今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

待ち猫来たらず

2022年02月27日 | レオ(テンチビ)とココ
「来ないかな」 レオは特に待ち遠しい?

「来ないかな」 時にはココも加わって

会えば唸り合いばかりだけど
来なけりゃなんともつまらない

姿を消して2週間
(夜遅くには来ているようだけど・・)

「おーい、モドキ~」(後ろは店長さんです)

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エサをやるなは殺せと同じ・第5弾 ~コメント欄に見る世相~

2022年02月25日 | シリーズ:エサをやるなは殺せと同じ
野良猫の記事に関しては、信頼の厚い出版物の記事でも次の表現が常用されます。
a)1匹の♀ノラが3年後には2000匹になる(環境省パンフレットより引用)
b)不幸な野良猫をこれ以上増やさないために、野良猫に餌をあげるのは止めましょう
大手出版物(ネット含む)のみならず、全ての自治体HPや猫保護団体のブログでも同じことが叫ばれた結果、今や上記2点は社会の通説となっています。

この表現の胡散臭さと欺瞞を暴いたのがシリーズの前記事(第4弾)でした。
要約すると;
a)については簡単な計算してみればわかります。
あたなの街に10匹の♀ノラがいたとします。すると3年後には2万匹になる。半数が♀としてさらに3年後には2千万匹になる。半数が♀としてさらに3年後には2百億匹になる。つまり、10年足らずで足の踏み場もないほどにノラが増えることになるのです。もちろん実際には交配率や生存率が低いのでそんなことにはなりません。

b)の表現は、突き詰めて言えば「目の前のノラを生かしておくと繁殖して増えるので餓死させましょう」ということ。"エサをあげない"というより、「繁殖させないようこの世から抹殺する」ことがこの表現の主体なのです。それが不幸なノラを減らす、また殺処分を減らす目的だとしても、この表現は自己矛盾に満ちたおよそ反動物愛護的な発想なのだと気付くべきなのです。

さらに、不幸なノラを減らしたい、殺処分を減らしたいのなら、まずノラを増やす人間の行為を止めるのが第一義のはずだが、大抵は猫捨て、売れ残り処理、多頭飼育崩壊などの問題には触れないか、あるいは横に置いたままでノラ問題が語られる。人間のエゴと向き合うことを避けては、どんなにきれいごとを並べても解決への道は閉ざされたままなのです。


家裏のノラたちの守り神「みう」(2019.8.9没)

さて、今回はひとつの記事を紹介します。今月21日にPRESIDENT Onlineが配信した記事です。出版社の信頼性は高く、筆者の方もテーマをじっくりと掘り下げ落ち着いた記事を書く方だと思います。記事のテーマは猫の殺処分。なぜなくならないのかという視点から語られています。

その記事の冒頭の部分で、「殺処分がなくならないのは野良犬や野良猫へ無責任にエサをあげる人が依然として後を絶たないからだ」と断言した。実は「無責任に」という言葉が挿入されていることがミソなのだが(脚注)、そのことを意識する読み手は少ないだろう。さらに、例の環境省のパンフを引用して野良猫の繁殖力の凄まじさを紹介。猫の遺棄について一言だけ触れているが、それよりむしろその後の繁殖が問題だと指摘しているのです。記事の本文は、不妊手術に奔走する獣医師への密着取材となっています。

この記事はYahoo ニュースとしても取り上げられました。現在はもう表サイトには出てないが記事自体はまだ残っています。Yahooの記事にはコメント欄があり、今回はそのコメントに注目しました。尚、Yahooの記事は一定の時間が経つと削除されるのでコメント欄も同時に消失します。なのでYahoo 記事のコメント欄とともにPRESIDENT Onlineの元記事も下欄に貼っておきましたので、興味のある方はご参照下さい。

