goo blog サービス終了のお知らせ 

長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『イエスタデイ』

2020-01-23 | 映画レビュー(い)

 “もしもビートルズを知っているのが世界で自分1人だったら...”
 世界中の物書きが酔いに任せて一度は考えたであろう企画を『アバウト・タイム』のリチャード・カーティスが臆面もなく脚本にし、『スラムドッグ・ミリオネア』のダニー・ボイル監督が何の創意工夫もなしに映画化した。売れないミュージシャンの主人公ジャックは世界同時停電の夜、交通事故に遭ってしまう。快気祝いにもらったギターをつま弾けば、皆が「いつの間にこんな曲書いたの?」。はぁ「イエスタデイ」なんですけど!

 シチェーションコメディとして笑える部分はある。ビートルズが存在しないという事はその影響下にあるカルチャーも存在しないため、オアシスもいなければ何とタバコもなく、さらにはハリーポッターも生まれていないのだ(え、ハリーってジョン・レノンだったのか!?)。本作はビートルズへのラヴレターとも言える作りで嫌な気分にはならないが、想定以上のチャームもなく、ボイルも御年64歳の加齢臭を感じさせる鈍重さである。主人公を献身的に支えるマネージャー役に可憐なリリー・ジェームズが扮するが、同じ音楽バカの天使役なら『ベイビー・ドライバー』のエドガー・ライト監督の方が断然、可愛く撮れていた。そろそろ新たな代表作が必要な時期だろう。

 唯一、泣けたのが終盤のある場面だ。ビートルズがなければ“彼は”は64歳をとうに過ぎて78歳になっている!


『イエスタデイ』19・英
監督 ダニー・ボイル
出演 ヒメーシュ・パテル、リリー・ジェームズ、ジョエル・フライ、エド・シーラン、ケイト・マッキノン
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』

2020-01-21 | 映画レビュー(い)

 1862年、気象学者ジェームズ・グレーシャーと気球飛行士アメリア・レンのコンビが最高高度到達記録に挑むアドベンチャードラマ。『博士と彼女のセオリー』で共演したエディ・レッドメインとフェリシティ・ジョーンズが再共演し、気球という畳一枚ほどの限定空間で息の合った演技を披露している。前作でオスカーを獲得したレッドメインは今回見せ場を譲っており、実質上はジョーンズの単独主演。夫を飛行中の事故で亡くしたトラウマを抱えながら、それでも空への冒険心を抑えられないまさに女傑と呼びたくなる人物を快演している。アクションシーンも頼もしく、大作『ローグ・ワン スター・ウォーズ ストーリー』を経て女優としてスケールが大きくなった。

 音楽をスティーヴ・プライスが手掛けており、極限状況からのサバイバル劇という構成もあってかアルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』を彷彿とする。あくまで台詞と演技だけで主人公の過去を語ったオスカー受賞作に対し、度々回想シーンを挟むトム・ハーパー監督の手際は悪いが、高度数千メートルの世界を描く映像には冒険ものならではのロマンがあり、こうも類似点が多いとサンドラ・ブロックに続けとジョーンズのオスカー候補を期待する声が高まったのも無理はない。

 だが、全米賞レースではかすりもしなかった。本作最大の欠点は1862年にジェームズ・グレーシャーと同乗したのはヘンリー・コックスウェルなる人物で、アメリア・レンは存在しないという事だ。彼女は1819年に飛行中の事故で命を落とした史上初の女性気球飛行士ソフィー・ブランシャールをモデルにした架空の人物というのだ。この映画が#Me too以後の企画である事は大いに想像がつくが、男性の功績を存在しない女性に与えるのは筋違いであり、こんな事は誰も望まないだろう。この事実がどれだけ影響したかはわからないが、比較的有力候補の少ない今年のオスカー主演女優賞レースでジョーンズの名前が呼ばれる事はなかった。


『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』19・英
監督 トム・ハーパー
出演 フェリシティ・ジョーンズ、エディ・レッドメイン


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『IT イット THE END“それが見えたら、終わり。』

2019-11-28 | 映画レビュー(い)
 
スティーヴン・キングの代表作『IT』を映画化した前作チャプター1(邦題は字数も多いし、覚えられない)はキング作品へオマージュを捧げたNetflixドラマ『ストレンジャー・シングス』風にアレンジする、というハイコンセプトでホラー映画史を塗り替える大ヒットを記録した。

 その27年後を描く本作で大人になったルーザーズ・クラブを演じるのはジェームズ・マカヴォイ、ジェシカ・チャステインの実力派スターであり、さらには監督、脚本、主演を務めたTVドラマ『バリー』でエミー賞を獲得したビル・ヘイダーら演技巧者達だ(あらゆるギャグをキメるヘイダーの好アシストを見よ!)。
ハッキリ言ってピエロ1人じゃ太刀打ちできない強力メンツである。

 さらには前作から2年を経て、ビル・スカルスガルド演じるピエロ怪人ペニー・ワイズはインターネット上ですっかり草を生やすネタになってしまった。前作の冒頭、下水溝へ少年を誘い込もうとするペニー・ワイズにみんなでセリフを当て込み大喜利状態にしてしまったのだ(しかも画像は90年版のティム・カリー。ちげーよ!)。

