今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ノラにして気高く ~ハナの思い出~

2020年05月28日 | (故)ハナ
じゃーん、いきなりの登場はご存知、ドジでオニブでブサカワのシロキ。
小心のくせに、掃除機が横で唸っていても全然気にしない変わったネコです。

だいたいネコは掃除機を怖がりますよね。
しかし堂々と掃除機を見やるシロキはよほどの大物?
それともただのオニブか。

あっ、今日の主役はシロキじゃなかった。
小柄だけど利発で気高く、やさしくて怖れを知らなかったわが家の初代ネコ。
ハナのことです。

ハナも初めから掃除機に動じない子でした。
小さかった孫たちがやって来ても動じない。
やがてテツとくもが加わり、3匹揃って庭にいるときに外ニャンが来ても、怖がるテツやくもを後ろにハナが果敢に迎え撃った。
後輩の面倒をよく見ただけでなく、外敵からも守り抜いた肝っ玉母さんでした。

孫と一緒に(ハナ15才の頃)

ハナは近くの野原で子供たちにいじめられていた子ノラでした。
小学生だった息子が勇気を振り絞って助け、家に連れ帰ったのが始まりだった。
それからの22年間、わが家と3人の子供たちの門出を見守った。
出張で留守が多かった自分と研究職に没頭していた妻の下で、専ら子供たちの相手をしていたのがハナでした。

テツを迎えた頃のハナ、やがて2匹は蜜月を迎える(ハナ6才、テツ1才)

田園風景の中にできた新興の小住宅街で、移り住んだ頃は捨て猫が多かった。
その子猫たちもなんだかんだで拾われ、住処はできたけど殆どが"中外飼い"。
当家では手術もして外ではリード付だったけどそうでない子が多く、それでも〇〇さんちの××ちゃんといった感じでみな市民権を得ていた。

ハナはそんな子たちの間でも人気者でした。
手術済なのに、外に出ると雄ネコたちが集まって来る。
みな知った子だったけどそのせいか妙に積極的で、ハナを抱いていると自分の足元まで言い寄って来た。ハナへの気持ちが自分への警戒よりも強かったのだろう。
何だか人気のマドンナを独占してるような気分になったもんでした。

くもの面倒もよく見たが、やがてくもはハナから独立した(写真:ハナ8才、くも1才)

ハナは利発な子で、あの手この手で自分のしたいことを保護者に伝えてきた。
かと言って我が強いこともなく、むしろ控えめで穏やか、手間のかからない子でした。
晩年は脳梗塞から奇跡の復活を遂げて先生たちを驚かせたりもした。
脳梗塞の1年後に今度は敗血症で倒れたとき、もし保護者が不在でなかったら、もっともっと長生きしたに違いない。
それだけ生命力を感じさせるネコでした。

ハナは入院中に旅立ちました。
回復を願う気持ちが強すぎて、最後の時を見誤った。
独りで逝かせてしまったことがいまだに悔やまれます。
ハナ、2014年10月23日没。

哲学的な表情で物思いに耽ることが多かった(ハナ21才・脳梗塞から復活後)

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ハナたちがいた風景 (郷愁partⅡ)

2019年05月25日 | (故)ハナ
原風景
とっても素敵な響きのある言葉
こんな言葉があるから、日本人って最高だ
そのイメージは・・・
実在する故郷か 心の故郷か
原初の風景? あるいは懐かしい風景?
風景なの? それとも光景?
人それぞれです

英語で言うと
Original scenery(原初の風景)
でも自分にとっては
Nostalgic scene(懐かしい光景) かな

この世にお別れするとき
必ず見つめているであろう、そして
あっちの世界に持っていきたい
甘くて、暖かくて、涙が出そうな
2度と戻って来ることのない光景

成人した人間の原風景は
幼少の頃の思い出なんだろうな
自分にとっては
井の頭公園や神田川でわんぱく仲間と泳いだ光景
半世紀以上も前の当時は、それほど水が澄んでいた

