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今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ノラたちを救うために不可欠な警察・検察・裁判官の意識改革

2025年02月25日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
本記事は、「ノラたちとの共存を目指して・場外編その9」の位置づけとなります 

ノラたちとの共存を目指して様々な議論を重ねてきた本シリーズも、本編あと2つの記事(その9と10)を残すだけです。今回はその前に今一度、司法の役割と現状について確認したいと思います。殺処分をなくし、最終的にはノラのいない社会を築くには猫捨てを根絶することが不可欠。ゼロとまではいかなくても、人間社会での犯罪発生率相当まで猫捨てを減らせれば殺処分をなくせるでしょう。しかし、実はこれが最も高いハードルなのです。

猫捨てをなくす方策には「啓蒙活動」、「法による厳罰化」、「検挙率アップと罰則強化」がある。これらは合わせて行う必要があり、どれひとつ欠けてもうまくはいきません。啓蒙活動は行政や民間ボラ団体あるいは個人ボラさんの輪が広がってきたし、厳罰化は前回の動物愛護法の改正時に行われた。しかしその効果はまだ確認できるほどになっていない。啓蒙活動や法の強化は既に「反猫捨て意識」のある人々には注目されても、実際に猫を捨てたりする問題の人たちには届いていない、あるいは軽く見られているからだ。何故かと言うと、検挙数が低い上に逮捕されても起訴率が低く、起訴されてもまったく甘い判決しか下されないからです。
<参考資料:(最新事例)これだけの犯罪に対してこの求刑>



動物虐待の検挙数は近年になって増えてはいる。法の強化やメディアの報道が増えてきたことで警察や市民の意識が変わり、通報や告発が増えてきたことが要因だろう。それでもまだまだ氷山の一角に過ぎないだろうから、今の変化がもっと大きな広がりになることが期待されます。ただしその対象はネグレクト含む虐待事件であり、一般市民による動物の遺棄に関しては殆ど手つかずなのが現状だ。本シリーズでは、場外編5で日本の社会に現存する「当たり前のように猫を捨てる文化」について述べてきた。猫を捨てるのはごく普通の人たちで、社会の風潮から身を隠し、陰に隠れてひっそり静かに行うのです。しかしその数はとてもじゃないが馬鹿にできないほど膨大だ。この部分に手をつけることができるのは、前述警察と市民の輪しかないだろう。そしてこの部分に手がつかないと、いつまで経ってもボラさんたちの努力空しくノラの数も殺処分も減らないのです。
<参考資料:以前にも紹介した、告発を推奨する「動物弁護団」のHPです>

もう一度繰り返しますが、一般市民の猫捨てを減らすには通報告発の向上と検挙率アップが不可欠です。啓蒙活動だけでは犯罪者(あるいは犯罪予備軍)に無視されて終わり。しかし検挙率がアップしても殆ど起訴されない、起訴されても無罪に近い判決しか下されない、こんな事態が続いたらどうでしょう。検挙そのものが犯罪者(猫捨て者)にとって怖くなくなり、検挙数アップが抑止力にならなくなるのです。検察と裁判所が犯罪を助長していると指摘してきた所以ですが、それにはそれなりの理由があるのです。

虐待の場合は人間社会での児童虐待と同じでまず立件が難しいこと、所有権(児童虐待の場合は親権)の壁があって引き取るなどの執行が容易でないことがあります。(下記参考資料のうち、公益社団法人アニマル・ドネーション のサイト「アニドネ・レポート一覧 - AWGs」参照) 我々市民が情緒的に考えるのと違って実際に人を罰する司法には確固たる根拠(論拠)が必要ですが、動物愛護法の精神が「愛」だけに同法には抽象的な記載が多く、明確な違反が確認されない限り"疑わしきは罰せず"になってしまうのです。猫捨ての場合も同様で、前述動物弁護団が写真など明確な証拠が必要と喚起しているのもそのためです。
<参考資料:Google検索結果・動物愛護法違反の検挙率、起訴率、判例>



