(前編より続きます)
「後悔先に立たず」なんて諺があるけど、先に立たないから"後悔"なんだろ。などと自嘲気味にぼやきながら、次々と押し寄せる津波のような後悔に浸っていた。猫という動物は最後の最後まで生きることを諦めないから、あの穏やかな様子から突如として危篤状態になるのです。これまで何度も経験しているのに、その都度慌てふためきそして後悔に襲われてきた。
ルイも同様で、突然にして一気に危篤状態になった。たまに少し頭を持ち上げるがそれ以外はまったく動かない。そのとき、ルイの手を握って驚いた。妙に冷たいのだ。ルイの意に反して身体が生きることを諦めたのだろうか。そう言えば今夜はやけに冷える。今月(10月)の初めは真夏日が続いて熱帯夜まであったのに、天気予報が今夜は11月下旬の気温だと言っていた。またしても気付くのが遅かった自分に褐を入れつつ、エアコンにストーブも足して部屋の温度を28℃以上まで上げた。
5日目が明けたときのルイ
それが功を奏したのか、ルイの動きが少し出てきて無声音ながら鳴き声も発するようになった。お尻の方が垂れ流しでその都度シートを替えて身体を拭くのはルイの負担になるので、尻尾の内側ににティッシュを詰め込んだ。30分毎くらいに濡らしたティッシュでルイの顔を拭く。すると我に返ったようにルイが反応する。口の中に水を入れると、たまにゴクンと飲み込んだ。危篤状態といってもテツやテンちゃんのときと違うのは、ルイの意識がはっきりとしていることだった。
5日目は久々の晴れ日で、夜が明けると日が昇ってきた。その日も1日ルイに付き添い、顔を拭いたり口に水を含ませたり下のティッシュを交換した。もうひとつ大事なこと。ルイの身体の向きを変えて床ずれを防ぐ。昼になって陽光に当たると、気持ちがいいのかルイは自ら目を閉じることもあった。そんなときは起こさないようにもろもろのお世話を中断した。もしかしたら回復するんじゃないだろうか、と思うこともあったが、何も食べてないルイにそんな奇跡が起こるはずがないのはわかっていた。
秋のやさしい日差しに包まれて気持ちよさそうなルイ
それは5日目の夕方のことでした。
保護部屋を覗くとルイが痙攣していた。横たわった上側の手足が3秒くらいの間隔で宙を蹴って、同時に背中がのけ反って場所が10cmほどずれていく。既に元の位置からだいぶずれているのでかなりの間痙攣していたのだろう。なだめようと中に入った途端、その痙攣が激しさを増した。強いバネのように手足が力強く宙を蹴り背骨がエビのように屈伸する。ルイはそのたびに目を見開き、歯を食いしばった。時折雄叫びのような叫び声を苦しそうに発する。身体はどんどん移動して抑えていなければ部屋中のた打ち回ったに違いない。
これほど凄い痙攣は見たことがなかった。どうすればいいのかわからない。何よりルイには意識がある。そしてこれ以上はないというほど苦しそうだった。病院に急ぐにしても準備や移動や待ち時間でどれだけ時間がかかるか。しかもルイには相当な負担になるし、そのうち痙攣が止まるかもしれない。ぐだぐだ考えている間にも痙攣は続く。2、3分静まったかと思うとまた始まる。その痙攣は、極限状態に耐えるルイの精神が崩壊するのではと心配してもまだ続いた。いつまでも続く痙攣にやはり病院に行けばよかったと後悔し始めた。モルヒネのような安定剤を投与しなければルイが最悪の最後を迎えてしまう。天にも祈る気持ちでルイを抑えたりなだめたり。やがて、1時間も続いた後にようやくその痙攣は沈静化に向かったのです。その後には、余震のような小さな痙攣が30分くらい続いた。
痙攣に耐えるルイ
とてつもなく長い痙攣が治まってからルイの体勢を整え、濡れティッシュで顔を拭いて口に水を含ませた。何度も何度も水を口に含ませると、ようやく1度だけ、かすかにごくりと飲み込んだ。それでもルイの意識は、痙攣の前よりはっきりしているように見えた。あの痙攣は何だったのだろう。よく言われる旅立ちに向けての痙攣? それはもう意識を失った状態での話だろう・・。何を考えてもわかるはずもないが、とにかく治まってよかった。その後ルイの容態が安定してきたので欲目でスープを口に入れてみたが、もう飲み込むこと自体ができないようだった。あの痙攣は2度と来ないでほしい。ルイには穏やかな最後を迎えてもらいたい。いややっぱり、できれば回復してもらいたい。