家の前の道路も砂利道で、バスも走っていなかった
あれから世の中は大きく変わって
ずいぶん便利になったけど、住み辛くもなった

ちょっと待て、そうじゃない
自分にとっての原風景は、そんな思い出なんかじゃない
今の家に越してきて
出張で殆ど家にはいなかったけど
ある休日の昼下がり
妻がいて、3人の子供がいて
そしてワンコ1匹とニャンコ3匹のいた
あの光景


ハナとテツと次女(日付は'98.5.24)

その中心にいたのが、ハナだった
文太(ワンコ)の遊び相手を務め
後からやって来たテツやくもを育て上げた
小柄だけど
誇り高い、やさしさの原点のような猫でした


ブログ初登場の文太とハナ

ハナは近所でいじめられていた子猫
小学生の息子が、勇気を奮って助け出し
わが家に連れ帰ったのがご縁の始まり
それから22年間
子供たちの成長と旅立ちを
そしてわが家の歴史そのものを見守った


家に来た当時のハナ(齢推定4ヶ月ほど)

おかげさまで
いまだに自分には仕事があるし
猫たちのお世話もあるし
毎日が結構忙しい
でもふとしたときに
あの時代に想いを馳せる自分がいる
どんなにたくさんの猫たちと付き合っても
あの時代の日々は別格なんです


お見送りするハナとテツ(脳梗塞から復活した頃)

限りなく深いやさしさに包まれた
ハナたちがいたセピア色の光景
かけがえのない宝物です


3匹食事風景(左からくも、ハナ、テツ)
 ※ハナ、脳梗塞から復活途上


※「テツとの対話 郷愁partⅢ」へと続きます
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3匹揃ってネコ散歩 ~ハナたちの思い出~

2018年05月04日 | (故)ハナ
敬愛する作家、庄司薫さんのエッセイに「ぼくが猫語を話せるわけ」というのがあります。
犬派だった作者がどうやって猫に馴染んだのか。その猫とは実は妻である中村紘子さんが連れて来た「タンク」だったと後でわかるのですが、猫との触れ合いの描写はさほど多くはないけど、何とも微笑ましくて愛読した本のひとつでした。実際自分が猫と暮らし始めたときにリードで散歩したり、テツとの対話を試みたのもこの本の影響だったのかもしれない。

今でこそテンちゃんとの散歩は日課だし、ニャーも1日4時間くらいは外だけど、当時(20年近く前)は猫と散歩なんてまったくの常識外。行き交う人に振り返られて気恥ずかしい限りでした。しかも一度に3匹。ニャンコが3匹揃えばどうなるか・・・。

ちなみに、ニャンコはリードのこなし方が上手です。わが家にはワンコもいたけどリードの扱いは猫たちの方がうまかった。一説によると、猫の知能は犬に勝るとも劣らないらしい。なのにどうしてニャンコのリード散歩は難しいのか。しかも複数になったときはその差が歴然。3匹整然と散歩するご近所のワンちゃんたちと比べて、わが家の3匹ときたらもう絶望的に支離滅裂なのでした。

               
                   幼いくものリード初体験
                   (左からハナ、テツ、くも)

そうなんです。一言で言うと猫は協調性がないのです。ハナ、テツ、くもの3匹にリードをつけて玄関から出る。すると、3匹が同じ方向に歩き出すなんてことはまずない。好き勝手に行こうとするかその場にじっとして動かないか。とにかく他の2匹やましてや保護者に合わせようなんて気は毛頭なく、自分の気分が最優先なんです。結局手がつけられなくなって、門を出るまでには普通に散歩したいという気持ちが頓挫する。

そもそも彼らにとって散歩なんてどうでもいいのだ。彼らは道路を歩こうなんて思わない。わが家の周辺は生垣で統一されているので、ともすればその隙間から他所の敷地に入ろうとするわけです。で、回数を重ねているうちに興味のあるお宅が3匹とも同じであることに気がついた。

               
           ハナは傘立てに繋がれて場所移動していました

それで、1匹ずつ順番に移動して同じお宅を渡り歩くことにしたのです。リードをそれぞれのお宅の生垣に掛け替えていく。こっちは行ったり来たりで面倒くさいけど、それだと他の2匹が移動している間に自分の時間を過ごせる。ただ、この方法の問題点は、生垣の前で屈んでもぞもぞと怪しげに見えちゃうこと。勝手に他所の生垣を拝借していたわけですが、小さな町内で、自分は町会長やったりと結構知られていたので、行き交う人にも中の人にも軽い挨拶で済ませていた。

