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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『イルマ・ヴェップ』

2023-01-03 | 映画レビュー(い)

 後にオリヴィア・アサイヤスがTVシリーズとしてセルフリメイクする初期作『イルマ・ヴェップ』は、96年の時点で既に確立されていた彼の作家性をありありと見出すことができる。一見、辛辣でいてその実、確かな憧れを抱いているアメリカ映画への眼差しと、フランス本国の怠惰なアートハウス映画への批評は、SNSによって映画が周辺知識のみで語られることが増えた現在もなお色褪せない。パリという街の特性とは言え、96年に香港からマギー・チャンを招いた闊達さは時代を先駆けており、後に5年間の結婚生活を送る彼女にとことん惚れ込み、その魅力を余すところ撮らえることに成功している(離婚後も2009年に『クリーン』を撮影し、チャンにカンヌ映画祭女優賞をもたらしている)。

 香港の女優マギー・チャンが新作映画『イルマ・ヴェップ』の撮影にパリへとやって来る。映画監督のルネ(ジャン・ピエール・レオ)は原作映画『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』を踏襲する事に躍起となり、理屈と模倣に終始した撮影によって映画は立ち行かなくなる。ルネが神経衰弱に陥ったその夜、マギー・チャンは再撮影された真の『イルマ・ヴェップ』を夢見る。現代的なスリルに満ちたこの映画は見事なロングショットが炸裂し、プロモーションでは映画ジャーナリストがフランスの独りよがりな作家主義をこき下ろして、ジョン・ウー(当時、ハリウッドに進出し、大成功を収めた世界的ヒットメーカーだった)を称賛する…近年の『アクトレス』『パーソナル・ショッパー』でも見せたように虚と実、映画の内と外を横断するのがアサイヤスだ。そのどちらにも真実があり、マギー・チャンはアートハウスとブロックバスターのどちらの映画も存在すべきと言う。本作はフランスで批評家としてキャリアをスタートさせ、アメリカやアジアの映画に傾倒したアサイヤスという作家のアイデンティティそのものであり、それは26年の時を経てHBO版『イルマ・ヴェップ』でよりパーソナルな作品へと昇華されていく事となる。


『イルマ・ヴェップ』96・仏
監督 オリヴィエ・アサイヤス
出演 マギー・チャン、ジャン・ピエール・レオ
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『愛しい人からの最後の手紙』

2022-10-14 | 映画レビュー(い)

 現代、ベテラン新聞記者の急逝にあたり追悼記事を書くことになったエリー(フェリシティ・ジョーンズ)は、遺品の中に情熱的な恋文を見つける。誰から誰へ当てたのかも判然としないラブレターを読み解くうちに、彼女は実ることのなかった悲恋を知る事となる。

 1960年代と現在を往復する本作は致命的なことに物語の要となる不倫愛に色気が足りないどころか、これっぽっちも火照るものがない。人妻をシャイリーン・ウッドリー、新聞記者にカラム・ターナーと演技力に定評のある役者が配役されたものの、互いに全く興味がないかのような体温の低さで、これではジョー・アルウィンの演じる冷徹な夫とまったく代わり映えがしないではないか。

 一方、現代パートで恋文の主を調べるフェリシティ・ジョーンズには映画を活気づけようとする華があり(スタイリングが可愛らしい)、ひょっとするとウッドリーと役を入れ替えた方が上手くいったかもしれない。監督のオーガスティン・フリッゼルは正統派のロマンス演出で『Never Goin'Back』『ユーフォリア』とは異なる職人ぶりを発揮しているが、映画の体温を上げるには至らなかった。


『愛しい人からの最後の手紙』21・英
監督 オーガスティン・フリッゼル
出演 フェリシティ・ジョーンズ、シャイリーン・ウッドリー、カラム・ターナー、ジョー・アルウィン、ベン・クロス、ナバーン・リズワン、ダイアナ・ケント
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『イン・ザ・ハイツ』

2021-08-09 | 映画レビュー(い)

 リン・マニュエル・ミランダが大ヒットミュージカル『ハミルトン』に先駆けること7年前、2008年に手掛けた人気ミュージカルの映画版だ。プエルトリコ系移民が多く住み、ミランダもまた居を構えるNYワシントンハイツを舞台に移民の苦難、若者たちの夢と希望が描かれる。

 安易なフランチャイズ展開ではない。ミランダは稀代のミュージカルスターであるのと同時に、ミュージカルの革命者だ。彼の人気を決定づけた『ハミルトン』はアメリカ建国の父アレクサンダー・ハミルトンの半生をオール有色人種のキャストが演じ、この"カラー・ブラインド・キャスティング”は時のBLMとも呼応してハリウッドのキャスティングに変革をもたらした。白人優位のジャンルであるミュージカルをラップミュージックで刷新、作品の大ヒットは南北戦争に従事しながら建国の歴史から抹殺された多くの名もなき有色人種の声を浮き上がらせた。それは人種分断にゆれる2010年代後半のアメリカの風景とも重なり、これまでブロードウェイという観光地で消費されてきたミュージカル界にはない、強い問題意識に支えられた同時代性であった。

