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今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

シロちゃん15年の重み

2020年05月21日 | ノラたちの幸せを願って
シロちゃんはネコメンタリー「保坂和志とシロちゃん」の主人公。
作家と猫の日常を綴るNHKのネコメンタリーは、作家が愛猫を通して人生や暮らしを語る珠玉のドキュメントです。シロちゃんは中でも印象に残る猫でした。先日も再放送やってましたね。
※保坂家のシロちゃんについては、ネットにたくさん出てるので検索してみて下さい。

シロちゃんはわが家のシロキに似たネコで15才。ご夫婦で暮らす保坂家の外猫です。代々そうして暮らしてきた猫で、多いときは一族11匹もいたそうだけどシロちゃんはその末裔、最後の1匹になったそうです。生まれて15年、シロちゃんはずっとこの生活を続けてきた。15年x365日=5475日で、シロちゃんがご飯を食べに来なかった日は3日しかないとか。ご飯を食べ続けたシロちゃんも、あげ続けた保坂さんも相当なもんです。

シロちゃんと似ているシロキ、愛嬌のある動作とブサイク顔?も共通点

しかし、保坂さんはいまだにシロちゃんに触れない。何でも初代のマミーというおばあちゃんネコが子供たちにそう躾けたのが始まりらしい。でもそのマミーは、晩年は家に入って保坂さんに抱かれて旅立った。保坂さんはできればみんな家に迎えたいと言う。一方シロちゃんは、頑として入らないどころか触らせもしない。雨の晩も、雨が強くならない限り門灯の上で番をしているのだそうです。

ネコのために旅行にも行かなかったり、何時に何を食べたとか克明に記録していたり、防寒寝床を作ったり、芥川賞作家の保坂さんが自分と同じことをしていることが何とも心強かった。自分の場合はまだ5年足らずだけど、15年というのはさすがに重みを感じます。

これだけ長く続くのは、おっとりそうに見えるシロちゃんの性格や保坂さんの熱心さもあるのだろうけど、ご近所さんや界隈のノラ密度、道路の交通量などの点でよほど恵まれた環境なのに違いない。だけど15年の歳月は、そんな単純なことだけで守れるもんじゃない。

家裏現役のサクラ(手前)と、今は家の中で暮らすシロキ

振り返ってわが家の外ニャン歴史は5年前、ソトチビとみうから始まった。そのソトチビは行方不明に、みうは家に迎えたが昨年5才半(推定)の若さで旅立った。その後現れたイエチビとハリーは里親さん宅で、リン一家(リン、クウ、キー)とシロキはわが家で暮らしています。目下家裏現役のサクラとキジロはもうすぐ2年と1年半。直ぐ近くのお宅3軒で工事が始まった昨日は騒音と振動のせいかサクラが来なかった。今年に入って初めての空き日でした。でも今日顔を出したとかでひと安心です。

ソトチビ(下)とみう、懐かしいわが家裏ニャン歴史の創始者たち

保坂さんは言います。「シロちゃんは危険が迫ると野生に戻ってしまう」と。自分としては残念で悔しいけど、「それが外で生きるネコの誇りなんだろう」とも。だから、「自分にできることは応援するだけ」だと。

なるほど、さすがは作家さんだ。かつてシャッポが唐突に消息を絶ったとき、自分は延々と胸奥の苦しさをそのカテゴリーに綴ってきた。でも実はその前に、「ノラの本懐」や「ノラの矜持」の記事の中でもうわかっていたのかもしれない。その結論を、保坂さんは何気ない一言で言ってのけたのだ。

家裏時代のリン一家、兄弟は家に入ってからもいつも一緒

だけど保坂さんは、応援するだけでシロちゃんというノラと15年も付き合い続けたとは思ってないだろう。きっと本人にもわからない何かがあるに違いない。ネコメンタリーの制作班には、是非とも続編を企画してその謎を解き明かしてほしいのです。

サクラとは別方向から"通い"でやって来るキジロ


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88歳、一人暮らし、猫16匹

2020年03月01日 | ノラたちの幸せを願って
今日の朝刊(朝日新聞)の1面の見出しです。
問題提起されたのは猫の多頭飼育の崩壊。ワイドニュースでも時折取り上げられるようになった。ただ、1面見出しというのは随分な力の入れようだ。おそらく、実際にはかなりの頻度で起こっているのだろう。

