こんばんは、飯炊きおばさんです
ネコ、猫、ねこ
私が物心ついた時にはもう飼い猫がいた。
母が言うには、ずっと飼い続けていて、いなかった時はなかった、と。
その頃は今の飼い猫という感覚とまたちょっと違っていたのかもしれない。
今では、猫も犬もみんな<家族>という考え方だから・・・。
私が母から教わった飼い方。
5月まんまを食べれないといけない。
だいたい3月ごろに生まれて5月中にご飯を食べられるようにならなければ飼ってはいけない。
夏生まれのネコはおしっこの部分で失禁が多いので飼ってはいけない。
ウチでは、おいなりさんのお堂があって、犬は飼えない、猫は三毛猫。ということがあって、いつも三毛猫イコール女の子。当時はオス猫の去勢とかメス猫の不妊手術とかそんなのはなかった。
当然、我が家の女の子は毎春妊娠して、子猫が生まれるたびに、子猫の目が開かないうちにと捨てていた。
紙袋に入れて、ニャーニャー鳴く子っこネコを裏の川に捨てていた。
紙袋はだんだん水が染み込んでいくということで、それにいれて捨てていた。
その時に母に言われた事は、猫は性(しょう)があるから可哀想だと思ってはいけない、という事でした。
川に捨てた後、後ろを振り返らないように走って帰ってきた。
もう50年近く前の話です。
悪いことだとか虐待だとか言う前に、当時はそれがごく当たり前に行われていたことでした。
中学校の頃だったか、今年の春は生まれた子猫を全部育てたい、と言ってそれが叶った。
ワクワクして生まれる時を待っていたのを思い出す。
母猫は人の見えないところで子猫を生む、と聞いていたけれど、お腹が痛くなってきてギャオンギャオン鳴く猫は私の周りをまとわりついて、結局、私の部屋の押入れにみかん箱を置いてその中にタオルを敷いたら、その中に入って産んだ。
私はその子猫が生まれるところをおなかをなでながらじっとみていた。けれど、親猫は何も言わずに安心したように産んでいた。
子猫は3匹。
そのまま育てた。
母猫は私にはなついていたが、他の家族にはその割に懐いていなくて、ずっと私の部屋の押入れで育てていた。
子猫のおしっこは部屋の隅にいらなくなった敷布を切って敷いてそれにさせた。
猫はおしっこをするとその匂いを嗅いで土を集めて匂いがしなくなるようにするために、おしっこをすると敷布がくしゅくしゅになっていて、うんちだとさらにくしゅくしゅさせていた。
それをみて、家の前の堰で敷布を洗い、外干しして、また、おしっこ用として替えていた。
全部お世話さま係のワタシの仕事でした。
母猫はなかなかみんなの所に連れてこないので、私が子猫を毎日少しずつ家族のみんなに慣れさせるように連れてきて遊ばせていた。その間中母猫は早く帰ってこい、とでも言っているかのようにニャーニャー鳴いていましたっけ。
ある日、居間にいた私はオス猫が2階から降りてくるのをみて、すぐに2階の自分の部屋に行きました。
すると、3匹いた子猫のうち2匹は押入れの隅でブルブル震えていました。
1匹は残念ながら死んでいました。オス猫に殺されてしまったのです。ネコの世界ではよくある事だと・・・。
母猫のいない間の出来事でした。その時は本当にかわいそうで泣いてしまいした。
子猫はタオルを敷いた小箱に入れて裏のクルミの木の根っこのところに埋めました。
我が家の猫は死んでしまうとよく小箱に入れて裏のくるみの木の下に埋めていました。
時々は木の片に「チャぺの墓」とか書いて埋めていました。
また、ある時には3匹いた中で1匹を近所にあげる、という事でそこのお宅に連れて行って、やれやれ、と思っていたら三日くらいしてその子猫が帰ってきたんです。そしたら、母猫はどうしたと思いますか?