現時点(25日朝)で74件のコメントが残っています。不適切コメントが既に削除された可能性がありますが、現存のコメントをすべて読みました。同記事のテーマである不妊手術による繁殖抑制についてはあまりコメントされず、最も多かったのは猫捨てやペット産業での繁殖に対する批判だった。(42%) 続いて命の尊さを訴えるもの(15%)、法律の甘さを指摘するもの(11%)。ノラ猫への餌やりを批判したものは6件で8%、いずれも餌のやり方とか餌やりの態度に対する批判でした。

実はこの結果に我ながら驚いたのです。確かに箸にもかからないジャンクコメントも散見されたが、全体として動物愛護の精神が行き渡っている。そして、記事冒頭の『野良猫問題=餌やり問題」の誘導に流されることなく、逆に問題の元凶(猫捨て)を糾弾している人が多い。ペット産業を単に批判するのではなく動物愛護の観点から共存を模索する。一般の日本人の意識は、もうメディア関係者(記者や編集者、MCやプロデューサー)を超えているのではないかとさへ思えるのです。

動物福祉後進国と言われて久しい日本。自分が初めてこの記事を書いた5年近く前は、餌やりやボラさんたちを口汚く罵るコメントに溢れていた。人間のエゴを正当化するのではなく当のノラの視点で問題解決の道を探る。やっとこの流れができつつあるのかなと、希望を持たせてくれる記事(とコメント欄)だったのです。

お店のノラたちの守り神「テンちゃん」(2019.6.16没)

◆脚注:野良猫への餌やりは動物愛護の観点から法的に認められています。ただしその場を汚したり他人の土地を無断使用したりと、不適切な餌やりは殆どの自治体が条例で禁止しています。

◆参考記事(クリックでポップアップ)

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もうすぐ5周年

2022年02月22日 | モドキ
今朝7時、庭の温度が-3℃でした。
猫の日だというのに、温暖の房総でこの時期の氷点下は珍しい。
天気予報でも「今年の寒さはしつこい」とか。
一方昼間の日差しは結構強くて、北風さへなければポッカポカです。
気の早い若芽は膨らみ始め、梅の花は開いて、春はもうすぐそこですね。

今日はお店の”夜の番猫”、モドキの登場です

それがわかるのか、猫たちはこの寒さの中でも活発になってきた。
そんな中で少し変わったのが1匹、モドキです。
寒さが増してきた頃から出会う機会が減って、この10日ほどは姿を見せず。
一応置き餌は消化しているものの、モドキが来て食べたという確証はない。

レジの内側にはスタッフとレオ

モドキはこれまで消息を絶ったことが数回あり、数ヵ月見ないこともあった。
ただこのところは安定していて、記録によると10日以上見ないのは2年ぶり。
病気だの事故だの心配はあるけど、まあ、そのうちひょっこり顔を出すに違いない。
何かの都合で、店にやって来る時間帯が変わっただけなのだと思います。

指にくんくん挨拶

そのモドキ、もうすぐお付き合い歴が5周年になる。
たいしたもんだ。
初めて出会ったのは2017年の3月、でもその前からちらほら目撃されていた。
当時は前年年の瀬に突然姿を消したシャッポの捜索に明け暮れていた頃。
正月に保護した瀕死のテンちゃんが奇跡の回復し、リード生活を始めた頃でもある。
さらにダイフクやカブキ・・、群雄割拠の時代でした。

今、モドキの5周年を記念して"モドキヒストリー"を編集中です。
その記事をアップする頃までには、顔を出してくれるといいのだけど。

モドキよ、そろそろまた顔出しな

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お名前人気ランキング

2022年02月20日 | レオ(テンチビ)とココ
と言ってもニャンコのお名前です。
某保険会社が毎年公表しているらしいです。
ランキングは総合と♂部門と♀部門に分かれておりまして、
総合の1位は3年連続で「ムギ」(♂部門3位、♀部門5位)、そして
♂部門の1位は5年連続で「レオ」
♀部門の1位は昨年3位からの躍進で「ココ」
やったぁ、ココレオ! ダブル1位だ。

