが書かれているように、「努力して変わっていける姿勢」を伝えていきたいものです。努力だけでなく、実際変われるところを。
「子の言動を通じて自身を見ているのですね」、そう思うことがよくあります。種は自身がまいていたのだと。
完璧などあり得ませんから、では何を見せていけるのかというとやはり「努力してより良くしていこうとしている姿勢」なのだと思っています。謝るべきことは子供に対しても謝り。
「努力だけでなく、実際変われるところを」、本当ですね。実際の変化を見せていけたのなら、理想ですね。
私も日々できることをしていきたいです。いつもありがとうござします。