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にしみの鉄道情報局付属ブログ

ED76-500番台の謎

2017-06-01 | 鉄道


小樽市総合博物館に保存されているED76-500。
もともとED76形は九州地区用の電気機関車として1965年から製造されました。メカニズム的には、整流器などの機器はED75とほぼ同じで、蒸気発生器SGを追加しています。SGを搭載した重量増加と、軸重の制限がある区間に入線するため中間台車を追加しています。また九州内では貨物列車の重連運用が無いため、重連総括制御も装備されていません。

函館本線の小樽旭川間が1968年に電化され、北海道向けにも電気機関車を製造されることになり、これが九州用と同じED76形の500番台として製造されました。
当初は東北向けのED75形を北海道仕様にしたED75-500番台が試作されたのですが、全サイリスタ制御だったため、誘導障害の問題があり、SGを搭載していなかったため、旅客列車のけん引には不向きで、量産は見送られました。
北海道向けのED76形は九州向けのED76形と異なり、位相制御は磁気増幅器(マグアンプ)から、サイリスタに変更になっています。ただし、ED75-500番台やED78形・EF71形のような全サイリスタ制御ではなく、誘導障害を考慮してタップ切り替え式のサイリスタ制御をしています。また北海道内では重量貨物列車の牽引を計画していたため、重連総括制御を装備しています。
結局、九州向けのED76形基本番台との共通点は、SGを装備していることと、中間台車があるぐらいで、別形式といっていいぐらいの差があります。

ED76形に無理やり押し込めた感がある、北海道向けの500番台ですが、独立した新形式にしなかった理由ははっきりしていません。
1980年登場のEF64-1000番台が組合対策で別形式にならなかったと言われており、同様にED76-500番台やDD51-800番台(DD51形のSG省略バージョン)も別形式にしなかったと言われています。
しかし、ED76-500番台やDD51-800番台が製造された1968年は、EF64-1000番台が製造された1980年に比べて国鉄の労使関係がそれほど悪化していた時期ではないので、組合対策ではないのではという説もあります。国鉄の労使関係が決定的に悪化したのは1970年のマル生運動あたりからではないかと思います。
となると、なぜDD51-800番台とED76-500番台は新形式にならず、番台区分ですませたのかは諸説あります。

DD51-800番台はSG以外の性能は全く同じですし、それ以前にSGを省略した500番台が製造されたこともあります。またEF64の基本番台には電気暖房用のMGを省略した貨物専用機があり、蒸気暖房用のSGが形式の変更点にならなかったのではないかと思います。

ED76-500番台の場合、DD51-800番台とは別の事情があるようです。国鉄の交流機は70台ですが、D形の場合、ED76-500番台登場時、70から78まですべて埋まっていました。
ED76-500番台を別形式にすると、番号が枯渇してしまうという問題が有ったのではないかと想像しています。北陸本線用ED70(1957年)から始まり、東北本線用のED71(1959年)、九州用のED72(1961年)、ED73(1962年)、北陸本線用のED74(1962年)、東北本線・常磐線用のED75(1963年)、九州用のED76(1965年)、磐越西線用のED77(1967年)と、77まで埋まっていました。
1968年10月改正での、板谷峠仙山線用のD形交流電気機関車と北海道用のD形交流機関車が運用開始する予定でした。板谷峠仙山線用のD形交流電気機関車はED78形として生産されましたが、北海道用はED76-500番台となりました。ED78形は1968年から使用開始されましたが、一部の車両は1967年ごろから製造されています。一方、ED76-500番台は1968年に入ってから製造されています。

おそらくED76-500番台は、今後の新形式を考慮して、79番を開けるために無理矢理ED76形に押し込まれたのではないかと想像します。
ただ、結局D形交流電気機関車の新形式は、1986年の青函トンネルのED79形まで生まれることはありませんでした。

 

参考 2014年11月12日 ED75-500の謎


撮影 2014年10月18日

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