1968年10月のダイヤ大改正で特急運用からすべて外れたEF58。しかし東海道山陽本線の運用の中心の急行普通列車は、SGが必要な一般客車が使われておりEF58が引き続き牽引にあたっていました。なお1965年10月には東京機関区にEF65-500番台(P型)が導入され、EF60-500番台に代わって東海道山陽本線のブルートレインをすべて担当することなりました。

ところが、1972年10月改正で高速貨物列車増発に伴うEF65捻出の必要性と、EF58はローカル列車の電車化でEF58が余剰となり、またブルートレイン増発から関西~九州間のブルートレイン牽引にEF58が2度目のカムバックをすることになりました。(1度目ははくつる設定時)
背景として、当時新幹線の博多開業直前の山陽本線では、増発に次ぐ増発で線路容量が逼迫し、夜間にブルートレインと高速貨物列車が平行ダイヤを汲み、ブルートレインの側が最高速度を高速貨物列車に合わせて95km/hにしました。これによって所要時間が若干延びますが、本数面でのロスを防ぎ、最高速度牽引定数からEF58での運行が可能となりました。
ところで、牽引対象の20系客車は1968年10月の改正から110km/h運転を開始し、その装備としてブレーキをAREB電磁指令式自動空気ブレーキに変更しています。20系は従来最高速度95km/hで、他の一般客車と同じ自動ブレーキでしたが、この改正以降はAREBブレーキに対応した専用の機関車が必要になったわけです。100km/h以上の運転の場合は電磁ブレーキの引き通し線が、95km/h以下でも元空気ダメ管の引き通しが必要になってきます。
そのためEF58もこの改造を一部の車両に行っています。ただし前述のように、機関車の性能から最高速度が95km/hに制限されるため、元空気ダメ管の引き通しのみで、電磁ブレーキ対応改造は行われていません。
この時期に牽引した関西対九州ブルートレインにはあかつき・彗星があります。これらの列車は牽引機が限定されない14系や24系客車へ置き換えが進んで、関西のEF58が交互に牽引しています。
1975年に山陽新幹線が博多まで開業しますが、その前の1年間は最大11往復のEF58牽引のブルートレインが関西九州間に運転され、米原、宮原、広島、下関の4区が担当する空前絶後の状態でした。(1往復は下関のEF65牽引)
さらに大阪から米原までの日本海も直流の区間が短距離のため、1972年10月の改正でEF65からEF58に変更されています。さらにこの改正で北陸本線には急行からの格上げでつるぎが誕生していますが、こちらも急行時代のままEF58が牽引しています。
日本海とつるぎの牽引は1975年の湖西線開通によってEF81が直接大阪駅まで牽引するようになって無くなりましたが、この1975年には新たなブルートレインの新設がありました。新大阪下関間に急行音羽を格上げする形で、安芸が新設され、呉線経由で運転しています。
上野口では金沢行きの北陸が急行格上げでEF58が上野長岡間を、盛岡行き北星が同じく急行格上げでEF58が上野黒磯間を牽引しています。北陸は長岡運転所、北星は宇都宮運転所が担当し、客車が20系だったため、いずれも元空気ダメ管の引き通し改造が行われています。
この改正で、あかつきは長崎方面のみの系統となり、熊本鹿児島方面は、あらたに明星となりました。
東海道本線では、いなば・紀伊が同じく急行格上げで誕生し、こちらは14系だったため、特に牽引機の制限はなく、この写真の157号機が属していた浜松機関区が担当しています。
残念ながらこの1975年10月の改正から東京機関区のEF65を除いてブルートレインのヘッドマークが省略され、これらの新設ブルートレインはヘッドマークが用意されませんでした。紀伊と安芸、北星は1985年のヘッドマーク復活以前に廃止されたので、ヘッドマークを見る機会はありませんでした。
1978年10月には利用率低迷から安芸が廃止され、いなばが出雲2・3号に変更されています。また北星は牽引機がEF65-PFに変更されています。北陸はこの改正から14系に変更されたため、牽引機の制限が無くなり、従来の長岡運転所のみの担当から、上り下りで担当を分け、高崎第二機関区も担当するようになりました。また出雲2・3号・紀伊も上り下りで担当を分け、宮原と浜松が担当しています。
そして、1979年10月にはあかつき・明星・彗星がEF65増備によりEF58が牽引から撤退しています。
なお、EF58がけん引した急行ブルートレインには銀河(東京大阪間)、天の川(上野秋田間)、新星(上野仙台間)があります。
EF58が配置された主な機関区は、東海道山陽本線では東京、浜松、米原、宮原、広島、下関(運)があり、東北高崎上越線では宇都宮(運)、高崎第二、長岡(運)があり、末期の阪和線の竜華機関区を除いて、いずれ機関区にもブルートレインの運用があったため、172両のうちのほぼ全機がブルートレイン牽引歴があると思われます。(JR化後に残存した5両はすべてブルートレインの牽引歴がある)
1980年10月の改正で、北陸、出雲・紀伊の牽引もEF64EF65に譲り、完全にブルートレインの牽引からEF58は撤退しました。EF58もこのころから本格的な廃車が始まり、国鉄終焉までには5両を残して引退しました。
参考文献
鉄道ファン1993年11月号 20系特急型客車最後の特集
鉄道ファン1994年4月号 特集:黄金時代の東海道本線を行く
