今日も元気で頑張るニャン

出会ったノラニャンたちを幸せにしたいと微力ながら奔走する、悩めるオジンの奮闘記

えっ、おれって敵役なの? ~モドキの悲哀とヒストリー~

2019年08月24日 | モドキ
4月以来になるモドキの話です。ただ、肝心のモドキはこのひと月半ほど見ていません。
モドキに関しては申し訳ないというか、後ろめたい気持ちが先行します。その理由はこれまでのモドキの歴史と、その時々の当ブログの記事タイトルが物語っている。

モドキが初めて店に顔を出したのは2年前の春。まだ1才前後の若者でした。当時はテンちゃんがリード生活を始めた頃で、ダイフクがちょくちょく顔を出していた。モドキはその間隙を縫って通いの身ながらも店に定着。昼間は1日中店にいて、店のここかしこでスタッフの気を引き続けた。そのときの記事のタイトルが「店の子になるんだ」(2017.6月)。 しかし当時の殺人的な忙しさの中でスタッフに相手にされず、7月に入るといつしか姿を消したのでした。「モドキよ・・・」(2017.8月)。

若武者の面影が残る一昨年のモドキ(再掲)

半分諦めかけていたその年の11月、モドキは再びやって来た。モドキはすっかり逞しくなっていました。というより、ノラとしての生き方に拍車がかかって来たというか・・。その後のモドキはテンちゃんやちび太のみならず、ダイフクにカブキやミセミケとも時間差等で折り合いをつけて店に通い続けた。ダイフクが消息を絶った1月以降は、相変わらず通いの身ではあったがもう店の一員のような安定感だった。「おじゃましま~す、モドキですゥ」(2018.2月)。 でも当時は消息を絶つ前のダイフクの、後足を引きずって移動する痛ましい姿(事故か虐待か)に気を取られ、モドキまでは気が回らなかった。

春になると、モドキの足は再び遠のいてきた。まず店で食べることが少なくなってきて、そのうち殆ど食べなくなった。やがて来店頻度も減ってきて、来るときは何日か続くこともあるのだが1週間に1回、2週間に1回となり、7月になるとついに来なくなった。当時はカブキやミセミケも消息を絶ち、ちび太はわが家に越していたので店はとっても静かになったのです。しかし、8月になるとモドキは再びやって来ました。「お久しで~す、モドキですゥ」(2018.8月)。


看板猫さながらの振る舞いだった昨年秋

それからのモドキは、あの出会った頃のようにぐんぐんと店に入り浸ってきた。食べるのは相変わらず付き合い程度だけど、1日中店にいてスタッフに存在をアッピール。「ぼくだって店の子だい! ~モドキの夢~」(2018.9月)。 ところがまたしても順番待ちとなったモドキは、11月に入って寒くなってくるとばったり来なくなった。「保護してほしかったの? ~モドキの落胆~」(2018.11月)。 やがて、店には立ち寄らずにSC内を巡回するモドキを目にするようになったのです。「風来坊健在 ~その後のモドキ~」(2018.12月)。

スタッフの気を引こうと一生懸命な昨年秋のモドキ(再掲)

今年になってモドキは1月にまた姿を消したが、3月には現れた。でも店には昔を懐かしむように立ち寄るだけ。特別においしいおやつをあげるとおもむろに食べていく。貫禄がついて、おおらかで、スタッフを怖がる風でもなかった。人の顔を見てはピーピー鳴いていた若い頃とは違って、もの静かでひと声も発しない。何だかノラとしての風格さえ漂わせていました。そのモドキが、先月の初旬にまた姿を消した。

この2月にはレオ(当時はテンチビ)が店に居着いた。とても積極的でピーピー鳴きながらスタッフを追いまわし、あっという間に市民権を得て店を本拠地にしたのです。夜にやって来るモドキとは当初は折り合いがついているように見えたけど、そのうちモドキが「うるさいっ」とばかりにレオを追うようになった。あわや勃発の直前でK君が止めたこともあったが、その数日後の夜、トラックの荷台で寝ていたレオをモドキが襲い、レオは一時歩けなくなるほどの大怪我を負った。それ以来、レオはモドキを避けて夜間は室内(観葉売り場)で過ごさせることにした。モドキが敵役のようだがそうではなく、モドキが店でゆっくりできるようにするための配慮でもあったのです。


