この記事は3/14前編からの続きです
ハナが入院したときの血液検査では、白血球数が激増(測定不能なほど)した他にもGOTが標準の5倍と高かった。しかしその他は特に異常なく、4ヶ月前の健康診断でも「若い若い」と先生が驚くほど正常だった。 「白血球さへ下がってくれば・・」
入院当時のハナ・呼べば声を出して反応した
1年前の奇跡の復活以来、病院では"スーパーキャット"の異名を持つハナのこと、きっとまた戻って来るに違いない。目の前のハナが半死半生の状態なのに、そんな期待が何となく支配していました。
しかしハナの状態は悪くなる一方だった。瞬きをしないため角膜保護の目薬をさすようになってからは視界も失ったようで、一気に空ろな様相に変わった。しかも、翌日になっても白血球の値は測定不能のままだった。
翌日はテツ・くもとお見舞い
ハナは触ると少し動いたり声を出す程度
先生の家は病院の奥なので、先生と奥さんが交代で見回って床ずれを防いでくれる。安心しておまかせできる病院でした。そして祈り続けた甲斐あって、3日目になってようやく白血球が少しづつ下がってきたのです。その頃の先生の口癖が「この子は本当に強い」 それを聞く度に、何とかなりそうだという期待が膨らむのでした。
触れると、病魔と闘うハナの意思が伝わってきた
しかし先生は言った。ハナが脳をやられている可能性がある。その場合は体調が戻っても今までと同じ生活はまず無理でしょう、と。 それが何を意味するのか、寝たきりなのか、コミュニケーションもとれないのか。
我々夫婦にはワンコの壮絶な介護経験があります。末期癌で治る見込もなく、褥瘡(床ずれ)で腰や肘の肉までえぐれて苦しむ彼の、特に最後の3ヶ月間を交代で寝ずの看病を続けました。彼が旅立ったとき、ああ、これでもう苦しまずに済むんだと、悲しみの中にもほっとしたような複雑な心境だった。そして、自分たちの気持ちばかりで本人の苦しみを長引かせたのではないかと悩み続けた・・。
でも、二人は決めていました。ハナの生還に向けて最善を尽くすと。その頃のハナはもう鳴くこともなかったけど、触れると頭や手足を動かして返してくる。また昔のような暮らしに戻りたい・・、我々と同じようにハナの気持ちが伝わってくるのでした。
4日目には、鎮静剤なしでも痙攣が起こらなくなった。快方にむかっているようです、と先生も宣言した。やっぱりハナはスーパーキャットだ、いや不死鳥だ、などと夫婦ではしゃいでいたとき、居合わせた病院の若い新人君(先生)に言われたのです。 「今日は退院ですか?」 ・・えっ? この先生何言ってんだろう。慌てて説明する自分に、その先生は怪訝そうな様子で、ああ、そうですか、と去っていった。
5日目になると、担当の先生から提案がありました。ハナの体力回復を考えて、流動食用のカテーテル装着です。もちろんお願いして、翌朝に装着手術をすることになりました。
5日目の様子(生存ハナの最後の写真)
その日は朝のお見舞いを省略して夕方に長めの滞在を予定していた。 が、午後の3時頃、仕事中の自分に先生から電話が。 「ハナちゃん駄目でした。朝カテーテルつけて、一度も食事を入れることなく力尽きてしまいました・・」
夕方の冷たい雨の中、ハナを引き取って自宅に連れて帰り、最後の一晩をともに過ごしました。4日目の夜の新人先生の対応、あれは最後はせめて自宅で、という意味だったのだと、そのときになってわかったのです。おそらくハナ復活の可能性は殆どなかった。担当の先生はやさしいから、夫婦の意思を最大限汲もうとしたのだろう。
翌日、ハナの葬式を行いました。享年約22歳。ノラの子に生まれて、わが家に来てからの21年と6ヶ月の間、家族に幸せを振る舞い続けた偉大なニャンコでした。
ハナ17才の頃(「童顔レディ」の異名があった)
***保護者の反省です***
クモの最後を書いたとき、ハナには精一杯やったので悔いはないと書きましたが、いやいや、こうしてみると後悔だらけです。他人様にというより今後の自分のために、反省点を挙げてみました。
1.小さなサインも気づいたらやり過ごす事なく対応する
2.日ごろから(ニャンコの)病気や症状などについてネットなどで勉強しておく
3.先生との信頼関係を構築しておく
4.夜間救急病院など調べておく
ハナの場合、最初に行った病院での対応は仕方なかったと思います。でも痙攣が続いてきたとき、朝まで待たずに調べた救急病院に行くべきだった。その救急病院は、店スタッフのYKさんが愛犬の不調で駆け込んだところでした。あれは今年の新年会が終わった後で、家に着いたら愛犬が倒れていた。それから連れて行って朝の5時までかかったそうです。それを聞いたとき、一見診察に不信を抱いてハナを連れていかなかった自分が情けなかったのでした。
今はテツ、くもと並んでわが家の守り神となったハナ