今年は動物愛護法が改正される年。(5年毎の改正) 「動物愛護法の改正2025」でGoogle検索すると初めにAI の要約が出ますが、次の事が書かれています。(2025.2.25現在)
【動物愛護法改正の議論の背景】
・国内での野生動物のペット利用が問題となっている
・近年行政の運用の甘さが散見される
・虐待下の動物を救うための制度の整備
虐待行為を明確化し、犯罪として罰しやすくするための議論は行われているようです。しかし同じく重罪であるはずの動物の遺棄については、業者への規制強化は別として一般市民の猫捨てに関してはまったく議論されてないのが実情。昨年、縁日で購入するみどり亀が大きくなると池や川に放流(遺棄)することが問題となった際、環境省は遺棄しないで冷凍殺処分することを推奨した。日本の動物福祉が100年遅れていると言われる所以です。
<参考資料:本年動物愛護法改正に向けての動き>

殺処分ゼロを達成しその先に進むには番外編7に書いたように地域猫活動だけではダメで、新たにノラを生み出さない数々の施策が必要です。その中でこの猫捨て防止だけは国にまかせるわけにいかず、私たち一般市民が対応する問題なのではないでしょうか。確固たる証拠をもって通報すれば、司法も重罰化に舵を切るはずだと信じています。



◆「ノラたちとの共存を目指して」目次  ※予告編(期日未定)含む
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足) 2023.7.31
番外編7 「殺処分と暗闇ビジネスからの脱却」2024.7.31
場外編
場外編1 猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2 続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3 どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4 メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5 社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6 ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7 ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~ 2022.12.8
場外編8 猫捨て防止啓蒙活動 ~それでもやらなければならない~ 2024.5.19
場外編9 ノラたちを救うために不可欠な警察・検察・裁判官の意識改革
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ノラたちとの共存を目指して 番外編・7「 殺処分と暗闇ビジネスからの脱却」

2024年07月31日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
足掛け7年に及ぶこのシリーズ、進むにつれて更新が停滞しています。番外編だの場外編を次々と足しながら回り道し、半年ほど前にようやく「その9」を書いたのですが、結局公開せず没にした。その代わりに「場外編8」と「番外編7」(本記事)をさらに追加。ノラたちを不幸のどん底から救い出すには、まずノラを生み出す猫捨て防止と暗闇ビジネス(ペットビジネス)からの脱却が不可欠と考えたからです。7年前に「その1」を書いたときに想定した道筋より遙かに奥が深く規模が大きかった。単なる理想論ではなく、現実的な提案をするためにこれからも勉強は続きます。(文末に記事一覧)

後日追記)
殺処分をなくすには何よりノラの数を減らさなければなりません。そのためには、①今いるノラを減らす、②新たにノラを発生させない。どちらの取り組みも必要です。
①今いるノラを減らす    地域猫活動
②新たにノラを生み出さない 猫捨て抑制の施策、ペット業界の規制強化
              猫の飼育管理の強化・サポート(多頭飼育崩壊、脱走防止)


当シリーズの「その8」では地域猫活動に焦点を当てました。すべてのノラを保護できない以上、現状では地域猫活動が殺処分ゼロを達成するための唯一実現可能な方法であると考えられます。しかしその8でも述べたように、この活動には問題点、というより足を引っ張るファクターがいくつかあって、現状ではうまくいってるとはとても言えない。負のファクターのうち、自分たちではどうにもできないのが冒頭で述べた猫捨てとペットビジネスなのです。ペットビジネスの問題は悪徳ブリーダーや引き取り屋などの直接的な"悪"と、安易に動物を販売して遺棄を助長するという間接的な"悪"に分かれます。

悪徳ブリーダーなどの直接的悪は法で規制し根絶する以外に方法はない。こういった人たちのモラルは説得や教育では変わらないからです。間接的悪に関しては、フランスのように生体販売を禁止するのが理想だけど、日本ではそれこそ100年先になるでしょう。市民運動(不買運動)でビジネスとして成り立たなくする方法もあるが、そこそこ不満のない日本人にはそれも難しそうだ。この業界自体に自浄作用があればいいのだけど、果たしてどうでしょうか。