昨年暮以降は、店に来てもスタッフとあまり関わらなくなった

先日ご近所に住む猫好きのご夫婦と話をしていたら、最近は白い大柄の猫の代わりに昔のニャーに似た猫が庭にやって来ると言うのです。そのお宅には家猫が多いので挨拶に来るらしい。それでピンときた。白い猫というのはダイフク、ニャーに似た猫というのはモドキだろうと。モドキはダイフクのシマを継いだのかもしれません。SCの裏にコンビニがあって、ダイフクもモドキもそこでの目撃情報がある。彼らにとって貴重な餌場だったのだろうか。しかしそのコンビニは先月閉店した。ノラの生活には、いつ拠り所がなくなるかもわからない危うさがつきものだ。

モドキがノラとして風格を増したといっても、感心どころか複雑な心境になるばかりです。その歴史を振り返ればわかるように、モドキは何度も保護猫になる機会があったのに、レオみたいに最後の一歩を踏み出せなかった。何故なら、こちらが手を差し伸べなかったからです。テンちゃんがいたり家の中が満杯だったりと事情があったにしても、モドキにしっかりと応えることができなかった。その結果としてモドキはノラの道を極めようとしている。それが、自分のモドキに対する後ろめたさの理由でした。

店を通らず迂回して裏に抜けることも (店裏にて)

「これだけノラがいればとても全部の面倒は見きれない」と言うのはいい。総体としてはその通りだ。でも命や人生はそれぞれがひとつの世界であり、ひとくくりなんかにできるはずがない。自分の行動が出会った一匹一匹のノラの人生(猫生)を左右しているのだということを、決して忘れないようにしたいと思うのです。ソトチビしかり。ダイフクしかり。シャッポもしかり。モドキだけでなく決して彼らを忘れない。いつか彼らに再会し、そしてお迎えする日の来ることを願いながら。


事務所前にてくつろぐモドキ(昨年秋・再掲)

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キリン、新天地に向かう

2019年08月21日 | チキン&キリン
キリンが新しい生活に向けて旅立ちました。
キリンはチキンより2週間遅れてわが家に来た。チキンと同じ場所で保護されたので2匹は兄妹の可能性が高い。出会った当初から旧知のように馴染んでいたことからも伺える。2週間のノラ生活のせいかキリンはチキンのように保護者に馴れなかった。でも女の子らしく遊び方がかわいい。子猫ならではの活発なところはあっても、チキンのように暴力的なところがない。

チキンとキリン(手前) 当家に来た頃

しかしチキンより小柄で大人しいキリンは、チキンにとって格好の遊び相手。チキンに追い回され、組み伏せられて噛みつかれ、ついには悲鳴を挙げて逃げ出すとまた追い回される。一緒に寝ているときは微笑ましいけど、猫の世界に口出すなとは言え何とかならないものかと気を揉むことしきりなのです。たまにキリンがチキンを追い回すとつい応援したりして。

2匹とも保護時350g前後と標準の1/3程度だった体重が、その後ひと月で標準の1.6kgまで増えた。キリンは小柄の割には大食らいで、チキンの倍くらい食べています。チキンは保護者を親と慕うがキリンは猫同士の関わり合いに夢中で保護者に馴れない。何だかクウに似ている。でも子猫なので油断も隙も多く、必要があれば捕まえるのは簡単。捕まっても抵抗するどころか喉を鳴らしたり、それよりも追いかけられることの方が怖いようだ。

2匹はいつも一緒でした(右チキン)

そんなキリンが目に怪我をしました。最初は右目、次に左目。同じ頃シロキやクウも目に怪我をした。どうやらチキンが原因らしい。キリンの右目と他の猫たちは自力で治り、保護者は抗生物質の投与だけで済ませた。しかしキリンの左目のときは粗相問題の最中でしかもみうが倒れ、正直キリンまで気が回らなかった。1週間経っても治らない(目が開かない)ので病院に連れていくと、瞼が融合しつつあって(このままでは)開かなくなるかもしれないと。慌てました。結果的には治ってきたがまだ全開にはならず、目に膜を貼った感じが残る。しかも目薬投与のために何回も捕まえたのですっかり人間嫌いになり、今では家庭内ノラの如くになってしまった。