掲題の多頭飼育はノラたちをかわいそうだからと保護し続けた結果です。しかしいつの間にか、自分にとってなくてはならない存在になる。ワンちゃんのように保護者に服従しないニャンコたち。気持ちの上では常に対等な彼らだが、しっかりと心を通わして信頼関係を構築することができる。それだけに彼らの好意は人にとって何よりの癒しになり、時として生きる糧にさえなるのです。

他人事ではない、わが家も高齢保護者と8頭暮らしだ

掲題の老人(男性)は介護が必要で相談相手もなく、劣悪な環境で暮らしていた。警察から連絡を受けた介護相談員が動く。そして介護保険の申請と適用。訪問サービスをはじめ各種サービスを受けられるようになった。問題は、ペットの世話が介護保険の適用外なこと。「ネコの生きる権利は守って」と訴える男性。相談員は、猫たちの救済にも動き出す。

つてをたどってボランティア団体やキャットシッターの助けを借り、不妊手術の資金を募り、猫たちを守った。里親募集も始めた。まったく頭が下がる熱意です。

この話はハッピーストーリーとして描かれている。記事はその内容を静かに伝え、思い切った提案をしているわけでもない。しかしこの話をよく読めば、当の相談員が民間のボランティアに支えられつつ私的に活動した結果であって、行政や公的機関のサポートは皆無だった。もし相談員が役人的な人だったら、猫たちが殺処分となった可能性は否定できない。実際、そういう不幸なケースもままあるのだろう。

あと20年は生きてほしい0才児のチキンとポニー
でも看取るより看取られる可能性の方が高い?

アニマルセラピーという言葉が広く知られています。動物たちの癒し効果を治療に使ったり生活意欲向上に役立てたりする活動だ。しかしこの分野は、民間の認定資格は存在するが公的な保証は何もなく、関連する法律もない。唯一適用されるのは動物愛護法だけど、この法律はペット業界の闇(引き取り屋の存在)でわかるように申し合わせたようなザル法だ。日本の法律ではニャンコもワンコも、あくまでも器物扱いなのです。

掲題の老人は何か罪を犯しただろうか。ノラをかわいそうだと思って保護することは悪いことか。認知症を患い、要介護となったのは本人が悪いのか。猫や犬たちを使えるだけ使い、要らなくなったら物のように捨てる。こんな社会が変わらない限り、掲題のような老人はこれからも増える一方なのだと思います。

われわれ日本人も、そろそろ身近な動物たちを真の仲間として考え直し、然るべく法律を立て直す時期に来ているのではなかろうか。

暖かくなると行動が変わってきたモドキ(左)とサクラ
やはり保護しないとノラとの長い付き合いは難しい?

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外の猫ちゃんたちを守ろう

2019年12月02日 | ノラたちの幸せを願って
「嫌味だなあ」と、店のスタッフの口癖です。
雨のことです。何故か当地の雨は朝に降り出して夜になると止む。西の方から来る雨雲がちょうどそのタイミングでやって来るのです。今日は開店と同時に降り出し、結局閉店の30分前に止みました。ガーデンセンターにとって雨は必要だけど、昼と夜が逆になればねえ、というわけです。

土コーナーの資材置き場で雨を凌ぐ今日のレオ
(かつてはニャーやシャッポ、それにモドキもよくここで休んだ)

先日の雨も、この時期に1週間も降り続くなんて当地では初めてのことだけど、問題はその後。雨はやはり夜になって止み、すぐに晴れたので放射冷却が進んだ。案の定翌朝は0℃まで冷え込んで霜が降りたのです。当地のような郊外では気象庁の記録より3~5℃は低くなる。1週間も日照がなかった挙句の放射冷却。それこそ地の底まで冷え切って、外猫たちには本当に堪えただろうと思います。

濡れた身体が乾かない。暖房屋内(レジ観葉室)に出入り自由のレオでさえ、事務所までご飯をねだりに来るとびしょ濡れ。サクラやキジロだってできれば濡れたくないに決まってる。でも食べるためには当家の裏まで来なければならない。土砂降りの中必死の思いで来て人がいなかったりしたらショックだろうな。

