


今年のアカデミー作品賞受賞作。
賞レース中からも本作への批判は尽きなかったが、授賞式をきっかけについに爆発した感がある。"白人が上から目線で語った人種差別映画”等、その製作スタンスが槍玉に上げられ、挙句の果てには"『クラッシュ』以来最低のアカデミー作品賞”とまで言われている始末だ。
映画を見ればそんな批判、と言うより彼らの”落胆”もある程度は理解ができる。2018年はハリウッドにとって大きな変革の1年だった。『ブラックパンサー』『クレイジー・リッチ!』ら白人以外の人種が主演するスタジオ作品が大ヒットし、オスカーではメキシコを舞台にした外国語映画『ROMA』が最多ノミネートを獲得。変容の年の締めくくりとして例年にない大きな期待がかけられたアカデミー賞だったのだ。
『グリーンブック』は新しくないし、このジャンルの映画として傑出しているとも思えないが、多くの人から愛される何とも人好きのする映画だ。脚本を務めたニック・ヴァレロンガが幼少期に父から聞いた話を基にしたという極私的な映画であり、そういう意味で『ROMA』と通ずるものもある。これをポリコレ棒で叩くのは筋違いだろう。
舞台は未だ黒人差別が根深い1962年。主人公トニー・ヴァレロンガは黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーの運転手兼用心棒として雇われ、南部巡業の旅に同行する。当時の世間一般の白人男性と同じように根拠のない差別意識で凝り固まったトニーと、カーネギーホールの上に住み、まるで王侯貴族のような暮らしをするドクター・シャーリーという水と油ほども違う2人が珍道中を繰り広げながら、やがて強い絆で結ばれていく。
アメリカ映画はこれまで何度も人種差別という負の歴史と健やかに向き合ってきたが、『グリーンブック』もこの系譜に連なる作品だ。主演2人の素晴らしいケミストリー、豊かなユーモアセンス、おまけに『素晴らしき哉、人生!』よろしくクリスマス映画でもある。無教養なヤクザ者は哲人ノマド俳優ヴィゴ・モーテンセンに正直ミスマッチな感も否めないが(もちろんヴィゴは何の造作もなく演じている)、マハーシャラ・アリはエレガントでカリスマチックにシャーリーを好演。『ムーンライト』に続き、アカデミー助演男優賞に輝いた。ソ連育ちの天才ピアニストでアメリカの黒人差別を知らない黒人、という複雑な出自はアリの演技力の御陰でもっと掘り下げて描いて欲しいと思わずにはいられなかった。
トニーのシャーリーに対する差別だけではなく、劇中のあらゆる人物が互いにレイシャル・プロファイリング(人種による決めつけ)をしているのが本作の特徴だ。トニーはシャーリーとトリオを組むミュージシャンに対してすら”ドイツ人はこすからい”と因縁をつけるが、所変われば彼もイタリア野郎と蔑まされる。そんな彼らが互いを知る事で人間の本質に気付いていく“人は見た目とは違う”というテーマこそ監督ピーター・ファレリーが何度も手掛けてきた主題であり、本作は彼の集大成と言っていいだろう。
南部ツアー中の一行は「(黒人の)好物でしょうから」とフライドチキンを振る舞われる。かつて黒人奴隷達がわずかに残った鳥の足から作り出したこの料理が、そんなルーツを満足に知らないトニーとシャーリーを結びつける。歴史的背景にビクつく必要なんてない。それを知った上で、僕らが同じメシを食べて美味しいと言い合える仲になれば、世界はもっと良くなるのではないか。やっぱり好きだな、と思えてしまう映画である。
『グリーンブック』18・米
監督 ピーター・ファレリー
出演 ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ

古風な筋立てだが、ドラゴ役ドルフ・ラングレンの年輪のような深い皺が思いがけない深みを生み出している。かつてロッキーを苦しめたドラゴは国家に見捨てられ唯一、残った息子を究極のボクシングマシーンへと育て上げていた。それは自ずとスタローンに見初められ、『ロッキー4』でメジャーデビューしながらも決して順風満帆とは言えない俳優人生を送ったラングレン自身のキャリアとダブる。相変わらずセリフはほとんどないが、クライマックスはその表情が行間を生み、泣かされてしまった(ドラゴJR.をラングレンの実息と錯覚してしまった程だ!)。
前作を機に大ブレイクしたジョーダンとトンプソンはシリーズをすっかり自分のモノにして頼もしい主演っぷりだ。シリーズ史上最強の敵を前に苦戦に陥るクリードをジョーダンはたぎるような怒りを持って熱演。隠し切れない品の良さ、優しさと共存するパンクさが彼の魅力だろう。
そんなジョーダンに対して“姉さん”風情のトンプソンは得意の歌声も披露。かつてのエイドリアンのような内助の功ではなく、共に人生を歩む戦友としてボーイッシュな格好良さだ。そんな二人が親になる事を前に戸惑うシーンがいい。そう、スタローンはこんな繊細な描写もできる人だよな、と思い出した。
アポロの仇討も済んでシリーズの継承はついに完成。いよいよクリード伝説が始まるであろう次回作が楽しみだ。

鑑賞を予定していなかった僕の腰を上げさせたのが主演マッケンジー・フォイの存在だ。『インターステラー』で宇宙の果てから帰還するには十分な理由だった愛らしい子役も18歳になり、その美少女っぷりに磨きがかかっている。ドレス姿もいいが、すらりと伸びた手足が覗くくるみ割りルックでのアクションがよりキュートだ。だが、ディズニー製作のアドベンチャー映画で主役を張るにはいささかシリアス過ぎる美貌なのか、これだけで映画はもたないのである。ブラッド・バード監督『トゥモローランド』のラフィー・キャシディ嬢のようなチャーム(愛嬌とでも言うべきか)がこの手の映画には必要ではないか。18歳にしてディズニー映画よりもノーラン映画の方が似合う個性は何とも頼もしく今後、演出に恵まれれば大人の女優への脱皮も可能だろう…と、美少女研究家はうんちく考えながら見てしまったのである!