「どうでもいいから、おやつくれ」

当店のココは♂だけど、まあカタいことは言わないで。
さてさて、このネーミングは自分ですが、果たして先見の明があったのか?
それとも発想が通俗的の証拠??
レオが♂部門の1位というのは2年ほど前に知りました。
ちなみに当ブログからは、他に「ハナ」「テン」「リン」の名前がランクイン。

またしても1日雨の日曜日、屋内定位置で看板猫

ついでに人の名前についても見てみましたが、最近は難しい漢字を使ったり当て字を使って読めなかったりで、ひと昔前の自分の頃と違って随分工夫の跡が見られます。
猫の場合は発想が違うのか、"親しみ易さ"が第一のようだ。
いずれにしても、唯一無二を狙って奇をてらう、なんてのは避けた方がよさそうですね。
まあ、時流に乗れない老人の世迷言ではありますが。

「明日は晴れるかな」

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改善への道 ~いじめ調査編~

2022年02月18日 | リン(旧イエミケ),クウ,キー
リンとクウが再び狙われ始め、トイレにすら行けなくなった。
あの衝撃の記事から2週間が経ち、粗相は今も続いています。
"粗相"と簡単に書いてますが、特にクウのはストレスのせいか常習下痢弁。
その後始末を続けるのは労力的にも精神的にも限界ってものがある。
何とか根本的な解決をと模索しています。

粗相すると交互に箱を替えるクウ(底のシート交換は1日に6回くらい)

いじめについても、膨大な量の情報の一部をネットや立ち読みで調べてみた。
自分なりに要約すると、原因を個人に帰結する考察と社会に帰結する考察に分かれる。
前者では、自己の否定したい部分と同質のものをさらけ出す相手を攻撃する。
後者では、集団帰属意識を持つ人たちが集団帰属に無頓着な人を攻撃する。
自分が注目したのは次の意見でした。
「学校を中心として起こる子供のいじめは大人社会を反映したもの。子供たちは、パワハラセクハラ村八分に満ちた大人の社会を見習っているに過ぎない。なので先生や親がいくら相談に乗ったところで解決はしない。先ず大人たちが、襟を正して模範を示すしか真の解決への道はない。」

意を決して下りて来ても直ぐに周りを囲まれる
(手前ちび太、上ニャー、奥にクウ)

以上は人間の場合ですが、猫のいじめについても検索すると山ほど出てきます。
ただし人間と違い、感情的だったり主義主張の違いでいじめることはない。
猫のいじめは本能による上下確認目的で、睨み、威嚇、追い回し、飛び掛かりなど。
いじめられると隠遁、逃避、びくつきや粗相が見られる。
解決策は隔離、里親探し、生活空間を広げる(立体的にする)など。
尚、自然界ではこれが生存競争の第一歩で、弱い子は親にも見放されて淘汰される。

テーブル下で様子を伺うリン (隙を見てオジンの膝にダイビング)

いやはや、判官贔屓の当家保護者は、自然界の法則にも逆らおうといているらしい。
この2週間というもの、他の猫たちを制止するなどリン一家のサポートに徹した。
トイレに行けば横で見張り、食事の場所に気遣い、コタツが空けば中に誘導する。
リンは抱けるので空いたコタツに運び込むことも少なくない。
落ち着いた一家水入らずのひとときを演出することで、ストレスの緩和に努めた。
もちろんそれで十分ではない。四六時中リンたちを見守ることはできないので。

コタツの中で日光浴 (奥にリン、オジンの見張り付)

幸いにして、聞き分けのいいチキンは以前のような辛辣な深追いをしなくなった。
しかしキーとシロキを除くすべての視線が、常にリンとクウに集中している。
やはり根本的に解決するしかないのだが・・。
人間と違って本能に起因する猫のいじめを、根本解決なんてできるのだろうか。
でも改善ならできるかと、先ず行ったのが"トイレ再編大作戦"でした。

その内容と結果については後日別記事にて。(大家族の日常カテゴリーへ)

家猫暮らしを満喫していた4年前(保護当時)に戻れるか


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