観葉室にレオ用の小穴を作って出入り自由に

そんなときに休めるように、また今年も寒さが本格的になってきたので、恒例の寝床を家裏に用意しました。店ではBYに横向きの空ダンボールがたくさんあるし、カタログ閲覧室(打合せ室)の入口2ヶ所に隙間を設けて開放しました。家裏の寝床は早速サクラが利用していたし、店の対寒避難所も使いたい放題です。

今年の寝床も2連棟:中が広めとぴったりサイズのふかふか布団(カイロ付)
~夜の訪問者(ソトチビ)が来てくれることを願いつつ~

ノラにそこまでする必要があるかって? その答えはノラとは何ぞやから始める必要があるでしょう。

家猫のルーツは5千年前のエジプトまで遡ると言われています。日本には1500年ほど前に人間の手によって渡ってきた。彼らの歴史は人間の歴史であり、常に人間と共に暮らしてきた。つまり人間の家こそが彼ら家猫たちの故郷。だから人間と同じように暑さ寒さが苦手なのです。捨てられたり迷ったりしてノラになっても、彼らが家猫であることに変わりない。野生動物とは違うのです。冬になるとノラの死亡率が格段に上がるのもそのためだ。

寝床の支度中にこっそり覗いていたサクラ

猫の専門サイトでもノラはこうして暮らしているとか、こういうものを食べているとか、まるで野生動物のように書いてある場合が多い。おそらく実際に自分の足と目で見ないで書いてるんだろうな。そんな記述を多くの人が読んで、ノラに対する誤解と不理解が蔓延していくのです。野生動物だからそっとしておけなんて、もっともっと救いの手が必要なのに。人間社会で暮らすノラの主食は人間の施し物。特に冬の住宅街では小動物や虫なんて捕れるもんじゃない。猫好なら猫が何に困っているかわかるもんです。まず食べ物、そして暖だ。

はからずも外で暮らすことになってしまった尻尾の生えた天使たち。
彼らにひとつでも多くの愛の手を!


店ではカタログ閲覧室を開放、中にはホカホカ布団に食料も
(この店の人たちには本当に感謝感謝です)

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動物愛護とメディア批評

2019年09月02日 | ノラたちの幸せを願って
マンションの35階ベランダから2mほど空中に突き出したパイプ。その先端にある15cm角ほどの小さなスペースに猫がいた。猫はまだ若く子猫の面影を残している。もちろん緊張で身じろぎもできず、この世の終わりに遭遇したような表情だ。遥か下には豆粒のように小さな車が行き交っている。そして撮影者の女性の笑い声。ケラケラと馬鹿みたいに笑い続けている。

先日の情報番組「特ダネ」で紹介された動画です。中国で投稿されたという。番組ではこの動画を何度も繰り返して放映した。「いいね」ほしさに、このような動物虐待動画が増えているとか。コメンテーターは「こんなことして何が面白いんでしょうかねえ」と。最後の小倉MCの一言、「この猫はダメだったようです」は途中で切れた。

師弟関係:ちび太とニャー(右)

いきなり気が重くなる話ですみません。今回はちょっと硬派です。趣味に合わない方はパスして下さい。猫の虐待、と一般化して言えば個々の猫は気にならなくなる。するとその問題自体が遠い出来事のように感じてくる。でも、あのパイプの先にいた猫はこの世に一匹しかいない猫なのです。頑張って生きようとしていたに違いない、他の何物にも変えられない猫だったはずです。命とはそういうものだ。ひとつひとつの人生(猫生)が刻まれている。とても一般論なんかで済まされるものではない。

高所恐怖症気味の自分はあの映像を見ただけでもくらくらするほどでした。恐怖にかられた、でも訴えることも助けを求めることもできない猫の姿が、脳裡に焼きついて離れません。

このブログにある『ノラたちの幸せを願って』カテゴリーでは、最新の3記事がいずれも虐待をテーマにしています。「やさしい報道と再発の危惧」「死刑に処すべし」「猫虐待にNo」・・・このカテゴリーはもともとノラたちの幸せを追求する場だったのに、最近の世相を反映してかネガティヴな方向に傾きつつある。残念ながら今回もその延長です。

旧女子連合:今は亡きみう(上)とリン

「特ダネ」に限らず、ワンニャンノラや動物虐待に関する報道は最近増えてきた感がある。その要因のひとつが”バイトテロ”などと同じで動画投稿を目的とした愉快犯が増えたからだろう。この連中は脳味噌が足りないから、「いいね」欲しさに何でもやっちゃう。もちろん命の尊さなど説いたって糠に釘。

