線香を買いにいって、「無臭無煙」と謳った線香を見付けた。 あの線香臭いのは、どうしても年寄りを連想してしまう。 煙は別にじゃまなものだとは思わないが、煙草の煙を連想するのだろうか、やはり吸いこんだら癌なるとでもいうのだろうか。
しかし、ちょっと待ってみよう。 線香は仏さんに香りをお供えするものではなかっただろうか。 線香から香りと煙を取ってしまえば、お灸を据えるときの火種である。
花屋さんで「仏花」として売られている花とシキミを縛りつけて、前からだけ見栄え良くしたものは、どこの家の仏壇を見ても、後ろ向きに花瓶に挿していることはない。 例えば、浄土宗や浄土真宗であれば、仏壇の奥に阿弥陀如来の像が描かれた掛け軸が下がり、亡き人のお位牌も奥に置かれる。 それなのに、どうして仏花は、仏様の方を向けないのだろうか。
饅頭を供えてみたところで、真夜中にテレビの中から仏様がお出ましになって、ムシャムシャお召上がりになり、それを目撃した人の方に向き直って「み~た~な~」と、仰る訳ではない。
それは、お祀りする今生の人物(ご家族など)の自己満足に他ならない。 だからこそ、今生の人の都合で成されているのであろう。
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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第五回を終え、次の第六回では、三太(能見数馬の義弟の能見数馬)が、虫垂炎(盲腸炎)に罹った亀岡藩の藩主の手術を、池田の亥之吉の達っての依頼で行う羽目になる。 花岡青洲の麻酔薬とて直ぐには手に入らないし、それを調合する術を三太は知らない。 まして、少しと言えども、お大名の腹を切るなど、滅相も無いことだ。 だが、虫垂が破裂すればお殿様の命は無い。 三太は、この難関をどう切り抜けるか。