goo blog サービス終了のお知らせ 

長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『クルエラ』

2021-06-26 | 映画レビュー(く)

 いい加減、ヴィランまで新約するディズニーのセルフ実写リメイクには食傷していたが、これには驚いた。『101匹わんちゃん』の悪役クルエラを主人公にした本作はさながらダルメシアンの皮をかぶったジョーカーだ。DCコミックの側だけ借りて70〜80年代映画へのオマージュである『ジョーカー』が作られたように、ここではディズニー映画のガワだけ借りて70年代ロンドンを舞台にしたパンクと連帯の物語になっている。134分間、僕には”ディズニー映画を見ている”という実感がまるでなかった。

 親を殺されたみなしごクルエラがやはり孤児のジャスパー、ホーレスと出会い、ロンドンの最下層で盗みを働きながら生きていく。クルエラは髪の毛が真ん中から黒と白に分かれた奇形、ジャスパーは黒人で、ホーレスは太っちょだ。世間の決めた美醜から弾かれた3人だが、それでも愛犬は等しく人間の味方である。クルエラはお洒落と裁縫に長じ、将来の夢はファッションデザイナーだ。

 クルエラが70年代パンク全盛のロンドンで、ファッションデザイナーを目指していく前半の立身出世物語だけでも十分に楽しい。サクセスを目指して奮闘するヒロインはエマ・ストーンの十八番。そんな彼女を取り立てる大物デザイナーのバロネスに扮したエマ・トンプソンは近年、気前のいい好投が続き、ここでは『プラダを着た悪魔』のメリル・ストリープを上回るお局ヴィランぶりを見せている。この追い越すべきアイコン、バロネスは母の敵であることが明らかとなり、クルエラは善良な人格エステラから破壊者クルエラを分裂させていく…。

 予告編段階から指摘されていたように『ジョーカー』の影響が色濃く、クレイグ・ガレスピー監督もおそらく意識的に取り込んでいるだろう。倒すべき相手が親であること、世間からのカリスマ的信奉、おまけに白塗りにツートンカラーの髪の毛はまるでジョーカーの恋人ハーレークインだ。そしてここではサイコパスという言葉も出てくる。悪漢バロネスの血を引いていることにクルエラは自身のメンタルヘルスを疑い、あらゆる感情が入り乱れるエマ・ストーンのモノローグはディズニー映画のグレードを1つも2つも上げている。

 そしてこれはエマ・ストーンの逆襲でもある。『ラ・ラ・ランド』で早くもオスカーを獲得。底抜けに明るい個性を封印した『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』でオスカーホルダーの名に恥じない名演を見せたが、それでも10年ぶりの続編『ゾンビランド/ダブルタップ』では10年前と何ら変わりない添え物扱いだった。本人は快く引き受けたのかも知れないが、これ程の実力をもってしてもハリウッドの男女格差は覆せないのかと、ファンとしては忸怩たる思いだった。

 クルエラがジョーカーと異なるのは彼女が自ら望んだ革命者であることだ。彼女は女性の立場だけではなく、ジャスパーもホーレスも、洋服屋のグラムロック店員も全てのマイノリティを包摂し、旧体制に立ち向かっていく。おいおい、その先に『101匹わんちゃん』は存在し得るのか?エンドクレジットにはゾッとするおまけが付いてくるが、そんな事はどうでもいい。僕は70年代にパンクの申し子となったクルエラが2020年代の現在、どんなおばあちゃんになっているのかと想いを馳せた。世代もピッタリ、そして常にパンクな役を選び続け、オスカーなんて権威を冠らないグレン・クローズに、まさかのエマ・ストーン版を引き継いだリブートを託すなんてのも面白いんじゃない?と妄想した。


『クルエラ』21・米
監督 クレイグ・ガレスピー
出演 エマ・ストーン、エマ・トンプソン、ジョエル・フライ、ポール・ウォルター・ハウザー、マーク・ストロング、ジョン・マクリー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『グレイハウンド』

2020-12-31 | 映画レビュー(く)

 コロナショックによってハリウッドが配信事業へと一気に加速した2020年。新興勢力AppleTV+がソニーから買い付けたのがトム・ハンクス主演の本作『グレイハウンド』だ。第二次大戦時、北大西洋を横断する米英商船団の護衛に当たった米駆逐艦グレイハウンドと、ドイツUボート“グレイウルフ”の死闘を描く海洋アクションだ。

 となればオールドファンには嬉しい海戦映画の傑作『眼下の敵』を彷彿とさせるが、こちらはドイツ側の描写を一切オミットしてさらに短い91分のランニングタイム。荒れ狂う北大西洋を駆逐艦が突っ伏さんばかりに航行し、爆雷が勢いよく射出され(こんな描写見た事ない)、水しぶきが上がる。だが本作の異質さはそんなスペクタクルや人物描写もほとんど排し、命令と復唱を繰り返す艦内の戦闘行動プロトコルをひたすら描いていることだろう。娯楽映画としての派手さよりもディテールが優先される本作は、ミリタリーマニア垂涎ではないだろうか。
 そんなC・S・フォレスターの原作を脚色したのは何と主演のトム・ハンクス。実は彼、既に作家デビューを果たしており、250台以上も所有するタイプライターについての小説を上梓しているという。そんな一風変わった文学的趣向が本作の脚色に繋がったのかも知れない。

