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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『インスペクション ここで生きる』

2023-08-14 | 映画レビュー(い)

 エレガンス・ブラットンが自身の体験を基にした長編初監督作『インスペクション』には、引き込まれるような力強さがある。主人公フレンチはゲイであるがために実の母親から16歳で勘当され、シェルターを転々としながら26歳を迎えてしまった。このままで野垂れ死にが目に見えている。彼は一念発起し、海兵隊への入隊を決意。過酷な訓練に参加することになる。

 物語の舞台は2005年。イラク戦争が激化の一途を辿り、貧困層が給金欲しさに入隊を求めた時代だ。そしてクリントン政権で制定され、オバマ政権で撤廃されることになる“Don't ask Don't Tell”法が軍としてゲイであることを問わない代わりに、ゲイであることをオープンにするなと性的マイノリティを抑圧していた時代である。それが有名無実化されていたことは入隊初日の描写からも明らかで、キャンプに到着して早々、若者たちは軍曹から大声で「お前はゲイか!?」と問われ、大声で否定することを迫られる。ある出来事からゲイであることを知られてしまったフレンチは以来、差別も加わったより過酷な訓練に晒されることになる。

 新鋭ジェレミー・ポープが熱演するフレンチには「他に行き場所なんて無い」という決死の覚悟と、若さゆえの無防備さが同居している。抑えきれない欲望の発露を隠さず描くブラットン監督の赤裸々さに驚かされた。フレンチの心の拠り所となる上官ロザレスに扮したラウル・カスティーロのニュアンスが素晴らしく、おそらくクローゼットゲイであるこのキャラクターが如何にして軍隊生活を送ってきたのか、観る者が思いを馳せずにはいられない豊かな行間がある。ロザレス軍曹の言う「ゲイを排除したら軍は成り立たない」とは即ち社会構造そのものだ。

 『インスペクション』は所謂“新兵訓練モノ”の系譜に連なる1作だが、ここでは過酷な訓練を乗り越えた者たちによる同士愛という、ジャンルお決まりのホモソーシャルな関係性がフレンチを救うことはない。熱心なキリスト教信者である母はフレンチの性的アイデンティティを理解できないどころか、我が子を憎悪すらしている。母が訓練を終えた息子に向かってゲイが“治った”と思い込んでいる姿はあまりにも酷だ。今年『サクセッション』でも聞かれた「家族として愛しているけど、受け入れらない」というアンビバレントな感情を吐露した台詞が、規範なき時代を象徴している。

 軍隊や宗教、性的アイデンティティといったモチーフから2005年を正確に批評した本作は、2005年に生まれ得なかった映画でもある。この年のアメリカ映画はゲイのカウボーイ同士の純愛を描いたアン・リー監督作『ブロークバック・マウンテン』が衝撃を持って受け止められていた。『インスペクション』の配給を手掛けるA24がやはりゲイの少年を主人公にした恋愛映画『ムーンライト』でオスカーを制するのはそれから11年後の2016年。時代は着実に変わりつつあるのだ。


『インスペクション ここで生きる』22・米
監督 エレガンス・ブラットン
出演 ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーロ、ボキーム・ウッドバイン
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『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』

2023-07-16 | 映画レビュー(い)

 おいおい、いったいどうしてこんな事になってしまったんだ?前作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』以来15年ぶりの続編となる本作は『フォードvsフェラーリ』を手掛け、名実ともにアメリカ映画界を代表する名匠へと成長したジェームズ・マンゴールド監督へとバトンが引き継がれ、公開された予告編からは齢80歳を迎えたハリソン・フォードの老境に『ローガン』同様、アメリカンヒーローの黄昏を描くのかと期待が高まった。マンゴールド自身もそんなインディ・ジョーンズの老いに興味を抱いたと発言しており、長いアヴァン(本当に長い)を終えて1969年現在のインディが登場する序盤のシークエンスは確かに味わい深いものがある。狭苦しいアパートに暮らすインディは寂しい独居老人で、近所の若者にはナメられ、宇宙開発競争が激化する中、人々の関心は過去を顧みる考古学ではなく"未来”にある。老いさらばえた肉体を臆することなくスクリーンに晒すハリソン・フォードは『フォースの覚醒』のハン・ソロ、『ブレードランナー2049』のデッカードに続いて当たり役に時の年輪を刻み、偉大なキャリアを総括した。そんなインディの元へ名付け子のヘレナ、そして第二次大戦中に秘宝を巡って争った元ナチスの科学者フォラーが現れる。