びっくりしました。
出戻りはもう私の子供ではないわ、とでも言うように、母猫にくっついていくその出戻り娘をパシンと叩いて、離れていくのです。ほかの2匹の子猫とはふつうに接しているのに・・・・。
猫というのはよそへ行く時にその距離感とかどこへ連れて行かれたとかわかるので、よそにあげる時にはネコを入れた袋とかをぐるっと回して方向感覚を狂わせるようにしなければいけない。と教えられました。
3日くらいしてから今度は帰って来ないように、ぐるっと回して嫁ぎ先に無事連れて行きました。
たぶん他の子猫たちもそうしてどこかのお宅にあげたのだと思います。
我が家にはいつも1匹のネコしかいなかったから・・・。
子猫の時分から紐にじゃらけさせて遊ばせていたら、いつの事だったか、ヘビをくわえて来たことがありました。ネコは自分をかわいがってくれている人に獲物を獲ってきたら褒めて欲しくて、持ってくると言います。
ワタシの前でニャーと鳴いたら、くわえていたヘビがボタッと落ちて、シュルシュルシュルとどこかへ見えなくなってしまった事がありました。ヘビはまだ生きていたんですね。
そんな事が2度3度あってから、それからはネコを紐で遊ばせないようにして、スーパーボールを使って遊ばせました。
ネズミもよく獲ってきました。
ネズミは居間でポーンポーンとほかしてしばらく遊んでから食べていました。
これも母ネコが教えないと、獲ったり食べたり出来ないと言われています。
外に出ると、よくじーーーっと獲物を狙って、お尻をふりふりして、スズメを獲ってくる時もありましたっけ。スズメの毛があっちこっちに散らばってあとで掃除するのが大変だったっけ。
いっつも一緒に寝ていました。
いつだったか、夜中のかすかな記憶でネコが布団に入ってきて横になったのでなでなでしながら寝ていたことがありました。(いつもの事なので。・・)朝起きて布団の中を見たら、大きなネズミがワタシの横に横たわっていました。モチロン死んでいましたけど、ネコちゃんはワタシに獲った獲物を持って来てくれたのです。なんと素敵なプレゼントでしょうか。
またある時は、朝方布団の足元の方が何やらうごめくので、見てみたらネコがワタシの布団の中で出産していたのでした。そんな事もありました。
ネコも死なせてしまっては新しい子猫をもらってきてまた育てて、最後にワタシが嫁いでくる時まで一緒にいたネコは本当にかわいかった。
いつも一緒にいて、お風呂に入る時も一緒について来て、風呂のふたの上に乗ってじっと待ってました。夜に居間でテレビを見ていると、階段の4段目くらいで「早く行こうよ」と言うようにニャーニャー鳴いて催促するので、行くと自分から先だって2階の部屋へとあがっていきました。そうして二人っきりになるとゆっくりと抱かれてくるのでした。
そんなネコだったので、ワタシが嫁いでからしばらくはワタシが行ってもいましたが、だんだんとワタシがいないのを分かってか、ごはんを食べにだけくるようになって、だんだんと家にいつかなくなってしまったそうです。そうして、ごはんも食べずにやせ細って、となりの小屋のところで引っかかって死んでいたのだそうです。本当にかわいそうでなりません。ほとんど私にしかなついていなかったので、ワタシがいなくなって家に寄り付かなくなって・・・。
嫁ぐ時にタンスの中に隠して連れてくればよかったな・・・なんて冗談で言っていましたが・・。
犬は人に付き、猫は家に付く。と言い、家を新築した時にはまずネコを一番に家の中にいれるといいのだそうです。
そうしてネコ飼い歴23年のワタシは、嫁ぎ先が食品を扱う会社だったので、生き物が飼えず、いつも心のどこかに「ねこ飼いたい」の思いをしのばせて今まで生きてきました。(なんて大げさな)
FBなどでネコの写真を見るとうらやましくて、いいな~~、と思いつつ、かわいくてついつい見入ってしまっていました。
実家では今でもネコがいますが、なかなか私に慣れてくれなくて、抱かせてもらえないんです
と、一気にネコちゃんの話を語ってしまいました
ネコを飼いたい、だけど会社に迷惑はかけられない・・・・・
自宅が会社と離れていたら、あるいは・・・・・
とかいろいろ思う事はあるけれど・・・
今日はうだうだと語ってしまいました・・