 同じネタで怖がらせられない事は監督アンディ・ムスキェティも承知済みだったろう。ペニー・ワイズに「最近の子供はピエロを怖がってくれないんだ」とボヤかせながらバクバク子供を喰わせ、ルーザーズ・クラブの恐怖を具現化したあらゆるクリーチャーを総動員する物量作戦で…なんと笑かしに来ている。まるで一世を風靡したお笑い芸人が同じネタでムリヤリ笑わそうとしている力技だ(ミラーハウスの場面でついに「ちょっと勘弁して…」と腹筋崩壊)。ジュブナイルホラーという性格がハッキリした前作に対し、皆で怖がりながら笑うパーティホラーへと舵を切っているのである。

その方向性の違いが169分というトンデモない長尺の原因にもなっており、ルーザーズが各自のトラウマを辿る中盤に至っては恐怖よりも退屈で失神しかけてしまった。前作の思い切りの良いコンセプトと脚本を踏襲していれば、キング原作映画史上屈指の傑作前後編になったのかもしれないのに…。


『IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』19・米
監督 アンディ・ムスキェティ
出演 ジェームズ・マカヴォイ、ジェシカ・チャステイン、ビル・ヘイダー、ビル・スカルスガルド 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『偽りの忠誠 ナチスが愛した女』

2019-11-27 | 映画レビュー(い)

1940年、オランダ亡命中の元ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世と、彼の警護を担当したナチス将校、そしてイギリスから送り込まれた女スパイを描いた歴史サスペンス。2003年にアラン・ジャドによって発表された小説『The kaiser's Last Kiss』が原作だ。本作が長編監督デビューとなるデヴィッド・ルポーは皇帝役クリストファー・プラマー、将校役ジェイ・コートニー、スパイ役リリー・ジェームズらスターの力を借りて一定の見応えを得る事に成功している(さらにはジャネット・マクティア、エディ・マーサンらが名を連ねる豪華キャストだ)。

しかし、演出力不足ゆえか、前半の早い段階で物語のセッティングに失敗しており、僕たちがその違和感を抱えたまま映画が進行してしまうのが惜しい。コートニーは赴任当日の夜、メイドに手を出すなと釘を刺されていたにも関わらず、部屋に潜り込んでいたリリー・ジェームズといきなりセックスをする。清純派のイメージが強いジェームズが惜しげもなく美しい裸体をさらしており、僕には2重のショックだ。このメイドは何者なのか?2人は内通しているのか?映画を見ている間にこれらの疑問は一応、解消するが、描写が曖昧なためサスペンスが高まらない。
 その後の歴史は僕らの知る所であり、時代を変える事のなかった彼らの物語はフィクションの小さな枠を出る事はなく終わってしまう。リリー・ジェームズは果敢だが、脱ぎ損な感は否めない。


『偽りの忠誠 ナチスが愛した女』16・米、英
監督 デヴィッド・ルポー
出演 リリー・ジェームズ、ジェイ・コートニー、クリストファー・プラマー、ジャネット・マクティア、ベン・ダニエルズ、エディ・マーサン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イーダ』

2019-09-17 | 映画レビュー(い)

映画は自ずと他の映画の記憶を呼び起こし、結びつき合おうとする。1962年のポーランドを舞台にした『イーダ』は端正なモノクロームが同郷の巨匠アンジェイ・ワイダを彷彿とさせるが、それは決してルックスに限った話ではない。修道女を目指す少女アンナが“イーダ”としてのルーツを辿るこの物語は少女から女へ、俗から聖へと変わるイニシエーションを描き、さらにその根底には戦争と社会主義によって癒し難い傷を負った国家の歴史と、今なおファシズムへ傾倒しようとする世界への批評というワイダ同様の強い反骨精神が存在する。
監督パヴェウ・パブリコフスキの1シーン1カットにも近い禁欲的で抑制された演出は観客に容易く感傷を抱かせようとしない。戦後、社会主義政権の下で自分を殺し、過去を封印してきた叔母ヴァンダが絶望のあまり命を断つシーンはあまりにも素っ気なく、ショッキングだ。

『イーダ』が忘れ難いのはまるでヴィクトル・エリセ映画のような“少女映画”としての貞淑なまでの美しさである。出世作『マイ・サマー・オブ・ラブ』同様、パブリコフスキは刻々と移り変わる少女期に目を凝らす。神の存在を疑ったイーダが髪をほどき、修道服を脱ぎ捨て、一時だけ俗世へと舞い降りる。初体験のベッドで夢想する結婚、家庭、穏やかな生活…果たしてそこに彼女の幸せはあるのだろうか?終幕、無言のイーダの内に芽生える感情をパブリコフスキは見逃さない。

最後にイーダの取った行動は自分の人生を選んだポジティブな決断であると同時に、自由に価値を見出せず、それを得る事も叶わなかったあの時代のポーランドの悲哀そのものでもあろう。イーダが神の道を選ぶ事はまた1つ、ユダヤの血族が潰えた事を指す。かの地にはこうして語られることもなく、声を失した多くの魂があのうら寂しい森の冷たい土の下に眠っているのではないだろうか。

イーダ役アガタ・チェシブホスカは街路でスカウトされた素人で、今後も女優業を続けるつもりはないと言う。『ミツバチのささやき』のアナ・トレントの如く、終生の1本として映画ファンはその輝きをつぎなる映画記憶へと語り継ぐ事だろう。


『イーダ』13・ポーランド
監督 パヴェウ・パブリコフスキ
出演 アガタ・チェシブホスカ、アガタ・クレシャ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする