日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

不平等を克服するのが、武士道である

2008-08-18 02:07:08 | Weblog
昨日、32歳になる同僚の結婚式に行ってきたのですが、立派な結婚式だったので感激して帰って来ました。

新郎は6年前に、派遣社員で職場に入ったのですが、母子家庭で育ったかなりの頑張り屋で、入社当時は中途採用など殆ど例のない状態で、中間管理職の(なんと!)7度の申請によりようやく正社員と認められた異色の存在だったようです。

世間は、身内だけで式を挙げるジミ婚が普通になってしまいましたが、彼は結婚式に、強面の職場の課長・係長6人を全員出席させ、同僚や友人の多くを招待し、誰からも好かれるその真っ直ぐな性格は、非常に力強いものを感じさせられました。

髭を生やした武人のような風体の通りに、剣道をやっていたようで、新卒しか採用しないという大企業の慣習を打ち破ってきた道のりは、武士道そのものだったのかも知れません。

「不平等を克服するのが、武士道である」というのは、格闘技「骨法」の伝承者である堀辺正史さんの言葉です。

現在オリンピックで行われている柔道は、階級別になっており、ルールがしっかり規定されているので、スタート時点でなるべく平等化されているわけです。そこで本来の武士道の精神を外れてしまい、スポーツとして形骸化されてしまったことが、たびたび議論にされています。

しかし、社会的・現実的な実践というものは、不平等なものばかりです。

体重50キロの人間が100キロの人間と闘わなくてはならなかったり、秋葉原連続殺人事件のように、相手が刃物などの武器を持っている場合であったり、ドメスティック・バイオレンスで女性が男性と闘わなくてはならなかったり、そういう不平等な場面を想定して、初めて武道の本来の存在意義も見えてくるものと思われます。

教育的指導などでポイントを先行しているから、あと30秒逃げ切れば勝てるという現在のスポーツ柔道とはちょっと違いますね。

しかし、社会なんかもルールなんて、あって無いようなものです。

例えば、顧客が固定しているところに営業マンが切り込んでいくには、接待や、コネや、ワイロのような手段も使っているでしょう。防御する側も、接待や新規参入者の仕入れルートの潰しや同業者との談合という手段を使ってくるでしょう。こういった不平等を克服しない限り、中小零細企業の明日は無いわけです。

値決めの主導権なんかも、大企業と中小企業ではまったく不平等ですし、規制で守られている職種と、規制緩和された職種では、もの凄い平等差が存在します。

これらはルールを決定する政治システムがしっかりしていれば、どうにでもなるのですが、「政治なんて、誰がやっても同じだ」なんてシニカルになっている限り、いつまでたってもこの不平等を克服することはできないように思えます。

それどころか、小泉政権の時は、選挙に選ばれてもいない経済諮問会議の宮内や奥田といった経団連のメンバーが、自分たちの有利になるような、大企業減税や、規制緩和を積み重ねてしまいました。

小泉改革を支持した多くの人は、中小零細企業の庶民だったのですが、不平等をますます、不平等にさせてしまい、その結果が現在の格差社会に繋がっているのでしょう。

今の日本人には、不平等を克服する、武士道精神が一番必要なのかも知れませんね。