今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ノラたちとの共存を目指して その1・資料編「現状と動向調査」

2017年02月27日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
統計数値と社会動向の話です。
殆どの人にとってこのような数値はピンと来ないと思います。1万だの2万だの言われても見当つかないし。 ただ自分の場合は、路地裏で健気に生きる(あるいは死にそうな)ノラと関るたびに、このような報われない命がどのくらいあるのだろうと気になっていました。

これまで多くのネット上の情報を調べてきましたが、出典の不明なものはすべて割愛。実際又聞きや憶測推測、推測の又聞きなども少なくないと思われ、簡単に情報を拝借できるネット社会の利便性と同時に危険性もつくづく感じました。

一方元情報(データ)として使えるのはやはり公的機関のもので、環境省、各自治体、動物保護センター、清掃局、日本ペットフード協会、一部のNPOなどの調査データです。これらの機関には問い合わせてみたりヒアリングも試みました。元データは"使い回し"を除くとさほど多くはないので、単発調査の結果には信頼性の問題もあると思います。

と、いろいろ問題はありましたが、主に前述の出典から自分なりにまとめた結果が次の通り。 時系列的に見ると飼い猫数は年々伸びています。一方引取り数と殺処分数は近年になって急速な減少傾向にあり、これはNPOやボラさんの活躍の賜物です。尚、野良猫数は大きな誤差が予想されるので参考値です。

日本における飼い猫の総数    約1000万匹(昨年JPFA)
         野良猫の総数  (確固たる資料がないが・・)
                      200万匹(外飼い含む:15年前JPFA)
                       34万匹(同    :8年前千葉県のみ)
(以下年間)
猫の営利生産数       15万匹(犬猫等販売業者定期報告届出集計)
同   販売数        11万匹

保護センター引取り      9万匹(2015年環境省)
うち飼い猫          1.4万匹
うち野良猫          7.6万匹

猫の殺処分数        6.7万匹(2015年環境省)
交通事故死          0.4万匹(高速道路のみ)

実は一番知りたい数字、ノラの間でどのくらいの命が誕生し、餓死や凍死、事故などで消えていくのかについては、確固たる資料が見当たりませんでした。キョンやハクビジンのような外来動物と違い、ノラの場合はあまりにも身近すぎて調査の対象にならないのかもしれません。

そこで、ノラ出生数に関する考察です。
ネット上に溢れている身元不明情報によれば、ノラとして生まれた時の幼体生存率は野生動物よりも低い10%台、生き残ったとしてもその寿命は3~4年程度です。(注:大元の情報源としては矢沢サイエンスオフィス発行「もっともくわしい猫の病気百科」あたりが考えられる。) ここで寿命を4年、数を200万、仮に1~4才の各年生存率を70%としてシュミレーションすると、1才児の数は全体の半数近い90万となり、さらに1才生存率20%を考慮すると、実に毎年450万匹の赤ちゃんノラが誕生していることになるが、その殆どは人間の目に留まる前に死亡する。また、後述のように捨て猫など他にもノラ化の要因があるので、実際の誕生数はここまで多くはないだろう。

まあ、普通の人にとってこんな数字には意味がないでしょう。ただ考えるべきことは、ノラの境遇を改善しようと働きかけて無闇に幼体生存率を上げたり寿命を延ばすだけなら、生態系のバランスが崩れて数が増えるということです。せめて野生動物(ネコ科)の幼体生存率や寿命(10年ほど)まで上げてやりたいが、数が増えない施策と同時に行うことが不可欠です。

心強い情報をひとつ。
環境省、東京都や千葉県の調査から、飼い猫の少なくとも半数近くが元ノラであるということ。これは上の数字から見てもペットショップから購入される数よりもはるかに多い。つまり、ニャンコを飼いたい(救いたい)人の意識をもう少しだけ後押しするような施策が打てれば、ノラの減少(幸福化)に向けてひとつの流れを作ることができるのではないか、と思うのです。

            
                  <テンちゃん>
      オジンに救われたこの命、おれもこのブログで頑張るぞ


次に、ノラが増える要因について。(ノラ間交配を除く)