チキンの里親さん探しはひと月ほど前から始めました。かわいいし人懐こいのですぐに決まると思った。これまで3人の申込みがあったのですが、2人はペット不可の集合住宅だったのでお断りしました。残る1人はニャンコの経験がなく、しかも2才のお子さんがいるということでこっちが遠慮した。結果的に、ちび太のときと同じような感じでご縁に恵まれません。一方キリンは最初から里親さんが決まっていました。

寝るときは大好きなシロキおじさんと(中チキン)

お互いに引っ越す前にご近所だった、当家とは40年以上の付き合いになるお宅です。同世代ですが隣家に息子さん家族が暮らし、リフォームで家を繋げて今はばかでかい家に住んでいます。小さいお子さんはいないし全員が大の猫好き。当家より都心に近いが閑静な住宅街でこれまでは中外飼いだった。でも「虐待されたら嫌だから」と今度は完全中飼いにするそうです。ああ、これも時流なんだなと。「なるべく自由に過ごさせる」の方針は当家と同じ。特筆すべきは、このお宅で暮らした猫ちゃんが全員20才過ぎまで長生きしたこと。保護者の性格や方針も含めて、ニャンコにはとっても暮らしやすい環境なのだと思います。ちなみに先住ニャンコはいません。

左目が開かなくなって通院、待合室にて

そうは言っても、ニャンコにとって何処にともわからないまま強制的に連れて行かれる恐怖は想像を絶するものだろう。自分もハリーのトライアルのときにそれを思い知った(「おっとりハリーのトライアル」参照)。保護ボラさんのブログでトライアルに出発することを「幸せになりに行く」と表現しますが、それは先が見えている人間の話。本人(猫)はこの世の終わりに遭遇したくらい不安なのです。自分がその立場になってみれば容易にわかる話で、だから猫の生活環境を変えるときは思い切り気を遣う必要があるわけです。

案の定、里親さんと対面したキリンはそれまで聞いた事もない悲愴な声でキューウ、キューウと鳴き始めた。対面のためにケージに入れておいたので、檻の中で不安気に鳴くキリンにこっちの胸が痛んだ。やがてキリンは諦めたように静かになり、里親さんに引き取られて行きました。自分の臭いのついたマットとトイレ砂一式、それにキリンの大好きだったレトルトをつけてあげた。その間他の猫たちは2階に隠れて出てこなかったが、やがてキリンを探すチキンの姿が心に残った。

孤高の猫、ニャーにもくっつくキリン

こうして、キリンはトライアルに旅立ちました。トライアルと言っても失敗はないので、猫たちにとっては今生の別れです。チキンは翌日(つまり昨日)も少しおとなしかったが、今日にはまた元気一杯駆け回っています。そのチキンの里親さん探しは今後も続けていく予定です。とにかく保護者や他の猫にくっついているのが大好きなチキン。あまり馴れ過ぎないうちに里親さんが現れるといいのだけど。

(追伸)
キリンは一昨日里親さん宅に着いてからはテレビの裏に隠れて出てこなかったそうです。でも夜になって暗く誰もいなくなると出てきてご飯を食べトイレも済ませたとか。昨日は人の前でもご飯を食べた。今日は顔の前にご飯を出したら喉を鳴らして食べたとか。「あんなに食べて大丈夫?」と妻に電話があったらしい。トイレも順調らしく、キリンは新しい生活に向けてしっかり第一歩を踏み出したようです。やっぱり子ニャンの前向きパワーはすごい。


旅立ち前夜のキリン、知能指数の高そうな表情が印象的な子ニャンでした

後注)2匹ともウィルスチェック済、陰性でした。


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シロキおじさん

2019年08月18日 | ハリー(灰白)&白黄くん
半年ぶりとなったシロキの記事です。テンちゃんに続いてみうまで失って傷心の極みですが、保護猫たちの生き様を書き伝えることをライフワークと決めた以上、中断はしません。