そのせいか、MCもコメンテーターも何とも歯切れが悪い。はっきり言って、自分たちが今報道していることは命に関わる大変なことなんだという切迫感がない。被害者が人間だったらここまで能天気なことはないと思うが、やはり動物だからだろうか。民法では物と同じだし、何てったって牛や豚は毎日殺して食べてるじゃないかと。増えすぎて森林を破壊する鹿を駆除(殺処分)するのも、日本の生態系を守るために外来生物を駆除(殺処分)するのも、街中に出てきて人々の生活を危うくする熊や猪を駆除(殺処分)するのも、増えすぎた野良猫を駆除(殺処分)するのもみな同じじゃないかと。35階から落とすのと、炭酸ガスで苦しみもがいて窒息死させるのと何がちがうのかと。

以前にも述べましたが、この種の報道は大抵保護ボラ団体さんが出てきて「その一方ではこんなに救われています」とやる。人間社会は捨てたもんじゃないよと。それが虐待や殺処分という不条理を覆い隠すための方便に過ぎないことを、この報道関係者たちは気付いているのだろうか。この春に「バンキシャ」という番組が猫捨てに焦点を当てた報道を行った。その主旨はよかったが、コメンテーターのトンチンカンな発言で台無しになった。

育ての親?:シロキとチキン(右)

再犯を断ちさらに予備軍の台頭を断ち切るには、軽い気持ちでいる犯人が驚くほどの大きな制裁を与える他はありません。しかし刑法の量刑には限度があって動物虐待の上限は残念ながらまだまだ軽い。そこで社会的制裁の意味が大きくなり報道の役割が増すのです。名指しが無理なら匿名でもかまわない。とにかく滅茶苦茶に非難して制裁を加えることです。そうでないと犯人の思う壺だ。犯人は投稿動画が拡散してより多くの人に見せたいので、下手をすればそんな犯人をサポートするだけに終わってしまうのです。

メディアは民衆の頼もしい味方ではあるが、時として民衆に牙を剝く恐ろしい猛獣にもなる。先の戦争中に偽りの戦果を流して国民を欺き、「命を国に捧げる」「欲しがりません勝つまでは」と国民を煽動し、平和を願う人々を非国民呼ばわりしたのは他ならぬメディアだ。もうひとつ。パパラッチに追われるダイアナ妃の車が事故を起こしたとき、追い着いたパパラッチは誰一人として妃を助けようとせず、スクープとばかりに写真を撮りまくった。自分はこれがメディアの本質だと思っています。メディアとは新聞や週刊誌の記事を書く人、載せる人、テレビニュース番組のスタッフや出演者たちのこと。つまり人間です。そしてあの戦争中の報道関係者やパパラッチの血は、今でもこの業界に脈々と流れていると思っています。

ツインズ:キー(右)とクウ

メディアには巨大な力がある。その力を制御できないのなら携わるべきではない。我々はメディアの流す報道を盲信するのではなく、常に批判的に受け止める必要がある。報道関係者の自戒と自制心をしっかりとチェックしなければならないのです。動物愛護を具現化するために奔走する人たち。その人たちを世間に知らしめるメディア。しかしそれだけでは足りない。反動物愛護の行為を撲滅するのも、メディアの大切な役割なのではないでしょうか。

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拡散希望 「猫虐待にNO」

2019年07月15日 | ノラたちの幸せを願って
ワンクリックで参加する運動の紹介です。
自分自身はこの活動とは無関係ですが、その主旨には賛同できるので参加しました。このような運動を本ブログで紹介するのは「アニマルポリス設置運動」に続いて2度目。本来ならその動機や趣旨をよく精査してから紹介するのが筋ですが、動物愛護の諸兄にとっては問題があろうはずもないとのことで掲載しました。

実際、先日も記事にしましたが(過去記事「死刑に処すべし」)、昨今は猫虐待やその動画を公開するなど目に余る行為が絶えません。ここで閉鎖を求めているサイトは、そのような虐待や動画の公開を奨励しているらしいです。自分はそのサイトを見ていません。でも如何なる理由があろうと、そんなことが許されるはずがないので運動に賛同しました。

とても大きな輪になって、世の中が動くことに期待したいです。

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(名前は入れなくてもクリック可能です。)





ニャー:「オレだってクリックするんだからな」

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