1.不心得者の飼育放棄(特に生まれたばかりの子猫)
2.多頭飼育の崩壊(無知なる善意が引き起こす悲劇)
3.被災による飼い主喪失(引越し置き去りや保護者死亡を含む)
4.ペットビジネスの副産物

これらに関しては数値的な実態把握調査が見当たらなかった。当地域の保護センターでは、飼い猫の"不法投棄"は持ち込まれた数の10倍はあるだろうと推測していた。また、上記の猫生産数と販売数の差は何らかの処理を物語っているし、"売れ残り"が「引取り屋」と呼ばれる始末業者に渡されていることも報道された。引取り屋渡しは販売数としてカウントされるので、その実態(比率)は不明だ。それに未届数も相当あると推定される。保護者を失った猫は直ぐに死亡してしまう可能性もあるが、年間数十万匹がこれらの人間活動の結果、新たにノラ化しているものと思われる。

ここでまた考察です。
飼い猫数1000万匹、飼い猫の平均寿命を15年とすると、毎年67万匹の飼い猫が何らかの理由で死亡していることになります。つまりそれだけの数が毎年新たに飼われているわけですが、上術の資料数値から想定すれば31万匹がノラから拾われ、11万匹がペットショップで購入され、25万匹が自宅で増えたり知人から譲られたりということになる。(譲られたニャンコがノラの可能性もある。)


最後に、検証しなければならない2つの身近なトピックス。

◆地域猫の問題
地域猫や活動しているボランティアさんに関する数値資料は、いろいろ探してみたが見つかりませんでした。今回調べてみて、実はこれが一番意外だった。ネット上には活動を推進する自治体や団体のサイトが数多くあっても、それらを繋げるものが何もなくバラバラに活動している。 自分の時間やお金まで使ってものすごく頑張っている個人ボラさんがたくさんいるのに、現場先行だから衝突も多く報いも少ないというジレンマが見て取れます。

地域猫問題の論調に関しては、結果的に反対の論調の方に分があるように思えた。動物愛護を"愛誤"と書く変質的な輩は別として(ただしこの輩はマイナーだがパワーがある)、ニャンコへの悪意もなく地域猫活動の目的と現状を淡々と検証して論評する反対論には説得力があった。正直言って現場の人の労苦とは裏腹に、この活動は総体的に見ると今のところ効果が限定的と言わざるを得ない。

ただ、この活動がうまくいかない主たる要因は、ノラの数に対してボラさんの数が少なすぎること、協力が得難いこと、さらに前述の組織力が弱く効率が悪いことにあって、活動のコンセプト自体は取り組む価値のあるものだと思います。

協力が得られないことに関しては、この活動はもともと人間社会のためのものだから、ノラの命を救うことは大事だがそればかり主張すれば周囲との意識に"ズレ"が生じてしまう。活動の場所が新たな猫捨てを誘発しないようチェックするなど、平行して取り組む必要があります。唐突に活動を止めてしまうNPOがあったり、土地の管理者から突然使用禁止を通告されたりすれば、命を脅かされる被害者はノラたち本人(猫)であって、それこそ"動物愛誤"になりかねない。

自分の印象としては、ボラさんたちと反対論者がぶつかり合う必要は何もなく、"愛誤"の輩さんも含めて、共通の敵(元凶)である前述「ノラを増やす要因」を減らすことにパワーを結集できればと思うのです。

◆エサやりの問題
一体世の中にはどのくらいのエサやりさんがいるのか、言うまでもなく数値的な資料は何もありませんでした。昨年のTVアンケートでもネット上でも、7割以上がエサやり否定論です。反対論の中心は糞尿被害経験とノラの増加に対する恐れ。 ここでも、地域猫問題同様に反対論の方が納得できるものが多かった。一方複数のアンケート調査では、積極的に猫を嫌う回答はそう多くない(20%以下)。 つまりエサやり反対の人は、ノラそのものというより無責任な人間の行為を非難しているのが特徴です。

