本シリーズはまだ議論すべき項目を残していますが、今回で打ち切ることにしました。8年半前ブログ開設してすぐに書き始めた本シリーズでしたが、当時いろいろ調べて考え抜いたノラ猫との平和的共存への道筋が、その後自分の知識経験を深めるにつれ現実から遠ざかっていくのを感じていました。それで番外編だの場外編だのと回り道をして軌道修正を試みましたが、この問題の根深さはそんなことでは太刀打ちできないと悟ったのです。
今世界的な問題になっているガザの住民たちの悲劇。こんな理不尽なことが許されるはずがないと思わない人はいないでしょう。ノラ猫たちの過酷な生活や悲惨な運命も、理不尽な苦難という点で同質のものです。人間と違って猫たちは悲壮感を表に出さないから、多くの人は彼らの置かれている立場の過酷さに気づいていない。人間の落とし子であるノラたちにだって、ガザの人たちと同じようにまったく罪がないのです。ノラたちとの共存への道筋は、今問題となっている熊や猪をはじめ野生動物たちとの共存を図る上で、また外来生物の問題解決の際の指標にもなるはずだと思います。
自分が悟った「ノラ猫問題の本質」とは。
その答えは何故ノラが増えるのか、あるいは減らないのかという問いかけを突き詰めていくことでたどり着きました。問題の本質は動物の側にあるのではなく、人間にあったのです。やはり最近打ち切り終了した「エサをやるなは殺せと同じ」シリーズの後半で毎回書いてきたように、どんなノラ猫でもルーツを辿れば必ず捨て猫に当たります。つまりノラ猫問題の本質は人間による「猫捨て」であって、ノラ猫自身の自然繁殖は(問題ではあるけど)2次的な問題だということです。しかし役所やノラ保護ボランティアなどの関係者が『(将来不幸になる猫を増やさないために)ノラ猫にはエサを与えるな』と繰り返し発信することによって、ノラ問題はノラ猫自身の問題にすり替えられた。「自然繁殖を防ぐためにノラ猫にエサをやらない(=餓死させる)」は今では社会通念となり、ノラ猫たちの迫害に拍車をかけたのです。

まず、人間による猫の遺棄は想像よりはるかに多く、ノラ猫自身による自然繁殖に勝るほどの件数だと認識する必要があります。(場外編5・残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」参照) 人間による「猫捨て」がなくならない限り、どんなにノラ猫の保護やTNRに奔走してもノラ猫が減ることはありません。これはノラ猫にとってもボランティアの人たちにとってもとても不幸な状況です。問題をすり替えてしまったために、問題の本質(入口)が放置されているのです。
さらにはペットビジネスの闇としての「売れない猫、売れ残り猫」問題。利潤を追求する商売である限り"不良商品"に余計なコストはかけられない。悪質な業者によるこの問題は猫の虐待としてだけではなく、遺棄することによってノラ猫が増える要因にもなっている。そして多頭飼育崩壊の問題。悪意はなくとも明白な猫の虐待であり、ボランティアの手やシェルターを奪うという形でノラ猫保護を阻害する間接的な要因となっている。だからと言って独居老人から癒しのペットを奪うことなく、問題を入口から解決する施策が急がれているのです。
ノラ猫の問題は、ノラ猫自身に焦点を当てて議論しても解決は望めず、人間の側(その悪しき慣習)としっかり向き合うことが不可避です。世の中には既にそのことを悟った人たちがいます。実際、「命」を売らないペットショップが徐々に増えているし、土地開発業者に先住野生動物との共存を図りその施策の義務付けを主張する人たちもいる。まだまだマイナーな存在だけど、こういった行動や考えが社会常識化するように、新しいシリーズでは微力を尽くしたいと考える次第です。

ニャー「オジン、とりあえずお疲れさま」
◆「ノラたちとの共存を目指して」過去記事一覧
その1 資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2 現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3 エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4 一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5 闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6 原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7 形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8 地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9 理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存) 未記述
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会) 未記述
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足) 2023.7.31
番外編7 「殺処分と暗闇ビジネスからの脱却」2024.7.31
場外編
場外編1 猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2 続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3 どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4 メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5 社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6 ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7 ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~ 2022.12.8
場外編8 猫捨て防止啓蒙活動 ~それでもやらなければならない~ 2024.5.19
場外編9 ノラたちを救うために不可欠な警察・検察・裁判官の意識改革 2025.2.25
その1 資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2 現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3 エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4 一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5 闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6 原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7 形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8 地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9 理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存) 未記述
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会) 未記述
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足) 2023.7.31
番外編7 「殺処分と暗闇ビジネスからの脱却」2024.7.31
場外編
場外編1 猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2 続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3 どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4 メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5 社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6 ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7 ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~ 2022.12.8
場外編8 猫捨て防止啓蒙活動 ~それでもやらなければならない~ 2024.5.19
場外編9 ノラたちを救うために不可欠な警察・検察・裁判官の意識改革 2025.2.25