ねこらい堂  「おやじマニアの日常」

NEKOのブログです。最近は更新が滞りがちですが気長にお付き合いくださいませ

「ふたつの最終話」もう一度

2009-08-18 23:46:57 | 制作日記
アミーゴの共闘三世社さんのブログ
「共闘三世社烏森分頓所」ブログに
二人の書き手による
バルディオス39話のレビューを
書いて頂いた。

http://blue.ap.teacup.com/ryuhitkd/


けだし名文です。

これはもう一方の書き手からもエールを返すべきであろうと思います。

まあ、こんな偶然はそうそう起こることでもないでしょうから。
記念として駄文をしたためさせていただきます。




岬兄は、「ふたつの最終話」に似て異なる部分を記された。


小生は、逆のアプローチで
この2作品の異なるようで相通ずる部分について記してみます。


この最終話、二人の書き手に最も共通していることは、
マリンを描こうとしていることであると思います。

各々の作家性、作風、アプローチの違いでその見え方は全く異なっています。

岬さんの作品は、仲間との関係性、その絆を通した人間賛歌を通じて
陽性の作風でマリンを描写しています。

方やNEKOの方は、極めてミニマルな、心の中の妄執ともいうべき葛藤を
通じて、更にはアフロディアという媒介を通じて
マリンを描こうとしております。

そうです。
この39話はマリンを描く。
これが、共通したテーマなのです。

それが、この作品をマンガ化しようとした書き手に課せられた共通の課題でして
それを如何に消化して、表現したかが作風の違いとして現れているのだと
思います。

いわゆるマンガらしい漫画指向の岬龍飛、
どちらかと言えば耽美的リアル絵指向のNEKO。

これだけ肌触りや、指向性や、表現方法の異なる書き手が
かなり異なる解釈を以って作品を構成しているにも関わらず、
読後には何か共通した「感じ」が残りませんか?

そうです。
これがもう一つの重要な点。

それは「未来への希望」です。

オリジナル版のプロットでは結構身も蓋もなくバッドエンドで終わる
ラストシークエンスを、岬版はストレートに「明日への希望」を
描写していますし、
NEKO版は、少しひねくれていますがジェミーを狂言廻しとして
「未来への橋渡し」を描写しています。

二人の書き手が、共通して
オリジナルの、放射能の渦の中を去っていくマリン、で
物語を切らなかったところが興味深いところであります。

あと、細かな部分ですが
両作品とも引用されている楽曲は異なりますが
主題歌の歌詞が引用されているのも、偶然とはいえ
面白いですね。


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