手さぐりブログはじめました!

足の向くまま、気の向くままに!

日本人の信仰と石仏

2014-03-19 14:22:47 | 日記

          

 石瀬地区の石仏の写真撮影に同行・・これは地元の歴史愛好家の自宅に保存されている壁掛け型の道祖神。
 年末になると長男がこの像を清めるしきたりであったそうだ。

           

 その庭に鎮座していた道祖神・・このいわれが中々で、司馬遼太郎の「峠」に登場する幕末の長岡藩医師、小山良運をここ石瀬の地に匿った山田新太郎楼(遊郭)の屋敷神として祀られていたものとか。
今はこの家で守られていて、供えられている穴の開いた石は縄文期のもので「キンカサマ」と呼ばれ耳の神として信仰されているそうだ・・山沿いの畑からは土器が今でも出て来ます。

 いくつかの地蔵はこれも新太郎楼の屋敷地蔵ではないかと言われ、遊女が客と別れる場所に建てられていたらしい(遊女地蔵と伝えられているそうだ)


           
      
 県道の矢川放水路の橋柱に近年設置された道祖神というよりも芸術的な彫刻で、信仰とは関係ない様です・・橋の両脇に同じものが四体有るのできっと機械掘りでしょう。

           

 地元の昔話”お杉とお松の伊勢参り”に登場する巨大な杉の木。
 話の中の松は既に枯れてしまって現在は子孫でしょうか新しい松が植えられている・・良寛の”田中の松”の石碑が脇に建てられています。
 *写真は石瀬側の石碑で近くの丸小山公園(岩室側)にも同じ石碑が有るのです・・片方が本家?で、もう片方は総本家? とにかくややこしい話です。

          

 巨大杉からほど遠くない山裾の五輪塔・・はっきりとした事は不明だが、南北朝時代の南朝方の小国政光の墓と言う説が有力とされている。
 南朝と北朝?・・昔習った気がします、アメリカの南北戦争よりはるかに古い話です。

            

 国の重要文化財”種月寺”の本堂の奥の開山堂に祀られている「霊石 火防石」・・普段は本堂の奥の為見ることは出来ません。
 龍の姿を思わせる紋様が浮かび上がっているのです・・特別にお願いして来月のまち歩きの際には見ることが出来ます。
 種月寺の寺宝「火防石」(かぼうせき)は寺を建てる敷地を一夜にして造成してくれた竜神から授かったとされる石で「竜神石」とも呼ばれている。
雨乞いや火伏せにご利益があると伝えられている。 新潟名刹紀行より

 *文章は歴史愛好家の資料を参考及び引用しています。
 

 途中・・続きます
          
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昭和の世代は逞しいのです!

2014-03-16 10:34:22 | 日記

           

 沢を乗り越え対岸に渡ります!
初めての間瀬銅山跡まち歩き・・この日は朝から雪模様だったが、なんてったって昭和を生き抜いてきた世代は逞しいのです。
 30人の予定が40人弱の参加者で駐車場係のつもりがガイドに狩り出されてしまいました。

            

 坂の途中に有る会員制マンションの玄関を借用して受付したが、この道路は近年に無い混雑で有ったと思われる。

           

 弾薬庫跡を覗き、国体の聖火台に使われた火焔土器を見て、国体時は高校生だったり中学生だったりで間違いなく昭和の時代だったのです。


           

 坑道までは案内出来なかったが、参加者にはこの様なパネルで紹介させてもらった。

 *今回満員の為お断りした人達の為にも、新緑の頃にもう一度の開催が検討されている。
 今週末の北国街道を歩く催しには参加出来ないが、来月は石瀬地区の林道と石仏を訪ねて歩く予定・・石仏?・地区の歴史愛好家のたっての希望なのです。
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畑始め!