一時は冷蔵庫の上が定位置だったシロキ
開ける度にこの顔で・・・

FIV陽性でデブでオニブでブサイク。しかも昨年末の保護当初から背中の脱毛や猫風邪や猫ニキビ(顎)が次々と発症して治療に専念。完治はしたものの今度は鳴き癖がついてしまった。昼夜関係なく、周りに人や猫がいてもわざわざ避けて別室で鳴きわめく。その鳴き方は求め鳴きで、長くても5分くらい。

出た! シロキスタイル
最近はどこでも堂々とやってます

3ヶ月くらい前から多いときで1日に5、6回、今は少なくなったけどそれでも2、3回は鳴いてます。シロキの甲高い笛のような声はよく通るのでご近所の静寂に響き渡る。もともと"前科"があるし(「ノラと家猫と」参照)、夜などは結構気を遣います。

ニャーとちび太の牙城にも平気でお邪魔

寂しいのかそれとも何かを探しているのか。一方気弱でいじられキャラだったシロキは最近になって自信がついてきたようだ。他の猫たちの真ん中でもドテッとのびてるし、一緒になって駆け回るシーンも増えてきた。保護者にも甘えてきたりちょっかい出してきたり。

リンの向かいの椅子の上も開拓
さて、リンの用心棒になれるか?

最重量の図体でも、おおらかでのんびりした性格のせいで他の猫に恐怖心を与えない。脱毛症になったほどの繊細さは普段は片鱗も見せません。それに、結構我慢強いということもわかってきた。実はシロキ、最近加入した暴れん坊将軍、チキンの子守役に就任したのです。

とにかくチビニャンパワーは凄まじい。この2ヶ月の間に壁紙もキャットタワーもボロボロにされて保護者も諦め顔。しかもキリンとの相乗効果で手がつけられず、他の猫たちも絡まれたらすかさず逃げまくる始末。子育て経験のあるリンの"お叱り"は唯一効果があるのだが、肝心のリンがニャーやちび太からの隠遁生活なのでなかなか怒る機会がない。

そこに登場したのが、その程度ならまったく気にしない大物シロキなのでした。シロキはチキンに絡まれてもやさしく相手をしてあげる。先日はチキンに後足でぴんぴんと連続的に顎を蹴られ、頭を上下に揺らしながらそれでも相手をするシロキに思わず笑ってしまった。そして、何と我慢強い猫だろうと。

そんなシロキなので、今ではチビニャン2匹からお父さんの如く慕われています。大食漢のシロキだけどチビたちがご飯を盗りにきても怒らない。お遊びの相手はもちろん、眠くなったチビたちには添い寝する。何から何までやさしいシロキおじさんなのです。

 
シロキの隣が安心のチキン         シロキのご飯に割り込むキリン

最近はそんなシロキの平和な生活ぶりに癒されることが多い。シロキに関しては、駄目もとで里親さん探しを行う予定が本人(猫)の体調不良が続いたせいですっかり延びてしまった。その間にシロキというニャンコの穏やかな性格が見えてきて、今や株が急上昇です。でもこのシロキの良さは、そこそこ生活を共にしてみないとわからないだろうなあ。最近のテレビやマスコミはとにかく顔とスタイルばかり追い求めるから、里親候補の人たちも影響されてミーハーになりつつあるのかな。

そんなことを気にしながら、シロキおじさんの活躍ぶりに目を細めています。一方キリンのトライアル日程が決まりました。いよいよ明日出発です。

 
寝相 (左:シロキとキリン 右:シロキとチキン)

キリンは明日、トライアルに旅立ちます


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みう追悼 「君のいた時代」

2019年08月16日 | (故)みう(おかあさん)
みう、わが家は今日も相変わらずだよ
みんな暑くてダラダラしてるし
チビたちはドタバタドタバタ疲れを知らない
お前が闘病中に使っていたトイレもそのままだ
ひとつだけ変わったこと
もうこの家には、お前がいない

帰宅すれば真っ先に確認したお前の姿
お前はいつも見えるところにいた
お前の幸せそうな様子を見ることを励みに
これまでやって来たからね

お前との別れがあまりにも突然だったから
いまだに茫然としたままなのに
日が経つにつれてショックが大きくなってくる
これじゃあいつになっても、心の整理がつきそうにない

少し時間はかかっていたけど、お前は回復するはずだった
手足が不自由で移動がうまくできなくても
ひどいめまいで床は波打ち家は回転していても
お前はひたすら耐え、そして頑張った
また以前のように
オジンやみんなと暮らせる日々が来ると信じて
 