モヤモヤしていた空が、雨を降らせてやっと落ち着いたようですね。
少し涼しくなってきました。
何にもないお盆だから、なんかいろいろ考えるのかな~~~
明日は糀の配達があります。
注文がきました。
やる事がいっぱいありそうでなさそうで、ウダウダな飯炊きおばさんなのでした
まずは冷蔵庫の中身を片付けなくっちゃ・・・
しばらく買い物はお控えなすって・・・
コリンキーにゴーヤ、ズッキーニ、完熟トマトにきゅうり
友達がいっぱい収穫したから、と言ってお裾分けしてくれました。
さて、何を作りましょうか・・・・・・
ネコ、猫、ねこ
私が物心ついた時にはもう飼い猫がいた。
母が言うには、ずっと飼い続けていて、いなかった時はなかった、と。
その頃は今の飼い猫という感覚とまたちょっと違っていたのかもしれない。
今では、猫も犬もみんな<家族>という考え方だから・・・。
私が母から教わった飼い方。
5月まんまを食べれないといけない。
だいたい3月ごろに生まれて5月中にご飯を食べられるようにならなければ飼ってはいけない。
夏生まれのネコはおしっこの部分で失禁が多いので飼ってはいけない。
ウチでは、おいなりさんのお堂があって、犬は飼えない、猫は三毛猫。ということがあって、いつも三毛猫イコール女の子。当時はオス猫の去勢とかメス猫の不妊手術とかそんなのはなかった。
当然、我が家の女の子は毎春妊娠して、子猫が生まれるたびに、子猫の目が開かないうちにと捨てていた。
紙袋に入れて、ニャーニャー鳴く子っこネコを裏の川に捨てていた。
紙袋はだんだん水が染み込んでいくということで、それにいれて捨てていた。
その時に母に言われた事は、猫は性(しょう)があるから可哀想だと思ってはいけない、という事でした。
川に捨てた後、後ろを振り返らないように走って帰ってきた。
もう50年近く前の話です。
悪いことだとか虐待だとか言う前に、当時はそれがごく当たり前に行われていたことでした。
中学校の頃だったか、今年の春は生まれた子猫を全部育てたい、と言ってそれが叶った。
ワクワクして生まれる時を待っていたのを思い出す。
母猫は人の見えないところで子猫を生む、と聞いていたけれど、お腹が痛くなってきてギャオンギャオン鳴く猫は私の周りをまとわりついて、結局、私の部屋の押入れにみかん箱を置いてその中にタオルを敷いたら、その中に入って産んだ。
私はその子猫が生まれるところをおなかをなでながらじっとみていた。けれど、親猫は何も言わずに安心したように産んでいた。
子猫は3匹。
そのまま育てた。
母猫は私にはなついていたが、他の家族にはその割に懐いていなくて、ずっと私の部屋の押入れで育てていた。
子猫のおしっこは部屋の隅にいらなくなった敷布を切って敷いてそれにさせた。
猫はおしっこをするとその匂いを嗅いで土を集めて匂いがしなくなるようにするために、おしっこをすると敷布がくしゅくしゅになっていて、うんちだとさらにくしゅくしゅさせていた。
それをみて、家の前の堰で敷布を洗い、外干しして、また、おしっこ用として替えていた。
全部お世話さま係のワタシの仕事でした。
母猫はなかなかみんなの所に連れてこないので、私が子猫を毎日少しずつ家族のみんなに慣れさせるように連れてきて遊ばせていた。その間中母猫は早く帰ってこい、とでも言っているかのようにニャーニャー鳴いていましたっけ。
ある日、居間にいた私はオス猫が2階から降りてくるのをみて、すぐに2階の自分の部屋に行きました。
すると、3匹いた子猫のうち2匹は押入れの隅でブルブル震えていました。
1匹は残念ながら死んでいました。オス猫に殺されてしまったのです。ネコの世界ではよくある事だと・・・。
母猫のいない間の出来事でした。その時は本当にかわいそうで泣いてしまいした。
子猫はタオルを敷いた小箱に入れて裏のクルミの木の根っこのところに埋めました。
我が家の猫は死んでしまうとよく小箱に入れて裏のくるみの木の下に埋めていました。
時々は木の片に「チャぺの墓」とか書いて埋めていました。
また、ある時には3匹いた中で1匹を近所にあげる、という事でそこのお宅に連れて行って、やれやれ、と思っていたら三日くらいしてその子猫が帰ってきたんです。そしたら、母猫はどうしたと思いますか?