 2021年に映画として再演される本作にも、ミランダのマイノリティとしての視点がある。NYの高級化が進み、ジェントリフィケーションによって下町から移民が追い出されていく様は近年でも『21ブリッジ』『ヴァンパイアvsザ・ブロンクス』といったジャンル映画が描いてきた。やがて街は消えてしまうのではないか?そんな捉えようのない大きな災厄として劇中では真夏の大停電が描かれるが、僕らが想起してしまうのはコロナショックだろう。コミュニティの母とも言える存在だった老婆アブエラが命を落とすシーンは本作のハイライトだ。記憶と魂がバリー・ジェンキンスの『地下鉄道』のようにNYの地下鉄へと接続され、僕たちは移民の悲哀を聞く。不法移民の子ども達が"ドリーマー”と呼ばれながら、未だ永住権も得られない実態は遠い島国の僕らには考えも及ばない。

 だが誰もが"夢”を見る事ができるのもまたアメリカである。女達が“悲観するな”と歌う。ヴァネッサ役メリッサ・バレラ、ニーナ役レスリー・グレイスらのフレッシュさはもちろん、下町の美容師ら女性陣の生命力とパワフルさにミランダのフェミニズムと下町愛が見える。先の見えないパンデミックの現在、肌を寄せ合い、汗を流し、歌い踊る"ひしめき”のなんと愛しいことか。捨て曲なしのミュージカルナンバーが観客を一時たりとも離さないのはもちろん、『クレイジー・リッチ!』ジョン・M・チュウ監督の手数の多さに圧倒された。ラップのリズムに合わせた編集テンポ、ハイツの魅力を余す所なく収めたカメラのダイナミズムとこれほど映画への変換に成功したミュージカルは近年、思い当たらない。

 ミランダはマイノリティコミュニティを鼓舞する先駆者として、ロールモデルの重要性を4人の主人公に託す。街を出る者、街に残る者、学ぶ者、そして街の灯りになる者。本作もまた『ハミルトン』同様、ただ消費される娯楽ではなく、マイノリティをエンパワーメントし、メインストリームが描くことのなかったもう1つのアメリカを見せるのである。そんなハイコンテクスト性も実に2020年代らしい1本だ。ミランダは今冬、長編映画初監督作『Tick, Tick... Boom!』が待機。ひょっとするとボブ・フォッシー級の衝撃をもたらすかも知れない。その時はもう間近だ。


『イン・ザ・ハイツ』21・米
監督 ジョン・M・チュウ
出演 アンソニー・ラモス、メリッサ・バレラ、レスリー・グレイス、コーリー・ホーキンズ、オルガ・メレディス、ジミー・スミッツ、グレゴリー・ディアス4世
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『インターステラー』

2020-09-16 | 映画レビュー(い)

 デビュー当初こそ“人生経験のない自分が通用するのはサスペンスだ”と公言していたクリストファー・ノーランだが、『ダークナイト』で頂点を極めて以後、同じサスペンス・SFジャンルでもそのテーマ性は深化してきた。初のオスカー監督賞にノミネートされた『ダンケルク』ではタイムリミットサスペンスに自身のルーツであるブリティッシュイズムと、排外主義へのプロテストを潜ませ、それに先駆ける2014年の本作は今のところ彼のキャリアで唯一の非サスペンス映画であり、親子愛のドラマである。今回、IMAXスクリーンで再見し、改めてその溢れんばかりのエモーションに圧倒されてしまった。

 オスカー受賞後も正統派に戻らなかったマシュー・マコノヒーの“体臭”が映画を支え(それは時折、ノーランの演出を超えたりもする)、美少女子役マッケンジー・フォイとの親子愛は感動的だ。ノーラン組ハンス・ジマーの神秘的なスコアは星の彼方へと僕らを誘い、繰り返し詠われるディラン・トマスの詩が僕らをたぎらせる。絶対不可能に「でもやるんだよ!」と立ち向かう展開には胸が熱くなってしまった。観客を問答無用で映画銀河の彼方へと打ち上げるノーラン演出は圧巻だ。

また今回の再見では内臓に響くような劇場の音圧に驚かされた。終幕のブラックホールシーンは息を呑む体験であり、ノーラン映画の魅力を最大限に引き出せるのが映画館である事がよくわかる。コロナ禍において新作『テネット』の劇場公開にこだわった彼が如何に“劇場体験”を重要視しているのか改めて理解できた。