眼振再々発したみう、頑張っても頑張ってもぶり返した
 
みう、お前の過去記事を読み返してみたよ
どの記事にも、お前を幸せにする自分の決意が滲み出ていた
お前が倒れる直前の記事も、そんなタイトルだったね
 
自由奔放で足りないものがなかった家裏時代
ソトチビとの蜜月
でもこの家に興味を持って、オジンを信頼して
お前はこの家の子になった
そしてニャーからの隠遁生活、ベッド下の住人
いろいろな苦難を自らの力で乗り越えて
リビングの華、そして主になった

お前が一度だけ家から出ちゃったとき
心配するオジンのもとに自ら帰って来た
嬉しかったなあ
お前もこの家を終の棲家と決めたんだよな
これからいろいろエンジョイするぞ
まさにそんなとき、お前は倒れた

お前の気立てのよさは特筆もんだ
人間でも猫でも、もう2度と出会うことはないだろう
難聴のせいか首を傾げて見つめるお前の姿は
とてもチャーミングだったよ
でもお前は人並み以上の
とてつもない頑張り屋さんだったんだね
 
みう、この家に来てくれてありがとう
たくさんの楽しかった思い出と
このオジンをやる気にさせてくれて
本当に本当にありがとう
命は尽きても、お前は不滅だ
このオジンがこの世にいる限り
 
 
 
 
◆◆追悼文に直接関連した過去記事◆◆
「何がみうに起こったのか ~中枢性前庭疾患について~」
「みうよ、今は幸せかい?」
「大難は小難に、小難は大難に??・・みうの巻」(「ノラと家猫と」カテゴリー)

◆◆思い出の写真集(みうのいた4年間)◆◆
☆家裏時代
(左)車の上からおはようの挨拶が日課 (右)リビングの前が昼間の居場所に(テツがいた頃)
(左)すっかり家裏生活が板についた頃     (右)遊び場はわが家の庭と周辺
(左)脱走ニャーに襲われてショック   (右)運動神経は抜群「気持ちいいんだニャン」
(左)徐々に馴れてきた頃    (右)ご飯も落ち着いて食べるようになりました
(左)寝床1号が小さくなってトイレで寝たことも (右)オジンを見ると条件反射でゴロンゴロン
 
(左、右)保護前日 : 家裏生活の最終日
 
☆ソトチビとのツーショット
 
(左)はじめまして、ソトチビについてやって来た   (右)2度の冬をソトチビと過ごした
(左)ご飯を譲るやさしさから旧名は「おかあさん」 (右)とっても絵になる平和な2匹でした
 
☆家猫に(正式保護)
(左)保護部屋での初日、生活用具一式も        (右)あっ、外にソトチビが
 
☆ニャーからの隠遁生活
(左)ニャーが入れないようあおり止めで固定したドア      (右)怖くて下りれない 
(左)ついにベット下の住人(猫)になった頃        (右)ニャーの睨みに堪える
 
☆改善するニャーとの関係
 
(左)関係好転のきっかけはイエチビ(右上)だった      (右)まだニャーが睨んでる
 
(左、右)かつてニャーが怖かったことがウソみたいに

☆多頭化時代・目立たない存在
 
(左、右)いつも誰かの後ろや物陰にいた頃
 
(左)女組の主導権はリンだった     (右)ピアノ上の定位置もリンに取られた
 
☆リラックス
(左)快心のリラックスポーズ     (右)童心に帰ってじゃれる
(左)初めてオジンの足にくっついたとき        (右)久々のひとり運動会
 
☆「リビングの主」
 
(左)平和な昼寝タイム(みうは一番奥)     (右)首かしげポーズがかわいい
 
(左)外猫が挨拶に来た         (右)おコタにかくれんぼのちび太と
 
(左)リンとみうは紅2点        (右)リビング入室も堂々と
 
(左)キャットタワーにて       (右)テレビの鳥が大きすぎる
 
(左)ピアノの上で          (右)並んで昼寝(窓側がみうの定位置に)
 
(左、右)誰もが畏れるテンちゃんとは一緒にいることが多かった
 
(左)ちび太とキーと       (右)リンとコタツを独占(女子連合)
 
