靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

整理、一歩の積み重ねが違いをもたらす

2012-11-11 00:57:36 | 今週の整理
1.一面真っ白に。白い息を吐きながら、毎日元気に走り回っています。早朝書き、朝昼晩と動き回り、くったくたになりながらも星を眺め温かい毛布に包まって、皆でその日あったことを振り返り感謝の言葉を言い合い、眠りに落ちる。有難い毎日です。
 家族揃っての就寝前の感謝・祈りは数年続けているのだけれど、三女と次男が初めて参加したときのことを思い出す。二歳頃のこと。自分の名前と家族の名前を順番に言い、最後に「ありがとう」、まずは二人ともそう始まった。そこに徐々に楽しかったことを付け加えるようになり、今ではその日出会った周りの人々や出来事を思う言葉も出るように。この眠る前の習慣、どんなに忙しくても、子供の方から「プレイヤーしよう」と声をかけてくる。家族皆にとって、一日を終えるために欠くことのできないリチュアルに。

2。書く方は、何とか最終章の最後の項目に近づきつつ。あと10日程で書き終えたら、初めに戻り編集。がたがたした流れをスムーズに整えて。原稿用紙で300枚近く、皆さんに読んでいただける形にしていきたいです。拙い出来ですが、今の時点での精一杯の形、これからしていきたいことの土台になるのだと思っています。

3.毎日様々なことが起こる。アップもあればダウンもあり。「それた」と思ったのなら、今この瞬間に戻る。子供に「今すぐ良くなるチャンスを与える」のも大切だけれど、自分にもチャンスを与えて

4.ダウンのときには、鉛のように重い足、それでもここで一歩一歩踏み出していくことが、後に大きな力になるのだと思い出して。アップの時は、与えられる全てのことを「give credit to“god” 自分を超えたものへ還す」。

5.中学一年の長男、勉強の仕方を勉強中。昨日の単語テスト、二週間という期間があったにも関わらず、当日朝に必死で覚えていた長男との話し合い。単語や科学用語や地理や、覚える必要のあるものは、毎日ちょっとでも触れる時間を作る。ちょっとちょっとをとにかく継続すること。コピーを持ち歩いて時々見る、毎日朝七時から十分と時間を決めるなどなど。
 英語を母国語としない夫(十八まで英語話せず使えず)と私、長男を見ていると、やはりネイティブ・スピーカーの親の子供に比べ、英単語や文法面が弱い。昨日の単語テストも、私も知らない単語多し。nefarious, hackneyed, burgeon, demure, benign, verdant, vapid, cacophony, tumultuous, stratify, prodigious, onerousなど。「日常から豊富なボキャブラリーや言い回しや正しい文法に囲まれていない分、ディスアドバンテージがあると自覚して、昨日より今日と取り組む時間を増やし整えていこうね」そう肯き合う親子。

6.思っているだけでなく身体を使って動く。変化を生み出すのは実際の行動。「Replace your worry with your work(心配をワークに変えて)」、この言葉は、辛かったり何か心配事や気にかかることがあるときに、いつも役に立つ教え。実際に出来る限りのことをし続けていたら、例えどんな結果になろうと、すっきりと次へ向かっていける。

7.子供を育てていてつくづく思うのは、観念や思いだけでは育たないということ。子供は日々の習慣、実際の身体での体験の繰り返しを通し育っていく。こつこつと実際に努力し動き続けることが大切だと子供達に伝えていきたい。それには結果でなく、努力を褒めること。最善を尽くしている態度を尊重していくこと。人と比べできないからと止まるのではなく、自分のできる限りのペースでとにかく歩き続ること。こつこつと努力し続ける楽しさを、身体にしみこませて。繰り返しのリズムを身体に刻んで。

8.大人が育つのだって7と同じなのかもしれない。棚から牡丹餅を期待し、座り込んで待っていたって筋肉が衰えていくだけ。牡丹餅に拘り立ち止まってしまっては、歩き続けるために必要な足腰も弱くなる。たまたま餅を与えられたとしても、感謝し、自分を超えたものに還しつつ、歩き続ける。そうすれば、実は周りには牡丹餅以上の「奇跡」が溢れているのだと見えてくる。