少なくとも無尽蔵な繁殖生産と売れ残り対策については、大元の問題として早々に規制強化しなければならないと思います。ノラの発生源をなくすという観点からだけでなく、人間の都合で生まれ人間の都合で不幸になるという負の連鎖を断ち切るためにも。

ここではこの問題を掘り下げて理解するために、二つの関連記事を紹介します。
当ブログでも速報として取り上げた悪徳ブリーダーによる凄惨な事件です。最近このような悪徳ブリーダーの摘発が後を絶たないが、なぜ放置されてきたのかを掘り下げています。
※この記事は前後編の後編です。(前編は記事内にリンク) また、タイトルの一部を割愛しています。

生体販売大手のCoo&RIKUは、週刊誌やSNSで様々な告発を受けており一部は訴訟中。(状況を確認したい方は検索してみて下さい。) 大手ペットショップ社長の考えを知る上で価値ある記事だと思いました。
※本記事も前後編の後編で、前編は記事内にリンクされています。


多頭飼育崩壊に関しては、簡単に解決できる問題ではない。ノラがかわいそうで保護しているうちにキャパを越えてしまう。経済的なキャパもあれば肉体的(手間)キャパや年齢的キャパ(限界)もある。ノラは無尽蔵にいるので、温情の強い人ほどキャパを越えがちになるだろう。また、独居生活者のコンパニオンとしての存在、必要性も否定できない。結局のところ、早期発見や確認によりサポートするしかないのではないか。単にご近所付き合いやボランティアに任せるのではなく、民生委員など組織的に行う必要があると思います。

ひとつのヒントとして、雄猫だけ雌猫だけを完全室内で同居させるなら手術は不要だし増えることもない。時間はかかるかもしれないが、この辺に円満解決の糸口があるのではないでしょうか。
(猫捨て防止に関しては「場外編8」を参照ください。)


~自治体が発表する「殺処分数」について~
環境省によると、2022年度の猫の殺処分数は9,472匹。最も多かった1989年度(328,000匹)の35分の1にまで減少したことになる。9,472という数字が少ないとは決して思わないが、どうしてこんなに殺処分数が減ってきたのでしょう。

ひとつは動物愛護団体による引き取りです。保健所では規則で、引き取ってから何日後には殺処分すると決まっています。自治体によって期間が異なるが通常は1週間くらい。で、"その日"が迫ると民間の心ある保護団体が引き取るのです。経済力や行動力のある団体がいる自治体では殺処分数も減って来る。現在ではこういった民間保護団体のキャパが限界に達しつつあり、問題となっている。
(参考記事)

もうひとつは2012年の動物愛護法の改正により、2013年9月から保健所(現動物愛護センター)が犬猫等の終生飼養の原則に反する引き取りを拒否できるようになった。これは殺処分数を減らす目的(保健所のキャパ越え)ですが、代替え案がないため、一般市民は隠れて遺棄したり殺害するようになり、ペットショップは(総てではないが)引き取り屋と呼ばれる闇の始末屋に委託するようになった。動物たちからすれば、苦しんで死んでいくことに何の変りもないのです。(注:保健所の猫引き取り数は1989年度の341,000匹から2022年度は30,401匹まで減っています。)
(参考記事)
※この記事の後段は限りなく自分の考えに近いので紹介します。ただ、「猫捨て」に触れてないのは残念。


◆「ノラたちとの共存を目指して」目次  ※予告編(期日未定)含む
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足) 2023.7.31
番外編7 「殺処分と暗闇ビジネスからの脱却」
場外編
場外編1 猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2 続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3 どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4 メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5 社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6 ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7 ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~ 2022.12.8
場外編8 猫捨て防止啓蒙活動 ~それでもやらなければならない~ 2024.5.19