 主人公と娘の親子愛ドラマの影で、息子との関係性は何度見ても寒々しく、そこにスピルバーグの初期作『未知との遭遇』を思い出す。家族を捨てた父との確執は後のスピルバーグ映画にも度々影を落とした。そんな彼が『シンドラーのリスト』で映画作家として1つの到達点に達したように、クリストファー・ノーランもヒューマンドラマで転換点を迎えるのではないだろうか。彼が初めて情感的になった『インターステラー』は後にキャリアの試金石として語られる作品になるだろう。


『インターステラー』14・米
監督 クリストファー・ノーラン
出演 マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャステイン、マイケル・ケイン、マッケンジー・フォイ、ウェス・ベントリー、マット・デイモン、エレン・バースティン、ビル・アーウィン、ケイシー・アフレック、ティモシー・シャラメ、ジョン・リスゴー、トファー・グレイス

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『インセプション』

2020-09-01 | 映画レビュー(い)

 『ダークナイト』の歴史的成功によりハリウッドのトップクラス監督へと昇りつめたクリストファー・ノーラン。10年間温めてきたオリジナル脚本の本作は難解で知性にあふれ、夏のブロックバスターに収まりきらない野心作だ。

 他人の夢の中に入り込み、深層心理から秘密を抜き取る…という何とも奇怪なプロットで、しかも主人公は別のアイデアを植え付けるというミッションを帯びる。本作の前半30分は夢世界の独自ルール説明に時間が費やされ、数年ぶりの再見に巻頭早々「うっ、ワケわからん!」とたじろいでしまった。よくもこんな企画が通ったものだ。この理詰めのノーラン演出を圧倒的“華”で突破してしまったのがヒース・レジャーであり(後にマシュー・マコノヒーも更新する)、だからこそ『ダークナイト』は傑作足り得たのだが、『インセプション』は夢を描く割には艶に乏しい。パリを舞台にする場面からアラン・レネの傑作『去年、マリエンバードで』との類似性も指摘されるものの(ノーラン曰く撮影当時は未見)、かろうじて仏女優マリオン・コティヤールが夢と現を橋渡すのみだ。

 夢の中の夢という虚構へ降りていく物語は次第に「現実とはなにか?」という問い掛けとなり、後に実存主義的SF『ウエストワールド』を手掛ける実弟ジョナサン・ノーランの作風を思わせる。僕は長年、彼との共作と勘違いしていたが、本作はクリスの単独作だ。ちなみに『ウエストワールド』で来場者を最初にエスコートしたタルラ・ライリーがここではブロンド美女役で夢世界の案内人となっているのも僕の深層心理を攪乱した(彼女はその後、大富豪イーロン・マスクと2度の結婚、離婚を繰り返す数奇な運命を辿る)。

 僕が本作で最も心惹かれるのはディカプリオとコティヤール扮する夫婦が抱えた仄暗さだ。彼らの怨念が本作の根幹であり、夢の世界に何十年も埋没した悲劇はハリウッド映画に不気味な空洞を開けて冷気を放つ。本作に内包されたメランコリックは後に2010年代後半からの主題となるメンタルヘルスを先駆けており、興味深い。
 また、この時期のディカプリオのキャリアには夫婦間の溝を扱った作品が並んでおり『レボリューショナリー・ロード』『シャッター・アイランド』の映画記憶は深層心理のどこかで『インセプション』と結節する。まるで全盛期のアスリートのようなパフォーマンスを見せるディカプリオの演技プランも3作で共通しているのが面白い。

 あまり触れられない話題だが、ノーランはスピルバーグ級のキャスティング慧眼の持ち主であり、本作は配役が最高だ。しなやかで優雅なアクションを見せるジョゼフ・ゴードン・レヴィットは以後、話題作が相次ぐ売れっ子となった。トム・ハーディに至ってはニコラス・ウィンディング・レフンの怪作『ブロンソン』で注目を浴びただけの、まだ海の物とも山の物とも知れない存在だった。『JUNO』でブレイクして間もないエレン・ペイジの濡れて光るような存在感はその後のキャリア停滞を思うと非常に貴重である。

 デヴィッド・リンチの『マルホランドドライブ』はミステリアスでセクシーな“あっち”の世界へ行って、帰って来れなくなった物語だった。それは僕の深層心理階層で糸の切れた凧のように記憶の迷路を彷徨う『メメント』のガイ・ピアースに繋がり、そして本作のディカプリオに至る。僕にはあのコマが止まったとは、どうしても思えないのだ。


『インセプション』10・米
監督 クリストファー・ノーラン
出演 レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョゼフ・ゴードン・レヴィット、エレン・ペイジ、トム・ハーディ、キリアン・マーフィ、マイケル・ケイン、トム・ベレンジャー、ピート・ポスルスウェイト、ルーカス・ハース

 
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