ただ、その非難の内容は様々な問題が混在して一緒くたになっている。この問題は、「迷惑行為」としてのエサやりと、「小さな善意」としてのエサやりに大きく分けて論じる必要がありそうだ。全体の図式としては、少数の迷惑なエサやりさんへの非難がエサやりそのものへの非難として論じられるので、多くの「小さな善意」のエサやりさん(お子さんが多い)が悩んだり臆したりしてしまうのです。

環境省も各自治体も無責任なエサやりを否定しています。京都市のように条例で禁止した自治体もある。一方動物愛護法の精神から、"目の前にいる空腹で死にそうな子猫を見捨てる行為"は動物虐待に当たるのです。本来の人間性を育むという情操教育的な観点からしても、この「小さな善意」まで否定することは不適切と思われます。

ではその境い目はどこにあるのか。回数と頭数によってルールを決めればいい。

・少頭数(一、二匹)で一過性(同じ場所で3日以内を目処、その後いなくなる)の場合
エサを残さないよう、終わった跡を清掃する。

・同じ場所で定期的になった場合
エサを残さないよう、終わった跡を清掃する。場所の所有者(管理者)の了解をとる。手術を施す。トイレを工夫する。多頭数にしない。など順次行い、多頭数になった場合はNPOか動物保護センターに相談する。(注:動物保護センター預かりにすると、NPOなどに引き取られる場合はいいが、場所によっては数日で殺処分されるので過去の実績を確認した方がいい。)

要は「小さな善意」をもっと広げて、わが家のようにそれがきっかけでニャンコを飼い始める人が増えれば、それに越したことはないのです。それこそまさに、ノラたちとの共存を目指す究極の方法なのではないでしょうか。

以下、予告編。
これまでいろいろ調べているうちに書きたいことが見えてきました。ただ、変更もあり得るし、さらに調べたいこともあるのでいつ書けるかはわかりません。
その2 現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち)
その3 エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの)
その4 一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャーとテンちゃんの日常)
その5 闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」
その6 原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動)
その7 形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う)
その8 地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと) 

               
                      <ニャー>
             オジン、ごくろうさん。今回はがんばったね
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十猫十色

2017年02月22日 | ニャー
ニャーのお散歩特集です。
体調不良で休みがちの折、ニャーの写真が増えました。散歩といっても庭で家の周りをうろつくだけです。庭の外はまだ怖がりますが、ことによるとリードで拘束されているせいかもしれません。

      
    外に出るとまずコンクリートの上でゴロンゴロン
        これで一気に埃まみれになります

      
    中から道路の様子を伺って(出ようとはしない)

      
     家裏でおかあさんやソトチビの臭いチェック

      
         毎年花をつける福寿草と

      
       この日は家前の道路で少し頑張って

      
       自転車が来て一目散に逃げ込んで

ざっとこんな感じですが、実は少しぐっときた写真があります。
4番目の福寿草との写真、ちょうど1年前の同じ日にテツが同じ場所を散策していたのでした。もう増えることのないテツのアルバム写真は、すべて頭の中に入ってまして・・。

      
        1年前の同じ日、テツと福寿草

まさに自分の分身だったテツを失って5ヶ月、この間に前向きな気持ちを保つことができたのも、ニャーや他のニャンコ仲間のおかげです。特にニャーは人の心を読み取ろうとする仕草がテツに似ていて、ついテツの面影を思い浮かべてしまう。

でも、ニャーはニャーなんですよね。自分でも前に書いてる。
(2016.12.1「ペットだなんてご免だニャー」と翌日の記事)

もちろんニャーだけじゃなくノラたちと関わるようになって思うことは、彼らの性格も個性も実にいろいろ、人間同士と少しも変わらない十猫十色だ。独り暮らしの長いノラたちは自己ができているので、その違いがわかりやすい。ただ、ノラは接した人に合わせようと努力します。環境の変化に対する従順さは彼らの処世術でもある。それが、彼らの個性を見分け難くしているのです。