(左)姿勢のよさも特筆もんです       (右)2階の出窓で日光浴
 
☆オジン部屋に根城を変更(発病1ヶ月前)
 
(左)オジンのパソコンラックの下が定位置       (右)昼間はベットを独占も
 
☆発病 : 最後の闘病34日間
 
(左)倒れた翌日は何とか歩けた        (右)2週間後に眼振の再発
 
(左)4週間後に眼振再々発 (右)5週目にはほぼ歩行困難に(それでもトイレから自力帰還)
 
 
◆◆予告編(期日未定)◆◆
みうの闘病記録・その1 「発病以前の3年10ヶ月」(前兆の有無を探る)
みうの闘病記録・その2 「七夕の発病から眼振再発までの2週間」
みうの闘病記録・その3 「その後の3週間と突然の別れ」
 
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何がみうに起こったのか ~中枢性前庭疾患について~

2019年08月11日 | (故)みう(おかあさん)
昨日の午後、みうの葬儀を終えました。今でもみうを失ったことは信じ難く、諦めきれない気持ちだけど、新たに学んだこともあるし気持ちの整理の意味もあるので、いろいろ書いておこうと思います。(長文です)


生前のみう(下はリン)

大切なものを亡くせば悲しいのも淋しいのも当然。でも今の自分を支配しているのは悔恨、悔しいの一語に尽きます。何がって、自分自身の力のなさと非情な運命です。みうを語るならそのカテゴリーの全記事に溢れているように、一にも二にも気立てのよさだ。物静かで穏やかで控えめで奥ゆかしくて他人を優先する。それでいて茶目っ気があっていつも前向き。人間でも猫でも、こんな性格の持ち主に出会うのは初めてだった。(特に「女らしさはみうの華」「もしも人間だったなら」「リビングの華」など参照。) 「女らしさはみうの華」でも書いたように、みうは人間だの猫だのという次元を超えて、最後には幸せにならなければいけない存在だと思っていました。そうでなきゃ、世の中道理が通らない。

しかも、みうはニャーと並んで当ブログの現役最古参だった(3年10ヶ月のお付き合い)。そして自分の腹心だったテツの忘れ形見。テツのカテゴリーでも先日みうの応援を誓ったばかりだ。だからみうには目を掛けていました。別に贔屓するわけじゃなくて、いつも順番が最後で時として諦めてしまうみうが割を食わないように気を配る。難聴のみうにもみんなと同じように家猫生活をエンジョイしてもらいたい、それだけでした。

みうの出棺準備①:トイレ砂2種類、カリカリ、レトルトをまず入れて

そんなみうの人生(猫生)をこんな形で終わらせてしまった。しかも6歳前後(推定)という若さで。悔いが残るのは当然なんです。葬儀の後、一体みうに何が起こったのか調べまくりました。先日書いた「みう、頑張ってます」では、前庭疾患が末梢性であることに疑問を投じながらも信じようとしていた。しかしこういう結末になった以上、(2週間ほどで回復するはずの)末梢性ではなかったことが明白だ。みうの病魔はやはり中枢性前庭疾患だった? しかしこの中枢性についてはどう調べてもよくわからない。稀な病気らしく記述も少ないし学術用語が多いのです。そこで病院の先生に、今回の報告とお礼を兼ねて電話しました。自分としては自分に誤判断や落ち度がなかったか、それだけは確認したかった。

先生は診療中だったが夜遅くなって折り返して頂き、30分近く話をしました。まずその後の経過について説明すると、先生も「やはり中枢性だったね」と。ただみうの場合は耳ダニが相当ひどく炎症を起こしていたため、「まずは内耳炎に起因する(末梢性)前庭障害を疑うのが筋だろう」と。ちなみに、以前に「鼓膜の破損」と言ったのは先生の推測だったが、まず間違いないと。2週間経って眼振が再発したとき、再発ではなく中枢性なのではと思ったそうだ。さらに先生は、その時の確認事項としていくつかの話をしてくれた。