地獄の痙攣に耐え抜いたルイは、その後も本当によく頑張った
その後もルイは頑張りました。28℃~30℃の室温の部屋で、時折顔や口を湿らしてもらって、限界状態の中で、何と36時間も頑張り続けたのでした。下の方はもう出るものすらなかった。ルイは最後まで意識を持ち続け、保護者が触ると反応した。危篤状態になってから50時間を過ぎた頃はもう感動しかなかった。その感動が愛着に変わり始めた7日目の未明、その日当地に大洪水と水害をもたらすことになる豪雨が少しづつ降り始めた頃でした。部屋に入ると、ルイが待ってましたとばかりに大きく深呼吸して、静かに息を引き取った。対光反射もなく臨終を確認しました。ルイの身体は身づくろいをしてしばらくそのまま寝かせておいた。壮絶な最後の闘いを終えたルイに、休ませてやりたいと思ったのです。
深い虚脱感が残った。最後の最後まで意識を持ち続け、そして諦めなかったルイ。あの地獄のような長い痙攣にも歯を食い縛って耐え抜いたルイ。しかし運命はそんなルイに報いることはなかった。ルイはどんな思いで旅立ったのだろう。自分は、少しはルイの支えになったのだろうか。お疲れさん。心の中でルイに何度も声をかけながら、自分も知らぬ間に寝入っていたのでした。
その日の夕方、病院から検査結果の連絡があった。コロナウィルス抗体値の結果は400の倍数で400未満ならまず大丈夫、3200以上はほぼ陽性。それらの数値と実際の症状からFIPかどうか判断する。ルイの値は1600で1週間後の再測定が望まれるとのことだったが、症状的にまずFIPで間違いないだろうと。「今後の治療としては・・」と続けたところで先生の話を遮って、ルイの死亡を告げた。ルイの身体は、本記事の前編を書いた一昨日に合同葬で荼毘に付しました。
後悔はまだ止まらなかったけどもう出尽くした感じだった。その内容を書き出してみました。
・あのとき保護しなかったら、ルイは自分らしく最後を迎えることができたのでは?
・腹水を抜かなければもう少し長く生きられた?
・健康だったら自分から逃げただろうルイが自分にいじられて落ち着けた?
・何より、元気だった頃の夏に家に迎えていればこんなことにはならなかった?
・早い段階でチューブなど付けて、栄養補給していれば回復した?
・痙攣のときは直ぐに病院に連れて行くべきだった?
最後のは結果的に元に戻ったのでとりあえず解消した。一番強かった後悔は4番目だ。でもこうしてみると、やり過ぎた後悔とやればよかったという後悔が混在している。結局何をしてもしなくても、後悔することになるんだな。人間とはそういうものなんだ。
世の中には無数の命があって、毎年新たに生まれてくる。その命の数だけ生き様があり、生涯があり、そして終わり方がある。かつてチビが事故死したときにその無念さを慮ったが、チビにしてもルイにしてもたまたま自分と出会ったわけで、人知れず朽ち果てていくノラなんて数えきれないほどいる。だからいちいち感動していたら切りがない。そういう考え方もあるだろう。
でも自分は思うのです。ルイは自分と出会い、その最後を自分に見届けさせることによって自分を感動させ、ひとつの命の営みと尊さを教えてくれた。自分がそれを克明に書き伝え、読んでくれた人が同じ気持ちになってくれたなら、ルイというノラの生と死が無駄ではなかったことにはならないだろうか。だから自分は、これからも書き続けていこうと。
ルイよ、君はその身をもって命の尊さを教えてくれたんだね
最後の力を振り絞って、わが家まで来てくれて本当に嬉しかった
ありがとう、そして
REST IN PEACE,
RUI
※お知らせ
ルイの記事は「サクラとルイ」から独立させた「(故)ルイ」カテゴリーに移しました。「サクラとルイ」カテゴリーは「サクラと黄白」に変更。初期のルイの記事は独立していないため、「一見さん」もしくは「サクラと黄白」カテゴリーに残っています。