2014-03-12 19:49:08 | 日記

           

 今年初めて市民農園に行って来た・・昨日迄は雪が降ったり真冬並の天気が続いていたのです。
 今日は玉ねぎに昨年より5日遅くなったが追肥をして来ました・・皆様この日を待っていたのか多くの車が停まっていました。

           

 一緒にトウ菜(川流れ)とニンニクにも追肥しました・・多い様に見えるが、砂地(砂そのものです)の為下に抜けてしまうのです。
 この菜っ葉(トウ)はとても柔らかくて美味しいのです・・これからが楽しみです。(一番は酒粕と一緒に煮た一品かな)
 トウ菜の隣の畝にはチンゲン菜を植えたはずだったのに、全部溶けてしまって一株も残っていないのです。

          

 写真は冬キャベツのつもりだったが、現状はただの葉物野菜でこれから玉になるのだろうか・・注目ですね。


          

 自分の畑から管理棟を撮影。
 近くの畑の人から玉ねぎの生育状態を褒められる?・・ここで斡旋の苗が細くて霜にやられたらしい。
 そう言えば気持ち太く見えるのだが、油断は禁物だ!・・昨年はミニ玉ねぎになってしまい、シチューにはそのまま一個入れた位だ。

 帰りにジャガイモの種イモを求めて来た・・これから準備をして月末に植える予定。
 新潟にもようやく春が来たようだ・・明日は雨の様だが、西蒲原地域では昔から雪の少なかった年は春先に雨が多く農作業に困ったそうだ。

 これを”春ぎったねぇ”(春汚い)と呼ぶのです・・田んぼが乾かなくて困るのです。

 私の勘ですが、今年はきっと夏に雨が降らず”旱魃”の気がするのです・・全く根拠の無い戯言ですが。
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間瀬銅山坑道跡にたどり着けず

2014-03-10 09:21:42 | 日記

          

 昨日間瀬銅山跡(今月二回目)の下見に参加・・上の写真は当時の宿舎跡の石組み。


           


 一回目の下見の時に竹藪の竹を切り倒したりして通路を確保、ようやく神社の参道らしくなった。


          


 この前に発見した手水石・・藪に埋もれていたものを皆で起こして据えました。


             


 途中はこんなつららも見られ寒かったが、先回の下見で見つけられなかった弾薬庫跡?も今回はたどり着けた。
 右の写真は坑道からの排水口とか・・どうやって掘ったのだろうか?

            

 目的の坑道跡は写真の沢の50M位上流に有るそうだが、雪も有るし、急斜面との事で断念・・先回なんとかたどり着いた公民館のI氏は滑って尾てい骨を打ったそうだ。

 週末のまち歩きでもここまでの案内としたい・・参加者は割と年配者が多いと思われるので。
 この石碑でUターンする予定。

 *我が家にコミュニティだより(募集案内掲載)が届いた時点には既に満員になっていました。
 
 
 
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せんぷうきあああああああ・・・

2014-03-06 13:13:08 | 日記



 「俳諧は三尺の童にさせよ」・・俳人芭蕉の言葉だそうだ。
 今日の我が家の新聞(Y誌)の編集手帳に載っていた・・大人になって蓄積した知識を駆使して、いたずらに技巧に走るのを戒めたものらしい。


             

 子供達が学校近くの駅舎に掲示したものだが、感じたまま素直に表現されていてとても新鮮に感じるのです。
 先日久し振りに電車で新潟迄出かけ、その時に見つけたのです・・子供たちの俳句が掲示されている側の右端には当時売店も有ったのです。
 

           
 
 ローカル線の駅舎で、駅員が居なくなって久しい・・駅事務所の正面右側で一段低くなっているのは、その昔荷物を取り扱った名残りでしょうか。


          

 駅の東側は住宅地になっている・・開発しようとしたら400年以上前の遺構が発見されたのです。
 上杉謙信亡き後の”御館の乱”で岩室の天神山城の大国氏に滅ぼされたとされている。

 開発業者は相当困った様です・・開発は一時中止され発掘調査が行われたのですから。

 *冒頭の句は”せんぷうきあああああああおおおおお”(小三 Y新聞の編集手帳より)で久々に笑いました・・この句には山頭火も脱帽でしょう!!
 岩室和納からは○○道夫さんという平成の俳人が生まれていますが、その後輩達も中々、相当凄いと思います!
 
 
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