9.ユダヤの聖典「トラ」に、アブラハムの妻サラについて書かれた箇所がある。タイトルは「サラの人生(life)」。ところが、「人生(life)」といいながら、その箇所にはサラが死んだ後のことばかりが書かれている。ユダヤの賢人たちが、なぜなのかを何千年にもわたって話し合ってきた。その答えが、「サラは死んだわけではなかった」ということ。確かにサラという肉体を持った存在は無くなったのだけれど、サラは今も多くの人々に愛され、語り継がれ、人々の内に生き続けている。127歳で亡くなったとされるサラ、何ら歴史を動かす発見や業績を残したわけでもなく、ただひっそりと周りの人々に親切を尽くし続けた女性。それでも、その「サラの態度の背景には、一時もずれることのない、『神(or人を超えたもの)』との繋がりがあった。だからこそ、今もサラは人々の内に生き続けている。」そう賢人達は言う。瞬間瞬間に繋がっている、その積み重ねは「肉体の死」を超える、「サラの人生」の箇所には、そんな教えが詰まっている

10.他人と比較して歩みを止めない。互いに異なる人々を、一直線上に並べ、こちらが優れている劣っていると比較するのは、赤のチューリップや黄のタンポポや白のデイジーを並べ、こちらの花がより赤いから優れている、こちらの花はより白いから劣っていると順位をつけてしまうようなもの。
 頑張って何かができるようになるというのは、本当に嬉しいもの。他人よりできたできないでなく、その子自身が体験する一つ一つの「できた!」という喜びを大切にする。少し前は飛び越えられなかった小川、一ヶ月前には弾くことのできなかったピアノの曲、去年は乗ることのできなかった補助輪無しの自転車、自分で焼けたクッキー、一ヶ月前にはちんぷんかんぷんだったのに今は暗唱できる掛け算、そんな「できた!」瞬間の子供達の顔は輝いている。
 すんなりうまくできないものでも、途中でやめることなく続けるよう励まし、「できた!」という喜びを何度も体験させる。親は黒子となり、その子を観察しつつ、少しずつハードルを上げていく。自分でできたという喜び。その子の「できた!」という喜びにフォーカスして。
他人と比較し、今取り組んでいることを止めてしまう場合は、モーティベーションから整理。人より秀でたり、人より上に行くことを目的として取り組むのでなく、自身の「できた!」という喜びにフォーカスするよう導く。周りのほとんどができていることであろうと、その子が苦労して成し遂げたことならば、かけがえのない貴い瞬間。「嬉しいね!」と喜びを分かち合って。
  その子の一つ一つの「できた!」を大切にしていくことで、その子はその子自身のペースで歩き続けるようになる。例え遅い歩みに見えたとしても、続けていくことで、その子自身の花を咲かす。ひょっとして誰も予想もしなかった色や形をした花を咲かせることになるかもしれない。二つの芽が地面から顔を出し、片方がもう片方の葉より小さいからと伸びることを止めてしまっては、周りとは違った色や形の花を咲せることはできない。 
  子供達は小さな頃から様々な比較に会う。テストの点数や偏差値や、他の子供達と一直線に並べられ、あなたは何番だこれほどのものだ、と示される。それでも、それらの比較は、自分を伸ばすための、昨日の自分との比較に用いて。前回より前へ進んでいるのか、前回よりできるようになったか、どうしたらもっと良くなれるか、考え試し模索するための参考資料に。周りと比較し自分はだめだと歩くのをやめてしまうのではなく、その子がその子自身の道を歩き続けていくための糧に。
  周りの大人は、「~ちゃんはできるのに、どうしてあなたはできないのかしら」「~君があそこまでできるのだから、あなただって」というような周りの子供と比べる言葉は口にしない。その子がかつてできるようになった様々な体験を思い出させつつ、「あの時は嬉しかったね、今度も頑張ればきっとできるよ」、「できたら本当に嬉しいだろうね」と励ましていく。褒めるときも「~ちゃんよりできたなんてすごい!」ではなく、「一週間前あんなに苦労してできなかったことが、今はこんなにできるようになってすごい!」と褒める。
  過去の自分と比較しつつ、こつこつと続けていくこと。歩き始めた頃には、思いもよらなかったはるか遠くにたどりついた自分に、いつかきっと気がつくときがくる 
   
11.「Small steps make a big difference. (小さな一歩の積み重ねが、大きな違いをもたらす。」


雪の結晶、六つの花輝くアンカレッジより。

Have a wonderful week!