今は便利なネット社会。ニャンコ育てのKnow How記事もあふれている。人気の「ねこのきもち」などの本は参考になるし、何よりニャンコへの愛情が溢れた記事を読むのは気持ちがいい。でも参考は参考、自分が付き合っているニャンコの個性は世の中でただひとつ。だから、そのニャンコの個性を自分が見つけて、尊重してあげるしかないんです。

ニャーよ、今までごめんな。
これからはお前と、しっかり向き合っていくからね。

      
        今年はようやく開花を迎えた
     わが家のニャン歴史を見守ってきた福寿草


      
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ノラ返りする? おかあさん

2017年02月20日 | (故)みう(おかあさん)
おかあさんの近況です。
最近はソトチビがやって来るので、世話好きおかあさんの生活も影響され始めました。特にソトチビが来た日は朝から夕方まで姿を見なくなりました。もしかしたら、ソトチビの本拠地の方に誘われているのかもしれません。

      
         相変わらず仲むつまじい二匹

自分との距離は微妙に離れて、寝床のカイロ交換の際もかつては足元でゴロンゴロンしてたのに、今は少し離れて見守る形に。作業が終わると徐々に近づいて中に入ります。

      
       カイロ交換中の距離(2mくらいかな)

      
    終わりそうになると、わかるのか少し近づいてきます

寝床の中で寝ているときは触らせてくれます。(もちろんソトチビがいないとき)
独りで寝ているときは寂しいのか怖いのか、子ニャンのように鳴きながら結構甘えてくるので、そのタイミングで目やにをとったりスキンシップを図ったり。

      
        
     <これが大事>よく寝返りをするおかあさん
   寝床の中で動くことで低温やけどを防止し、またカイロが若干
   動いて中身(鉄)が空気に触れやすくなります~長持ちの秘訣

ニャーが来て以来、興味津々だった家の中の点検ができなくなったばかりか、家の周りもうろつけなくなったおかあさん。少し離れたお宅で見かけることが多くなりました。さらにソトチビが来て、おかあさんお迎えプログラムにとっては逆風が続いています。
一方春の足音が聞こえてきて、手術も急がなければなりません。

ところで、手術に関してはいまだに気になることがあります。
ちょうどその気がかりをテーマにしたスレがありますので紹介します。最近のまだ続いているスレなので、知見のある方がいらっしゃいましたらレス入れてあげて下さい。自分も参考にさせて頂きます。

発言小町「野良猫の避妊手術について」

でも、ソトチビとのツーショットを見ていると、やはりもう少しこのまま見守ってあげたい気分になる。そこでおかあさんが行方不明になったときに備えて、名札つきの首輪を準備しました。

      

これはシャッポ失踪の際の反省点として準備したものですが、名札については改めて書く予定です。おかあさんの今の首輪は百均の安々品。しかもダブダブなのに、後生大事につけてます。これを名札付に代えたいのですが、果たして今の親密度でうまくいくかどうか。

まあ、とりあえずは頑張ってみよう。


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たくましく生きる ~ダイフク~

2017年02月19日 | ダイフク
久々にダイフクの登場です。
今年になってからは1週間に1度、最近では10日に1度くらいの頻度で店に顔を見せているようです。時間帯は決まって閉店少し前の18時から18時半。最近は人手不足でスタッフも忙しいので、気づかれないと事務所の前に来て少し声を出すようになりました。でも、食べる場所はいつもアドミ事務所とSC建物の間、通称「ダイフク通り」です。おかわりの時はその場でねばり、食べ終わると裏手からさっさと退散。

      
    久々に会ったダイフクは通称「ダイフク通り」で食事

      
      昨日はおかわりをした後、悠然と消えました

思えば一昨年の秋から始まった店ニャンコの歴史で、今も残っているのはダイフクだけ。ポン、ニャー、チビ、シャッポ・・消長激しい彼らの生活にあっては抜群の安定感です。昨年の秋頃はすっかりヒールキャラで、仲良し3匹の敵とばかりに店を追い払われたダイフク。実際にチビやシャッポの事件に関与したのかは不明だけど、彼は学習したのです。店の人たちの逆鱗に触れてはならないと。そしてしたたかに残り、今ではK君をはじめダイフクのファンもできました。