みうの出棺準備②:思い切りお花で飾りました

眼振について、自分の調べでは「水平眼振=末梢性」だったが実際にはそうではないという。垂直眼振や回転眼振は中枢性を示すが水平眼振は末梢性、中枢性の両方の可能性があるのだという。しかし末梢性の場合は頭位(頭の角度)によらない水平性を示すのでわかる。みうの場合、自分はそこまでは確認しなかった。

決定的だったのは先生のその後の話だ。中枢性前庭疾患、つまり脳をやられた場合の特徴としては姿勢反応(反射)の喪失とナックリング異常がある。姿勢反応喪失のうち立ち直り反応(跳び直り反応)の喪失とは、身体を持ち上げて再び接地させるときに手足がなよなよしてうまく使えず、あらぬ状態になって普通の姿勢をとれないことを言う。ナックリング異常とは、同様に接地させるときに手首が内側に折れて肉球が上向きになってしまうこと。実はこれこそまさにみうの最初からの症状そのもの、単なるふらつきに見えなかった自分の不安の根源でした。

おそらく、確信ではないが先生はわかっていたのです。でも自分が(末梢性前庭の)再発だと信じて疑わないので、その可能性無きにしも非ずと強くは言わなかったのでしょう。そうなのでした。この先生は保護者の希望を絶つようなことを言えないのです。そのせいでかつてハナやくもの入院を一縷の望みで続行させ、結果的に看取れず病院で淋しく逝かせてしまった。もちろんこの優しい先生に感謝こそすれ恨むなんてできません・・。 先生との電話の後でネットの記事を調べ直してみると、数は少なく断片的ではあるけど確かに同じことが書かれている。自分がきちんと理解していれば、みうは最初から中枢性前庭疾患だとわかるはずだったのです。ちなみに先生に伺った話のおさらいとして役に立ったサイトを、本記事の下に紹介しておきます。

(葬儀場にて)最後のお別れのひととき

先生との話はまだ続きます。
次に先生から聞いたのは"予後不良"という言葉だった。「中枢性の場合はだいたいが予後不良だからね。」 この言葉はネットで調べているときも時折見かけたが、予測不明のときの逃げ口上みたいであまり気にしていなかった。だが先生に聞いて驚いた。要は治る見込みがなく殆どの場合は死に至る、の意味。つまりみうの場合は初めて倒れたあの七夕の日から、既に助かる見込みはなかった・・・?  しかしまあ、それを知ったところで何かが変わったわけじゃない。いずれにしても自分は出来る限りのことをしたのだから。

でも、本当に治る見込みはなかったのだろうか。それを知るには、今となっては難しいだろうけど原因を突き止めなければならない。耳ダニに起因する内耳炎から前庭障害を起こし、それが脳性(中枢性)のものに進化したという自分の推測は、先生はやんわりと否定した。同時に発症したが原因は別だろうと。みうの場合はまだ若いので脳腫瘍や脳梗塞の可能性は低く、むしろ感染症が原因なのかもしれない。そしてクリプトコッカス(真菌)、トキソプラズマ(原虫)、FIP(伝染性腹膜炎・ウィルス)などの名前を挙げた。多頭飼いのストレスや抵抗力が弱っているときに発症し易い病気だが、みうの場合はいずれも症状的に当てはまらなかった。

先生が言うには、大変な経費と時間と(麻酔などの)リスクをかけて検査して、運よくその原因を突き止めたとしても、完治するのは難しい。強烈な抗真菌剤や抗生物質やサルファ剤を1年以上投与しても効果の判別すらつかないばかりか、むしろ副作用で二次的な問題を生じることが多いそうだ。つまり、だから「予後不良」なのだ。

オジンのメッセージも添えました

電話を終えて、やはりこれはみうの運命だったと思わざるを得なかった。こんなに気立てが良くて健気に生きてきた子に対して、運命は何と非情なことか。その短い人生(猫生)の中で自分と出会えたことが、みうにとってせめてもの幸せだったことを願うばかりです。

みう、こんなに早くお別れが来るなんて思いもしなかったけど
お前は本当によく頑張ったよ
今度はそっちでまた会おう

REST IN PEACE
美 宇

わが家の守り神になったみう(美宇) (右は先日亡くなったテンちゃん)


※タイトルの通り、役に立ったサイトです。
「役に立つ動物の病気の情報」  (「神経の疾患」→「脳の疾患」→「斜頸」の項目)
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