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猫捨て防止啓蒙活動 ~それでもやらなければならない~

2024年05月19日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
本記事は、「ノラたちとの共存を目指して・場外編その8」の位置づけとなります 

美談の数百倍の猫捨てがある
自分は毎日猫関連ニュースを見ています。すると、AIでその人(のPC)向けに記事を選択するYahooニュースには猫ニュースが多くなる。特に多いのはSNSに投稿された記事の紹介で、過酷な外生活から保護された猫が幸せになった話。猫虐待や殺処分などのネガティヴなニュースよりもずっと多い。しかしそれら美談のタイトルや冒頭の数行に注目すると、捨てられた猫である場合が多いのです。しかも数匹死んで1匹残った猫だったりとか・・。

本シリーズ場外編その5で、日本には「当たり前のように猫を捨てる文化」があると書きました。子猫を大きな川の真ん中に投げ捨てる、ビニール袋に密閉してゴミ箱に投げ捨てる。ごく普通の人たちが、他人が見てなければ地獄の使者にも変貌するのです。それは身近なところでも結構あることがわかって来た。このむごい遺棄の件数は美談ニュースになる件数の数百倍はあると推察され、それに気づいて以来、猫捨てが現状のままでは野良猫問題は決して解決しないと声を挙げてきました。

例えばどんな水漏れトラブルでも先ず水道の元栓を閉めることが絶対です。水道の水を出し放しにしたまま水漏れを修理したり溢れた水をかい出したり、なんてあり得ないことです。ところが今の野良猫対策(保護活動)はそれに似ている。確かに猫は多産系だが、野に生まれた子猫の1才生存率は(人の保護がなければ)2割に満たない。それにいつも書いているように、どんなノラでもそのルーツを辿れば捨て猫なのです。

ではどうすれば猫捨てをなくす、あるいは減らすことができるのか。実はそれが悩みの種で、そのために本シリーズ終盤のその8、9、10を書くことできなくなってしまったのでした。(もう1年近く空いてしまいました。)

※捨て猫が保護されて幸せになった記事の一例
ねこちゃんホンポ:一人ぼっちで捨てられた子猫を保護したら…"ごはん"に見せた反応が切なすぎる・・

チキン「自分は物心つく前に捨てられいたそうです」

捨て猫・猫虐待防止啓蒙活動の効果は? 
かつて「死刑に処すべし」という記事で、捨て猫を防止するには摘発を強化して最高刑(懲役1年か罰金100万円)を課すべきと訴えました。しかし現状、どんなにむごい猫遺棄虐待事件にも無罪に近い判決しか出さない今の司法(裁判官)に期待するのは難しいでしょう。つまり司法関係者の頭の構造が、遺棄などの罪を犯す連中と同質なのです。この人たちの頭の構造が欧米並みになるには少しづつは進歩するにしても、100年はかかると思われます。

一方自分みたいにエキセントリックには考えなくても、できることから地道に活動している人たちも大勢います。動物福祉の考えを拡充するという大きな目的のもと、遺棄や虐待の防止を訴える人たちです。講演やセミナー、イベントやネットでの発信がその手段で、多くの場合相手は不特定多数です。その内容は視聴者(参加者)の人間性に訴えることが基調です。自分はこういった活動の必要性を重々認識していますが、あえてその効果という点について考えてみました。

ポイントは、そういった講演に参加したりネットで見たりする人は一体どんな人かということです。例えば自分は見ます。でもご承知の通り、自分は既に十分意識を持ち合わせた人間です。猫と暮らし始めたか暮らそうとしている人なら興味があるかもしれない。でも既に猫と暮らしていてしかもためらいもなく猫を捨てるような人が、そういった啓蒙話に興味を持ち耳を傾けるでしょうか。自分にはそうは思えません。文化のレベルが違う? いや、耳を傾けない人たちはごく普通の人たちです。講演やネットでの主張をもっと有効にするには、実際に猫捨てを行う層の人たちに声を届かせなくてはなりません。