でも夜はダメだったな。まさに不審者そのものになっちゃって。 当時は出張が多く猫たちと過ごす時間も限られていたけど、この猫散歩だけは、最後の最後まで自分の役割だったのでした。

               
                     テツ(左)とハナ
               外に出たときはハナが断然強かった


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やさしさの原点 ~ハナ命日~

2017年10月23日 | (故)ハナ
今日、10月23日はハナの命日です。
3年前の今日亡くなりました。3回忌だと思っていたら勘違いをしておりまして、実は昨年だった。いいトシして恥ずかしい限りです。で、今年は遅ればせながら献花と供香しました。

         
                  いつも3匹(+ワンコ)一緒です

ハナは最初にわが家にやって来たニャンコ。
ハナの紹介はカテゴリーの記事でいろいろ書いていますので重複は避けます。保護者に頼ろうとしない、でも甘え方の上手なニャンコでした。(ちょっとニャーみたいかな。) 棚のガラス扉を鏡のように使って周囲をチェックしたり、扉もドアも器用に開ける賢さもあった。でも何と言っても、一番印象に残っているのはそのやさしさかな。

              
              家に来た頃のハナ、まだ齢数か月

後になってテツを迎えたときも、くもを迎えたときも、まるで母親のように接してくれた。テツはそれ以来ハナを慕うようになり、くもも大人になって2階の和室を根城にするまで、ハナに甘え通しだった。水道の蛇口から水を飲んだりとか、新しい隠れ場所だとか、他の2匹はいろいろなことをハナから教わったのです。

              
             テツを迎えて4ヶ月くらい、ハナ5才
              (このときからラブラブの間柄?)

              
               くもを迎えたとき、ハナ7才

トイレも食事も、他の2匹と重なるといつも相手を優先させるほど控えめだった。(当時わが家ではトイレがひとつでした。) でも3匹で外にいるとき、よそのニャンコが近くに来ると、テツやくもを差し置いていつも自分が矢面に立つ勇敢さも。

              
               ハナ12才くらい(日付不明)

そして何と言っても、忘れられないのはあの脳溢血の病禍からの奇跡の復活。病院の先生も驚きを隠さず、保護者の処置を褒めるばかり。いやいやそんなことどうでもよくて、とにかくハナが帰って来てくれた。こんなに親孝行なニャンコは他にいない、とつくづく思ったものでした。

              
               脳溢血から回復中のハナ、21才
           (まだうつろだけど、この後完全復活しました)

ハナ、最初に出会ったニャンコがお前でよかった。
ニャンコはもともとやさしい動物だって、お前は教えてくれた。
だから信じることができるし、出会ったニャンコが、みなやさしくなっていくんだ。

その証拠に・・・・、
(次の2枚の写真は近々書くことを示唆しています。)

         
             ん?(撮影21日)       んん?(撮影今朝)



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はじめは小さなサインだった ~ハナ最後の闘い(後編)~

2017年03月31日 | (故)ハナ
この記事は3/14前編からの続きです

ハナが入院したときの血液検査では、白血球数が激増(測定不能なほど)した他にもGOTが標準の5倍と高かった。しかしその他は特に異常なく、4ヶ月前の健康診断でも「若い若い」と先生が驚くほど正常だった。 「白血球さへ下がってくれば・・」

            
         入院当時のハナ・呼べば声を出して反応した

1年前の奇跡の復活以来、病院では"スーパーキャット"の異名を持つハナのこと、きっとまた戻って来るに違いない。目の前のハナが半死半生の状態なのに、そんな期待が何となく支配していました。

しかしハナの状態は悪くなる一方だった。瞬きをしないため角膜保護の目薬をさすようになってからは視界も失ったようで、一気に空ろな様相に変わった。しかも、翌日になっても白血球の値は測定不能のままだった。