びっくりしました。
出戻りはもう私の子供ではないわ、とでも言うように、母猫にくっついていくその出戻り娘をパシンと叩いて、離れていくのです。ほかの2匹の子猫とはふつうに接しているのに・・・・。
猫というのはよそへ行く時にその距離感とかどこへ連れて行かれたとかわかるので、よそにあげる時にはネコを入れた袋とかをぐるっと回して方向感覚を狂わせるようにしなければいけない。と教えられました。
3日くらいしてから今度は帰って来ないように、ぐるっと回して嫁ぎ先に無事連れて行きました。
たぶん他の子猫たちもそうしてどこかのお宅にあげたのだと思います。
我が家にはいつも1匹のネコしかいなかったから・・・。
子猫の時分から紐にじゃらけさせて遊ばせていたら、いつの事だったか、ヘビをくわえて来たことがありました。ネコは自分をかわいがってくれている人に獲物を獲ってきたら褒めて欲しくて、持ってくると言います。
ワタシの前でニャーと鳴いたら、くわえていたヘビがボタッと落ちて、シュルシュルシュルとどこかへ見えなくなってしまった事がありました。ヘビはまだ生きていたんですね。
そんな事が2度3度あってから、それからはネコを紐で遊ばせないようにして、スーパーボールを使って遊ばせました。
ネズミもよく獲ってきました。
ネズミは居間でポーンポーンとほかしてしばらく遊んでから食べていました。
これも母ネコが教えないと、獲ったり食べたり出来ないと言われています。
外に出ると、よくじーーーっと獲物を狙って、お尻をふりふりして、スズメを獲ってくる時もありましたっけ。スズメの毛があっちこっちに散らばってあとで掃除するのが大変だったっけ。
いっつも一緒に寝ていました。
いつだったか、夜中のかすかな記憶でネコが布団に入ってきて横になったのでなでなでしながら寝ていたことがありました。(いつもの事なので。・・)朝起きて布団の中を見たら、大きなネズミがワタシの横に横たわっていました。モチロン死んでいましたけど、ネコちゃんはワタシに獲った獲物を持って来てくれたのです。なんと素敵なプレゼントでしょうか。
またある時は、朝方布団の足元の方が何やらうごめくので、見てみたらネコがワタシの布団の中で出産していたのでした。そんな事もありました。
ネコも死なせてしまっては新しい子猫をもらってきてまた育てて、最後にワタシが嫁いでくる時まで一緒にいたネコは本当にかわいかった。
いつも一緒にいて、お風呂に入る時も一緒について来て、風呂のふたの上に乗ってじっと待ってました。夜に居間でテレビを見ていると、階段の4段目くらいで「早く行こうよ」と言うようにニャーニャー鳴いて催促するので、行くと自分から先だって2階の部屋へとあがっていきました。そうして二人っきりになるとゆっくりと抱かれてくるのでした。
そんなネコだったので、ワタシが嫁いでからしばらくはワタシが行ってもいましたが、だんだんとワタシがいないのを分かってか、ごはんを食べにだけくるようになって、だんだんと家にいつかなくなってしまったそうです。そうして、ごはんも食べずにやせ細って、となりの小屋のところで引っかかって死んでいたのだそうです。本当にかわいそうでなりません。ほとんど私にしかなついていなかったので、ワタシがいなくなって家に寄り付かなくなって・・・。
嫁ぐ時にタンスの中に隠して連れてくればよかったな・・・なんて冗談で言っていましたが・・。
犬は人に付き、猫は家に付く。と言い、家を新築した時にはまずネコを一番に家の中にいれるといいのだそうです。
そうしてネコ飼い歴23年のワタシは、嫁ぎ先が食品を扱う会社だったので、生き物が飼えず、いつも心のどこかに「ねこ飼いたい」の思いをしのばせて今まで生きてきました。(なんて大げさな)
FBなどでネコの写真を見るとうらやましくて、いいな~~、と思いつつ、かわいくてついつい見入ってしまっていました。
実家では今でもネコがいますが、なかなか私に慣れてくれなくて、抱かせてもらえないんです
と、一気にネコちゃんの話を語ってしまいました
ネコを飼いたい、だけど会社に迷惑はかけられない・・・・・
自宅が会社と離れていたら、あるいは・・・・・
とかいろいろ思う事はあるけれど・・・
今日はうだうだと語ってしまいました・・
モヤモヤしていた空が、雨を降らせてやっと落ち着いたようですね。
少し涼しくなってきました。
何にもないお盆だから、なんかいろいろ考えるのかな~~~
明日は糀の配達があります。
注文がきました。
やる事がいっぱいありそうでなさそうで、ウダウダな飯炊きおばさんなのでした
まずは冷蔵庫の中身を片付けなくっちゃ・・・
しばらく買い物はお控えなすって・・・
コリンキーにゴーヤ、ズッキーニ、完熟トマトにきゅうり
友達がいっぱい収穫したから、と言ってお裾分けしてくれました。
さて、何を作りましょうか・・・・・・