そこで、自分の提案はメディアの活用です。日本のメディアははっきり言って質が低い。多くのワイドニュース番組で、MCやコメンテーターが芸能人であることからも製作者の姿勢がわかります。しかし逆に強みもあって、それは付和雷同型であり執拗に同じ話と画像を繰り返すことです。この特性(刷り込み効果)を使って、チョコレート製造会社はバレンタインデーなるものを国を挙げてのイベント化して大儲けした。今は同じことを転職産業が仕掛けていて、これが亡国への道につながらないかと案じています。いずれにしても、講演などの相手をメディア関係者に絞り込んで、まず彼らを味方につけることが一番の早道だと思う次第です。

軌道に乗れば、メディアが具体的な方法をいろいろと提案してくれるでしょう。大事なことは官民一体となって検挙数を上げることです。まずはそこから初めて、裁判官の"手抜き"を徹底的に取材して公開することではないでしょうか。
※少し古いですが、啓蒙活動に向けての滝川クリステルさんの話を以下にリンクしておきます。


ニャー「おれも捨て猫だったらしいけど、外時代はもう忘れたな」

◆「ノラたちとの共存を目指して」目次  ※予告編(期日未定)含む
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足) 2023.7.31
番外編7 「殺処分と暗闇ビジネスからの脱却」
場外編
場外編1 猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2 続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3 どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4 メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5 社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6 ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7 ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~ 2022.12.8
場外編8 猫捨て防止啓蒙活動 ~それでもやらなければならない~
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ノラたちとの共存を目指して 番外編・6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足)

2023年07月31日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
これはとても難しい問題です。
当シリーズの「その2」と「その6」を読み返すと、いろいろ書いてはいるけどまとまりがなく、趣旨不明瞭だったと反省しております。その2では価値観の多様性の下で、「誰かを好きになって守りたいと思う気持ちを他人に説明する必要はない(プライベート問題)」という考えを前提としつつ、実際に守るという行動はそれが無償の愛に基づくものであれば、もっと社会に認知され必要に応じてサポートされるべきだと主張しています。(最近問題視されているストーカーなどは独占欲に起因するもので、まったく次元が違います。)

その6の記事はもっとわかり難いかもしれません。根底に流れているテーマが複数あるからです。それらを読み解くと、「(人間を含めた動物の)命に優劣はない」「(人間を含めた動物の)生活権は平等」「自然の法則として(人間を含めた肉食動物は)生きるために命を奪う(食べる)」。開発で住処を追われた熊や猪が街に出れば害獣として殺し、金儲けや自分の好みで飼育した猫が要らなくなったらその辺に捨て、エサをやるな(殺せ)と言い散らす。一方で人間は肉を食らう。猫が鼠を食べるように、人間が牛や豚を食べることは自然(神)が決めたことと肯定しつつ、だからと言ってその生活権を奪うことには繋がらない。これは特に日本における養鶏場や劣悪な家畜の飼育方法を問題にしました。同様のことが、参考資料の2番目記事にも書かれています。

その6では、食肉文化における西洋と日本の違いもテーマにしました。以前に、英国では家族のように育てた牛や豚をある時期になると別れを偲んで、そして解体して食べる昔からの文化があるとの記事を紹介しました。殆どの日本人は、いま口にしている肉の生きている姿を想像できないと。

わが妻は農家の出で、野菜果物中心だが牛も1頭飼っていて大きくなったら市場に出し、一部の肉を引き取って食べていたそうだ。1頭市場に出せばまた子牛を1頭仕入れる。食べるのが精いっぱいの家庭で妻は兄弟のように育った牛を、その命の有難みを噛みしめながら食べていた。実は自分にも同様の経験があります。入社直後の研究所で、部署は違うが豚の飼育実験を始めた。3匹の子豚は中庭で楽しそうに暮らし、自分たちはそれぞれ名前を付けてかわいがった。しかしそれから1年近く経って、大きくなった子豚たちが突然姿を消した。しばらくして、その豚たちの食肉パーティーが開かれたのです。解体し分析測定後のお肉でした。それはショックなことではあったけど、全員が参加してその3匹を弔いました。(実際にお墓も作った。) そのときは命を頂くということを身をもって知ったけど、食肉を否定しようとは思わなかった。何かを否定したり何かを肯定したりとは違う感覚。ただ3匹との楽しかった日々が、いつまでも心に残ったのでした。尚、参考資料の1はタイトルのインパクトが大きいのでリンクしましたが、この記事も同様で、この問題にすっきりした答えはないのだと思います。



智恵を身につけた人間が神のように奢ることなく、地球上の他の動物たちと対等に暮らす。そして生きるために最小限の命を頂く。これが本来の自然(神)の決めごとなのではないでしょうか。そうは言ったって野生動物は危険? いえいえ、野生動物たちにとって人間こそが危険なのです。智恵ある人間ならば、野性動物との共存を図ることは十分に可能なはずです。ノラ保護のボラさんたちが奔走するのも自然の流れ(神の意志)に沿ったもの。固有種を守るために外来種を駆除すると言うのは、道理があるようだけど実は人間の行為の結果を外来動物のせいにしているに過ぎないのです。

人類は神(自然)の使い手となるのか、神をも恐れずむしろ新しい神(悪神)として地球上に君臨するのか。人間が自然を破壊する行為と、動物たちを虐げる行為は同じ次元のものです。その6でいきなり人間性の話を持ち出したのは、それが悪神にならないための抑制剤と思ったからです。後段はノラ保護活動の+-ファクターについて書いていますが、その根底に流れているのは人間性という尺度です。その行為が人間性に合致していますか?と言いたかった。ところがです。それがこの記事をわかり難くしているもうひとつの要因なのではないかと後で思うようになった。

と言うのも、自分の若い頃と較べて人間性という言葉の意味が、いや人間性という言葉そのものが色あせてきてるように思えるのです。自分が持っていた人間性のイメージは仏教の三徳のようなもので、不幸なものを哀れみ弱きを助ける心ではなかったか。それが色あせてるとすれば・・、いま必要なのは、敬愛するわが坂口安吾の「堕落論」なのかもしれません。

「オジン、今日もがんばったね」(ニャー)

参考資料;
現代ビジネス:日本の動物飼育の「重大な問題点」…このままでは「アニマルウェルフェア後進国」に

「ノラたちとの共存を目指して」目次  ※予告編(期日未定)含む
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足)
場外編
場外編1 猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2 続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3 どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4 メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5 社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6 ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7 ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~ 2022.12.8
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ノラたち自身のためのTNR ~命と生活を守るには~

2022年12月08日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
本記事は、「ノラたちとの共存を目指して・場外編その7」の位置づけとなります 

本記事は先日書き上げたシリーズその8・地域猫問題を補完するものです。地域猫活動と言えばTNRが中心。そのTNRの概念は1970年代に英国を中心に導入されたと言われています。それが何を対象にしたものかは不明だが、ほどなくしてアメリカに導入され、動物愛護団体がノラ猫を対象に始めたようです。その8で述べたように、この概念を基にして日本で地域猫活動が提唱されたのは1999年のことでした。

当ブログの未手術3匹組;①ココ(店)

環境省の「住宅密集地における犬猫の適正飼養ガイドライン」(2010.2)によれば、地域猫活動は猫の問題ではなく地域の環境問題としています。ノラ猫を減らす目的で行うTNRですが、長い時間(年月)を要するので、その間は猫を排除するのではなく住民が飼養管理してトラブルをなくす試みであると。つまり、動物愛護の観点から猫の生活を保障しながら、地域住民の被害をなくすことを地域猫活動の目的だとしているのです。地域猫活動を奨励する各自治体の目的も同様だと思います。

一方活動の中心となるボランティアさんは、過酷な生活を強いられているノラたちを救いたいという思いで活動を始めたと思うのですが、あまりにも多すぎるノラの数、無責任な住民からの依頼、そして非難、さらには猫捨てや多頭飼育崩壊や殺処分からの救出など当初は頭になかった日々やるべき事で手いっぱいになり、ノラ問題の全体像に目をやる余裕がなくなってしまう。かくして排他的になったり軋轢を生じたり、ノラ本位だったはずなのにノラの気持ちや事情はおろか待遇までが二の次になったりもしてしまうのではなかろうか。

自分はかつて、市で行っている猫の不妊去勢手術(無料)に申し込んだが結局辞退したことがあります。当時(2016年)の記事にもありますが、彼らの取り組み方や猫の扱い方に疑念を抱いたからです。実はその後も、ボランティア団体が行っている割引手術サービスに申し込んで結局止めたことがあります。理由はやはり猫の扱いに疑問を抱いたからで、説明の不親切や従わなければお断りの姿勢、何よりふた言目には「ボランティアでやってんだから」の言い草。正直、こんな人がボランティアやってて猫の命は大丈夫なのだろうかと不安に襲われたのでした。

TNRの問題点やメリットデメリットについては、ネットで検索すれば山ほどでてきます。その多くは「人間にとってどうか」という観点から論じられているが、獣医師さんの記事は猫に対する配慮を含んでいるものもある。前記事に書いたサクラの先生の懸念はずっと以前から自分も抱いていたもので、要約すると;
1.(耐性も調べずに)いきなり麻酔をすることのリスク
2.手術後の養生期間が十分にとられていない
3.リターンした後に消息を絶ってしまうリスク(術後観察ができない)

②ケン(家)

1.は先生の専門だが麻酔で命を落としてしまう猫もたまにいると。2.について先生は♂猫で10日、♀猫で1ヶ月は必要としているが、手術したその日のうちにリターンされることも結構あるらしい。今は抜糸不要の方法で縫合するのでちょっとしたことで患部が開いてしまうのだと。特に開腹手術となる♀猫の場合はお腹の毛を剃ってしまうし、術後の保温が必要な時期に寒い外に出してしまうのは危険が大きいと。3.については先生やボラさんのブログから、リターンした後2割くらいのノラが消息を絶ってしまうそうだ。やはり怖いことされてその場を諦めてしまうのだろうが、傷付けられて場所を追われて、当の猫にとってはまさに最悪のパターンだ。しかし逆に養生期間が長すぎると、リターンした後にこれまで通りやっていけるのかという懸念が生じるというジレンマもある。

本ブログでも自分は当初、TNRに対して懐疑的でした。しかし「ノラの本懐」や本シリーズその7(形而上学編)で述べたように、すべての生物にインプットされたDNAすなわち野生の本能(=種族保存の本能)がその生物(個体)の行動を規定し、どんな恐怖や命さへよりも優先する限り、その個体が幸せになどなり得ないのだと知った。人間は理性でその本能を克服したが(ごく一部の性犯罪者除く)、動物たちをその本能から開放する方法はないものか。種族保存のDNAは適宜様々なホルモンを分泌させて行動を規定するのだから、できるならホルモンの分泌機能を削除してしまえばいい。それで不妊去勢手術に前向きに転じたわけです。そうであれば獣医師さんたちがおっしゃる通り、人間だけでなく当の猫にとってもメリットなのだと思う次第です。

しかし手術やその前後の処遇が猫たちにとってリスクになり得ることは述べてきた通りで、当の猫自身のために行うTNRは、彼らに対して細心の注意と気遣いをもって行われなければならないものだと、心してほしいのです。

③サクラ(家)

「ノラたちとの共存を目指して」目次  ※予告編(期日未定)含む
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)2022.11.30
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足)
場外編
場外編1  猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2  続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3  どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4  メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア) 2021.11.24
場外編5  社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」) 2022.6.29
場外編6  ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)2022.7.31
場外編7  ノラたち自身のためのTNR  ~命と生活を守るには~

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