            
             翌日はテツ・くもとお見舞い
         ハナは触ると少し動いたり声を出す程度

先生の家は病院の奥なので、先生と奥さんが交代で見回って床ずれを防いでくれる。安心しておまかせできる病院でした。そして祈り続けた甲斐あって、3日目になってようやく白血球が少しづつ下がってきたのです。その頃の先生の口癖が「この子は本当に強い」 それを聞く度に、何とかなりそうだという期待が膨らむのでした。

            
        触れると、病魔と闘うハナの意思が伝わってきた

しかし先生は言った。ハナが脳をやられている可能性がある。その場合は体調が戻っても今までと同じ生活はまず無理でしょう、と。 それが何を意味するのか、寝たきりなのか、コミュニケーションもとれないのか。

我々夫婦にはワンコの壮絶な介護経験があります。末期癌で治る見込もなく、褥瘡(床ずれ)で腰や肘の肉までえぐれて苦しむ彼の、特に最後の3ヶ月間を交代で寝ずの看病を続けました。彼が旅立ったとき、ああ、これでもう苦しまずに済むんだと、悲しみの中にもほっとしたような複雑な心境だった。そして、自分たちの気持ちばかりで本人の苦しみを長引かせたのではないかと悩み続けた・・。

でも、二人は決めていました。ハナの生還に向けて最善を尽くすと。その頃のハナはもう鳴くこともなかったけど、触れると頭や手足を動かして返してくる。また昔のような暮らしに戻りたい・・、我々と同じようにハナの気持ちが伝わってくるのでした。

4日目には、鎮静剤なしでも痙攣が起こらなくなった。快方にむかっているようです、と先生も宣言した。やっぱりハナはスーパーキャットだ、いや不死鳥だ、などと夫婦ではしゃいでいたとき、居合わせた病院の若い新人君(先生)に言われたのです。 「今日は退院ですか?」  ・・えっ? この先生何言ってんだろう。慌てて説明する自分に、その先生は怪訝そうな様子で、ああ、そうですか、と去っていった。

5日目になると、担当の先生から提案がありました。ハナの体力回復を考えて、流動食用のカテーテル装着です。もちろんお願いして、翌朝に装着手術をすることになりました。

            
        5日目の様子(生存ハナの最後の写真)

その日は朝のお見舞いを省略して夕方に長めの滞在を予定していた。 が、午後の3時頃、仕事中の自分に先生から電話が。 「ハナちゃん駄目でした。朝カテーテルつけて、一度も食事を入れることなく力尽きてしまいました・・」

夕方の冷たい雨の中、ハナを引き取って自宅に連れて帰り、最後の一晩をともに過ごしました。4日目の夜の新人先生の対応、あれは最後はせめて自宅で、という意味だったのだと、そのときになってわかったのです。おそらくハナ復活の可能性は殆どなかった。担当の先生はやさしいから、夫婦の意思を最大限汲もうとしたのだろう。

翌日、ハナの葬式を行いました。享年約22歳。ノラの子に生まれて、わが家に来てからの21年と6ヶ月の間、家族に幸せを振る舞い続けた偉大なニャンコでした。

            
      ハナ17才の頃(「童顔レディ」の異名があった)


***保護者の反省です***
クモの最後を書いたとき、ハナには精一杯やったので悔いはないと書きましたが、いやいや、こうしてみると後悔だらけです。他人様にというより今後の自分のために、反省点を挙げてみました。
1.小さなサインも気づいたらやり過ごす事なく対応する
2.日ごろから(ニャンコの)病気や症状などについてネットなどで勉強しておく
3.先生との信頼関係を構築しておく
4.夜間救急病院など調べておく

ハナの場合、最初に行った病院での対応は仕方なかったと思います。でも痙攣が続いてきたとき、朝まで待たずに調べた救急病院に行くべきだった。その救急病院は、店スタッフのYKさんが愛犬の不調で駆け込んだところでした。あれは今年の新年会が終わった後で、家に着いたら愛犬が倒れていた。それから連れて行って朝の5時までかかったそうです。それを聞いたとき、一見診察に不信を抱いてハナを連れていかなかった自分が情けなかったのでした。

            
     今はテツ、くもと並んでわが家の守り神となったハナ

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