鉄道ファン2008年4月号 関西発着・山陽寝台特急けん引機 EF58形の回想
撮影 飯田駅 2006年8月26日

ところが、1972年10月改正で高速貨物列車増発に伴うEF65捻出の必要性と、EF58はローカル列車の電車化でEF58が余剰となり、またブルートレイン増発から関西~九州間のブルートレイン牽引にEF58が2度目のカムバックをすることになりました。(1度目ははくつる設定時)
背景として、当時新幹線の博多開業直前の山陽本線では、増発に次ぐ増発で線路容量が逼迫し、夜間にブルートレインと高速貨物列車が平行ダイヤを汲み、ブルートレインの側が最高速度を高速貨物列車に合わせて95km/hにしました。これによって所要時間が若干延びますが、本数面でのロスを防ぎ、最高速度牽引定数からEF58での運行が可能となりました。
ところで、牽引対象の20系客車は1968年10月の改正から110km/h運転を開始し、その装備としてブレーキをAREB電磁指令式自動空気ブレーキに変更しています。20系は従来最高速度95km/hで、他の一般客車と同じ自動ブレーキでしたが、この改正以降はAREBブレーキに対応した専用の機関車が必要になったわけです。100km/h以上の運転の場合は電磁ブレーキの引き通し線が、95km/h以下でも元空気ダメ管の引き通しが必要になってきます。
そのためEF58もこの改造を一部の車両に行っています。ただし前述のように、機関車の性能から最高速度が95km/hに制限されるため、元空気ダメ管の引き通しのみで、電磁ブレーキ対応改造は行われていません。
この時期に牽引した関西対九州ブルートレインにはあかつき・彗星があります。これらの列車は牽引機が限定されない14系や24系客車へ置き換えが進んで、関西のEF58が交互に牽引しています。
1975年に山陽新幹線が博多まで開業しますが、その前の1年間は最大11往復のEF58牽引のブルートレインが関西九州間に運転され、米原、宮原、広島、下関の4区が担当する空前絶後の状態でした。(1往復は下関のEF65牽引)
さらに大阪から米原までの日本海も直流の区間が短距離のため、1972年10月の改正でEF65からEF58に変更されています。さらにこの改正で北陸本線には急行からの格上げでつるぎが誕生していますが、こちらも急行時代のままEF58が牽引しています。
日本海とつるぎの牽引は1975年の湖西線開通によってEF81が直接大阪駅まで牽引するようになって無くなりましたが、この1975年には新たなブルートレインの新設がありました。新大阪下関間に急行音羽を格上げする形で、安芸が新設され、呉線経由で運転しています。
上野口では金沢行きの北陸が急行格上げでEF58が上野長岡間を、盛岡行き北星が同じく急行格上げでEF58が上野黒磯間を牽引しています。北陸は長岡運転所、北星は宇都宮運転所が担当し、客車が20系だったため、いずれも元空気ダメ管の引き通し改造が行われています。
この改正で、あかつきは長崎方面のみの系統となり、熊本鹿児島方面は、あらたに明星となりました。
東海道本線では、いなば・紀伊が同じく急行格上げで誕生し、こちらは14系だったため、特に牽引機の制限はなく、この写真の157号機が属していた浜松機関区が担当しています。
残念ながらこの1975年10月の改正から東京機関区のEF65を除いてブルートレインのヘッドマークが省略され、これらの新設ブルートレインはヘッドマークが用意されませんでした。紀伊と安芸、北星は1985年のヘッドマーク復活以前に廃止されたので、ヘッドマークを見る機会はありませんでした。
1978年10月には利用率低迷から安芸が廃止され、いなばが出雲2・3号に変更されています。また北星は牽引機がEF65-PFに変更されています。北陸はこの改正から14系に変更されたため、牽引機の制限が無くなり、従来の長岡運転所のみの担当から、上り下りで担当を分け、高崎第二機関区も担当するようになりました。また出雲2・3号・紀伊も上り下りで担当を分け、宮原と浜松が担当しています。
そして、1979年10月にはあかつき・明星・彗星がEF65増備によりEF58が牽引から撤退しています。
なお、EF58がけん引した急行ブルートレインには銀河(東京大阪間)、天の川(上野秋田間)、新星(上野仙台間)があります。
EF58が配置された主な機関区は、東海道山陽本線では東京、浜松、米原、宮原、広島、下関(運)があり、東北高崎上越線では宇都宮(運)、高崎第二、長岡(運)があり、末期の阪和線の竜華機関区を除いて、いずれ機関区にもブルートレインの運用があったため、172両のうちのほぼ全機がブルートレイン牽引歴があると思われます。(JR化後に残存した5両はすべてブルートレインの牽引歴がある)
1980年10月の改正で、北陸、出雲・紀伊の牽引もEF64EF65に譲り、完全にブルートレインの牽引からEF58は撤退しました。EF58もこのころから本格的な廃車が始まり、国鉄終焉までには5両を残して引退しました。
参考文献
鉄道ファン1993年11月号 20系特急型客車最後の特集
鉄道ファン1994年4月号 特集:黄金時代の東海道本線を行く
鉄道ファン2008年4月号 関西発着・山陽寝台特急けん引機 EF58形の回想
撮影 飯田駅 2006年8月26日
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