 "インディ・ジョーンズシリーズ”と言えばスピルバーグをカーチェイス演出の横綱へとたらしめた活劇性と、他愛のないものから黒過ぎるものまでふんだんに散りばめられたユーモアが大きな魅力。ところが意外にもマンゴールドにはどちらのセンスも欠如している。最大の見せ場と言っていいパレード中の市内で繰り広げられるチェイスシーンはカメラもフィジカルも全く躍動することなく、マンゴールドは往時のスピルバーグ演出を踏襲する素振りすら見せない。ようやくモロッコに至るとエンジンがかかってきたようにも思えるが、ここを過ぎると映画は上映時間を1時間余り残してほとんど駆動すらしなくなっている。ヘレナ役に『フリーバッグ』でエミー賞を席巻した脚本家、女優のフィービー・ウォーラー=ブリッジが起用されていることから80歳のアクションスターが主演する映画を活気づけるには十分と期待されたが、これも意外なことにマンゴールドはこの才媛を活かす術をまるで持ち合わせていない。ウォーラー=ブリッジがアクション女優でないことは承知の上だが、『フリーバッグ』で見せた演技、ユーモアのキレとスピードはフィジカルアクションに勝る。ウォーラー=ブリッジは何とも所在なさげで、これはそもそも彼女がやるべき仕事ではないだろう。せめて彼女の登場シーンの演出とセリフを全て任せない限りはどうにもならなかったのではないか(今思えば、ウォーラー=ブリッジが演者として唯一成功していたメジャー大作はドナルド・グローヴァーの相棒ドロイドを快投した『ハン・ソロ』だけ)。マンゴールドは俳優演出に長けた監督のイメージだったが、振り返ればホアキン・フェニックス、クリスチャン・ベールといった1人で作品のランクを上げるワンマンアーミー級の名優と多く組んでおり、必ずしもキャストアンサンブルに秀でた演出家ではなかったのかもしれない。
 そんな中、ただ1人気を吐いているのがマッツ・ミケルセンで、“インディ映画の悪役”をスマートで楽しげに演じ、なんとカーチェイスシーンでは後部座席でタバコをくゆらせている(ほとんど見切れているシーンなので、おそらくマッツのアドリブだろう)!

 本作の企画が本格始動したのはディズニーによるルーカスフィルムの買収後、『フォースの覚醒』が大ヒットを記録した2015年から2016年にかけてと言われている。この事からも『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』は観客のノスタルジーに依存した『スター・ウォーズ』シークエル3部作の副産物という見方もできなくない。そもそも冒頭、若返りCGによって甦った1980年代全盛期のハリソン・フォードに80歳のしわがれ声が当てられた様に、筆者は「嫌な予感がする」と感じずにはいられなかった(おっと、違う映画だ!)。154分の間、家に帰ったらディズニープラスで旧作を見て口直しをしようとずっと考えていたが、それすらもディズニーの株価に寄与する思うつぼだろう。“インディ・ジョーンズシリーズ”という偉大なアークは、何とも虚しいライブラリーへと収蔵されてしまったのだ。


『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』23・米
監督 ジェームズ・マンゴールド
出演 ハリソン・フォード、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、マッツ・ミケルセン、アントニオ・バンデラス、ジョン・リス=デイヴィス、トビー・ジョーンズ、ボイド・ホルブルック、カレン・アレン
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『EO イーオー』

2023-06-12 | 映画レビュー(い)

 ポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキ監督の最新作の主人公はなんとロバ。1966年のロベール・ブレッソン監督作『バルタザールどこへ行く』からインスパイアを受けたという本作は、1頭のロバ“イーオー”の目を通して私たちの住む世界を描く。イーオーは旅回りのサーカス一座で少女とパフォーマンスをしていた。ロバに生まれた宿命ゆえに荒くれの芸人達からは使役もされたが、それでも少女は“EO”と耳元で優しく囁いてくれる。ところがアニマルライツ団体によりサーカスの動物たちは行政に引き取られ、イーオーは何処とも知れない農場へ連れ去られてしまう。

 イーオーが再び少女と巡り合うまでの感動映画か?違う。ボイスオーバーのないディズニー映画か?違う。少女とはあっさり決別し、イーオーの旅が始まる。暗い夜道から外れて森に入ると、そこにはトンネルがあって…なんとスコリモフスキは私たちをロバの深層心理へと導く。イーオーは野を駆けるサラブレッドに焦がれ(ひょっとすると自身を馬と勘違いしているかもしれない)、暴漢に襲われて重傷を負えば四足歩行のロボットになった幻覚を見る。そしていつしか目にした事もないであろう、映画女優イザベル・ユペールの淫夢を見るのだ。物言わぬロバに言葉と魂を与え、愚かな人間に翻弄されるイーオーの姿に“もののあわれ”を感じさせるスコリモフスキの魔力よ!88分間の午睡の末に場内に明かりが灯れば、私たちは『EO イーオー』の残像を脳裏に、夢現のまま映画館を後にするのである。


『EO イーオー』22・ポーランド、伊
監督 イエジー・スコリモフスキ
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『生きる−LIVING』

2023-05-23 | 映画レビュー(い)

 1952年の黒澤明監督作『生きる』はかねてよりハリウッドリメイクの企画開発が続けられ、一時はトム・ハンクス主演というプロジェクトも存在したようだが、いずれも実現には至らなかった。事なかれ主義でお役所仕事を淡々とこなす壮年の男が、余命宣告を受けたことから人生を見つめ直し、残された僅かな時間に意味を持たせようと奔走していく…ハリウッドなら恥ずかしげもなくお涙頂戴のヒューマンドラマに仕立て上げられてしまう筋書きだが、敗戦間もない1952年に製作された黒澤版には惨禍を招いた“凡庸な悪”、人間の惰性や無関心に対しての明確な批評があった。

 2022年に英国でリメイクされた『生きる LIVING』は概ね黒澤版に準拠しているものの、一番の特徴は日系英国人のノーベル賞作家カズオ・イシグロが脚色を手掛けていることだ。自身の著作に対して小津安二郎や成瀬巳喜男からの影響を認めているイシグロは、簡素で洗練された哲学によって黒澤版より40分も短く『生きる』を語り直している。紳士でありたいとする主人公を通じて“英国紳士とは何か?”と問いかける本作は、イシグロの代表作にして1993年にはジェームズ・アイヴォリー監督、アンソニー・ホプキンス主演で映画化された名作『日の名残り』と相似形を成している。『日の名残り』でホプキンス演じたスティーヴンスは、主人に完璧に仕えることを生きがいとする執事。只々、使役し続けた彼は英国上流階級とナチス・ドイツの癒着を傍観し、その結果、戦火は招かれ、主人を失脚させてしまう(これらの歴史的背景は英国王室の内幕を描いたTVシリーズ『ザ・クラウン』にも詳しい)。年月が流れ、戦後、密かに想いを寄せていたメイド頭のミス・ケントンに会いに行くも、彼女には既に伴侶がいるのだった。わずか35歳で人生のままならなさ、寂寥を描いたイシグロの傑作に対し、『生きる LIVING』はかろうじて人生の黄昏時に間に合った男の物語である。おそらく黒澤版の主演志村喬の喋り方を引用しているであろうビル・ナイは、今にもかすれそうな声音で引き算に徹した枯淡の名演。彼の体現する英国紳士たるエレガンスこそイシグロが憧憬を抱き続けてきた姿ではないだろうか。偉大なる名優が本作で初のオスカーノミネートを獲得したことがファンとして喜ばしい。オリジナルで小田切みきが底抜けの屈託の無さで演じた若い娘に、リメイクでは『セックス・エデュケーション』の良心とも言えるエイミー・ルー・ウッドが好演していることも特筆しておきたい。