おそらく彼は頭のいいノラニャンコなのだと思います。チビやシャッポのときにあれほど危惧していた隣接バス通りの危険も、何故かダイフクだと気にならない。まあ、年齢が少し上のようなので(4、5才?)、場慣れしているのかもしれませんが。

      
        たまに事務所前のBYで食事(K君撮影)

店に顔を出す周期からして、ダイフクが他にも餌場を確保していることは間違いない。主たる餌場で食べられない日とか、こちらの状況を確認するためにたまに巡回して来るようです。ある意味ではラッキーなノラと言えるかもしれないが、本人(猫)も相当努力しているのでしょう。人間とどう付き合うか、人間社会で暮すノラにとってはそれが文字通りの命題、命をかけた大問題なのです。

ノラに生まれれば、1才まで生きる確率は野生動物より低い10%台。生き残ったとしてもその平均寿命は残り2,3年です。 真冬の夜空の下で暖房もなく、怪我や病気をしても薬もない。車や悪い人間の怖さも誰も教えてはくれません。でも、何より問題なのは毎日の食べ物でしょう。

コンクリートやアスファルトで整備された人間の社会空間では、本来の野生生活のように獲物が豊富なわけではない。食べ物を人間にすがって生きていかざるを得ないのです。だから、やさしい人間を見つけ出す能力と運がノラたちには不可欠なのだ。

人間の身近にいる"野生動物"、ノラニャンコ。
彼らには学ぶことも多い。何より彼らには「悪意」というものがない。自分が生きていくための最低限を除いて、殺傷をとことん嫌う平和主義者です。ノラにやさしい社会を作ることができたら、人間同士の争いもなくなるかもしれません。

      
      姿勢のいいダイフクは歩行姿が美しい      
  (夜なのでなかなか写真に納められないのが残念です)


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テツとの対話その7・君が最後に伝えたこと

2017年02月15日 | (故)テツ 
やあテツ、相変わらずかい?
最近気になることがあってね
今のニャンコはみな、お前たちよりはるかによく食べる
くもやハナもお前も文句ひとつ言わなかったけど
思えばお前たちのご飯、随分質素だったよなあ


三匹揃ってご飯(くも・テツ・ハナ、左から)

えっ、覚えてるのかって?
そうだな、確かに前の会社のときは出張が多くて
お前たちと過ごす時間もなかった
それから子供たちが次々と独立して
仕事も変わりようやく時間ができた頃は
一家の中心はお前だった

テツよ、お前は偉いよ
お前を中心に家族は絆を深めたのだから
それはお前が、人間の暮らしに深入りできたらだ

お前は努力した
タイミング、目線、表情、鳴き方、仕草、動作・・・
あらゆる手段を使って自分の意思を表現し
こっちがわかるまで、何度も何度も反復した

同時に、こっちの表情から意思を読み取ろうとしてたから
お前にわかり易い表情や動作を研究したもんだ
毎日毎日互いに反復して、試行錯誤で修正して
いつしか我々は、日々の生活の中では話せるくらいになった
強い絆と信頼があればこそ、できたんだよな


人との共同生活もお手のもの(孫たち来訪の折)

楽しかった人間とニャンコの共同生活(二人と三匹)
我々の会話がもたらした一体感も格別だった
しかし晩年のお前を襲ったあの病魔と闘病
それでも、いつも前向きなお前を心底励ますことができたのも
この会話能力のおかげだった

でも、最後の最後に待ち受けていた哀しい思い
一進一退を繰り返しながら確実に進行するIBD(推定)という不治の病
いつかはその日が来ることを知っていた
あれは、お前が逝った前日の朝
お前が悟ったらしいことに気づいてしまったんだ


涙を流していた「その日」の前日の朝(再掲)

いつにもまして穏やかだったお前に反して、苦しいほどの胸騒ぎ
お前は、その晩になって一気に吐いて危篤状態に
まさに急変だったけど
その最後の一晩を、しっかりと受け止めることができたんだ



テツよ、楽しかった日々をありがとう


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