丁度一年前の旧守門村「目黒邸」の繭玉飾り・・東京(近郊)から友人を招いて湯の谷に泊った翌朝訪ねたのでした。
五穀豊穣を願って越後の農家では旧正月に座敷に飾ったものです。
言い伝えでは月潟の「角兵衛獅子」の親方が信州で目にして模して始めたとか・・そのなごりか月潟でもち米で焼いて製造していた様ですが、今は?・・・
何時もの年なら豪雪の守門でも去年は雪が少なくてこんなもの・・今年は雪に埋もれていることでしょう。
屋敷内に展示されていた「駕籠」と人が乗る「ソリ」・・説明文には糸魚川藩の役人を乗せたと書いて有ります。
地理的には山を越えれば会津と言うのに、何で富山県境の糸魚川の名が出てくるのか不思議ですが、この地は糸魚川藩領で有った様です。
こんな狭い岩室だって与板藩、高崎藩、三根山藩、天領と分かれていてバラバラですから・・新潟県はあちこちの飛び地が多かったみたいです。
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