 黒澤版は後半の通夜のシーンが(くどくて)長く、メソッドの異なる性格俳優陣による演技合戦に豪放なヒューマニズムがあって楽しいが、イシグロはここを端正に切り上げると物語を次世代へと繋いでいる。ここに若くして老成した『日の名残り』のイシグロが、壮年に入ったからこその達観があるのではないか。黒澤映画のリメイクというよりも“カズオ・イシグロ作品”として語られるべき作品であり、新鋭オリバー・ハーマナス監督が撮影ジェイミー・D・ラムジーのカメラを得て、オールドスタイルの美しい作品に仕上げている。


『生きる LIVING』22・英
監督 オリバー・ハーマナス
出演 ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ
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『イニシェリン島の精霊』

2023-03-23 | 映画レビュー(い)

 パードリックとコルムは歳こそ離れているものの、長年の親友同士。毎日14時を回れば島で唯一のパブに繰り出して、ギネス片手にバカ話に花を咲かせる毎日だ。今日もパードリックはコルムを迎えに海辺の家を訪れるが、どんなに声をかけてもうんともすんとも応えない。仕方がないから1人でパブへ行けば、常連の酔客達があれやこれやと詮索する。しばらくするとコルムは現れ、パードリックに向かって絶縁を宣言した「友達をやめる」。時は1923年、海を隔てたアイルランド本土は内戦の真っ只中で、砲火の音がここイニシェリン島まで木霊してくる。

 イニシェリン島とは存在せず、監督脚本のマーティン・マクドナーがアイルランド西部アラン諸島をモデルにしているという。本作は1996年の戯曲『イニシュマン島のビリー』に始まり、2001年の『ウィー・トーマス』に続く“アラン諸島三部作”の完結編として書かれたが完成には至らず、長編映画として日の目を見る事になった。島中が碁盤の目のような石垣で覆われ、木々が1本もないイニシェリン島のランドスケープは目を引かれるものの、多分に戯曲の魅力が強く、演劇では“見立て”として演出される戦争や精霊は映画にするとあまりに直截的で、物語から曖昧さを奪ってしまっている。次第にエスカレートしていく絶縁騒動はある日、突如として隣人同士がいがみ合い、時が経つにつれ争点すらわからなくなる内戦のメタファーで、これが分断と対立を描いた2022年のアメリカ映画(&TVシリーズ)に呼応し、アカデミー賞8部門9ノミネートに結実したのだろう。しかし“アイルランド人の両親から生まれたロンドン育ち”という出自を持つマクドナーの作風につきまとう批判だが、純朴で愚鈍な田舎者とその教養ある友人、知的な妹らが織り成す対立劇はあまりに批評的だ。

 マクドナーは本作のテーマについて語ることを避けている一方、「これは恋愛関係の終わりだ」と言及している。信心深いアイルランドの寒村で中年の男女が独り身でいることは容易いことではない。コルムは牧師に「同性への性的欲求はあるか?」と問われると憤慨する。彼は同性愛者で、ゲイフォビアから自身とパードリックを守るために絶縁宣言し、挙げ句自身の指まで切り落としてパードリックを遠ざけたのか?終幕に向かうにつれ、彼の“献身”は際立つも、しかし愚鈍なパードリックには何一つ伝わっていない(そもそもパードリックには同性愛という知識すらないのかも知れない)。パードリックはマクドナーの前作『スリー・ビルボード』でサム・ロックウェルが演じたディクソンと表裏一体のキャラクターであり、演じるコリン・ファレルのしょぼくれ芝居は実に軽妙、いよいよ堂に入ってきた。終幕、道を違えてしまう凄味はオスカー会員には高度過ぎてわからなかったのかもしれない。マクドナーは容易に悪にも善にも転じてしまう人間の愚鈍さと純朴さに慈しみの眼差しを向けている。その視点は時に辛辣が過ぎるが、根底には愛があるのだ。


『イニシェリン島の精霊』22・アイルランド、英、米
監督 マーティン・マクドナー
出演 コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
 

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