少し前のテレビ番組で、言葉を「最上級敬語」に直せと言うのを毎週やっていた。 例えば社長に、「ゴルフをしますか?」というのが問題で、これを回答者に最上級の敬語に直せというもの。
「社長は、ゴルフをなさいますか?」・・・ブー(外れ)
社長役の人(名高達郎氏だったかな?)は、「ばかもん!! なさいますかとは何事か」と、怒る。
「ちゃんと最上級敬語で、社長は、ゴルフをあそばされますかと言え!!」
おぼろげではあるが、そんな感じのクイズ番組だったと思う。 あのクイズの答えは、宮中などで身分の高い人に使う敬語で、現代では殆ど死語同然のものだったと思う。
オフィスの上司や、お客様に使う敬語は、むしろ最上級敬語ではかえって気持ちが悪い。
敬語は、目上の者の行為または、目上の者側に当たる人に敬意を持って使う言葉である。
するか? ・・・ なさいますか?
行きますか? ・・・ 行かれますか?
読むか? ・・・ お読みになりますか?
見るか? ・・・ ご覧になりますか?
食べるか? ・・・ お召上がりになりますか? みたいな。
目上の人や、目上側の人を指す場合は、
娘さん ・・・ お嬢様 (ご令嬢)
息子さん ・・・ ご子息 (ご令息)
お母さん ・・・ お母様 (ご母堂)
お父さん ・・・ お父様 (ご尊父) 括弧内は手紙文など
この辺は、誰でも使っている敬語にあたるもの。 しっかり知っておきたいのは、謙譲語である。 例えば、目上の人への尊敬を現す「拝」は、実は謙譲語なのである。
拝見します。 拝聴します。 拝読します。 これは、自分の行為の謙譲語だ。 目上の相手の行為には、付けてはならない。
先生は、今年の芥川賞「爪と目」を拝読されましたか?
目上の人側に謙譲語を使った、明らかに間違いである。
私は、「爪と目」を拝読致しました。 この場合は、相手がこの小説を書かれた作家の藤野可織女史の場合にだけ使う(自らのを遜る)謙譲語で、以外の人には使わない。
この「拝」について考えてみよう。 これは、「おがむ」である。 目上の人から何かを頂戴するとき、昔の人は手を合わせて感謝の意を表した。 おがんで受け取るのは自分であるから、これは相手を崇(あが)め、自分を遜(へりくだ)る「謙譲語」なのである。
生きている人に手を合わせると、「縁起がわるい」と、その人は怒るかも知れないが、この行為は相手を崇めているのであって、縁起など関係ない。 死者に手を合わせるのも、仏様に成られた(これから成られる)ことに敬意を表しているのだ。 決して憐れんでいるのではない。
手紙の冒頭に書く「拝啓」の意味は、拝=おがむ 啓=申し上げる という意味。 すなわち、相手を崇め、自分を遜って、申し上げましょうという意味で、謙譲語である。 序に、末尾に書く「敬具」とは、相手を敬(うやま)って申し述べましたという謙譲語。 自分の子供あての手紙には「拝啓、敬具」は使わない。
丁寧語、とは、相手が目上であろうとなかろうと、言葉を丁寧にするためのもので、お料理の先生がよく仰る
「アスパラガスは皮が固いので、ピーラーで薄く皮を剥いてあげましょう」
この「あげましょう」を「擬人丁寧語」、若しくは「バカ丁寧語」と猫爺は言っている。
尚、このエッセイは、ある人が「私は、敬語と丁寧語の使い方がよく分からない」と、仰るお方がいらっしゃったもので、そのお方の学習の切っ掛けになればと思い記した。