 艦船がひしめく海戦シーンを大スクリーンで堪能したかったのはもちろん、ソナー音から艦砲の発射音、繰り返される復唱と劇場品質の音響で楽しみたかった。配信戦国時代は視聴者が製作者の意図する音響デザイン、音響演出を味わえる設備を確保することも課題となってくるだろう。


『グレイハウンド』20・米
監督 アーロン・シュナイダー
出演 トム・ハンクス、スティーヴン・グレアム

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『クライム・ヒート』

2020-11-29 | 映画レビュー(く)

 日本劇場未公開だが、拾い物の1本だ。原作は『ミスティック・リバー』で知られるデニス・ルヘインの小説『The Drop』(ルヘインは脚色も担当)。ベルギー映画『闇を生きる男』でアカデミー外国語映画賞にノミネートされたミヒャエル・R・ロスカム監督もストーリーテラーとしての確かな腕を持っており、ここにトム・ハーディ、ジェームズ・ガンドルフィーニ(本作が遺作となった)、ノオミ・ラパスら豪華キャストが結集した。

 冒頭、原題“Drop”の意味が明かされる。マフィアの金が集金される場所であり、いつ回収されるかは誰にもわからない。トム・ハーディ扮するボブはその時を待って、集まり続ける金を金庫にDropし続けるだけだ。しかし、2人組の強盗が集金場所であるバーを襲撃。金を奪われてしまう。

 ハーディがいい。これまでも見せてきた無骨な男くささに、繊細で優しい性根が見え隠れする。その姿は冒頭に拾われる子犬を思わせるものがあり、この1人と1匹のツーショットはかなり親和性が高い。
 だが、注目すべきは終幕で見せるもう1つの顔だろう。ボブは無骨さの反面、汚れ仕事を怖ろしいまでの手際の良さでこなす冷徹さを持っており、暴力にまみれている。彼もまた“Drop”=転落しているのだ。その素顔が明らかになる瞬間、僕は身も凍るような戦慄を覚えた。ハーディのキャリアを語る上でも見逃すには惜しい1本と言える。


『クライム・ヒート』14・米
監督 ミヒャエル・R・ロスカム
出演 トム・ハーディ、ノオミ・ラパス、ジェームズ・ガンドルフィーニ、マティアス・スーナールツ、ジョン・オーティス
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『蜘蛛の巣を払う女』

2020-06-07 | 映画レビュー(く)

 今さらハリウッドの心無い続編商法に目くじらを立てる事もないだろう。2011年にデヴィッド・フィンチャー監督が手掛けた『ドラゴン・タトゥーの女』の続編だが、監督は『ドント・ブリーズ』を大ヒットさせたフェデ・アルバレス、主演はルーニー・マーラからTVドラマ『ザ・クラウン』クレア・フォイへと交代したリブート作だ。

 闇の必殺仕置き人として世にはびこるDV男どもを成敗し続けていたリスベットがアメリカのミサイルシステムを手にしてしまった事から陰謀に巻き込まれる。フィンチャー版も『八つ墓村』のような定番プロットを超一級の映画術でゾクゾクするようなスリラーへとアップデートしていただけに、物語のつまらなさをいちいち指摘するのは野暮というものだ。アルバレスもフィンチャー版のルックに準じようとしているが敵うはずはなく、トレードマークとも言えるサディスティックな演出が時折、顔を覗かせる程度に留まっている。

むしろ映画化にあたって注力すべきだったのは女性への暴力に対する糾弾だろう。今回の敵、リスベットの双子の妹カミラは父親の虐待によって分裂したリスベットの片割れであり、シルヴィア・フークスが『ブレードランナー2049』に続いて怪演する彼女との対決にもっと力を入れるべきだった。フォイは『ザ・クラウン』のエリザベス女王から巧みな転身だが、燃え上がるような怒りを秘めた初代ノオミ・ラパスや、繊細な2代目ルーニー・マーラに比べるとインパクトに乏しい。新たにTVシリーズの製作が発表されたが、こちらの方がより原作のスピリットを生かせるのではないだろうか。


『蜘蛛の巣を払う女』18・米
監督 フェデ・アルバレス
出演 クレア・フォイ、スベリル・グドナソン、ラキース・スタンフィールド、シルヴィア・フークス
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『グレート・ビューティー 追憶のローマ』

2020-05-27 | 映画レビュー(く)

 淫らな饗宴、退廃と美の歴史を語り継ぐローマの街並み…アメリカ人のイタリアンコンプレックス、もしくはフェリーニコンプレックスは今なお色濃いのか。往年のイタリア映画の軽々しいパスティーシュにアカデミーは外国語映画賞を与えてしまった。本命不在だったとはいえ、構成力も同時代性もデンマークの『偽らざる者』が断然、上だろう。

 とはいえ、ローマの圧倒的な“美”が画面を占拠し、強烈なヴィジュアルインパクトを放つ様には圧倒される。夜ごと繰り広げられる群舞を照らしたライティングはとろけるほど美しく、絶品なのだ。とうの昔に筆を折った作家の壮年の危機は『81/2』を彷彿とさせ、夢見のような不連続性と蠱惑が観る者を酩酊に誘う。

 だが、身を任せるには演出の魔力が足りな過ぎる。『きっとここが帰る場所』のショーン・ペンに施された厚化粧のようにベタ塗りなソレンティーノのディレクションはフェリーニのパスティーシュとしても軽過ぎる。前作同様、感じが良いだけでセンスのない選曲、無為に拡がり続けるサブプロット…終幕、聖母が登場してからのコントみたいな展開にはとっとと夢が醒めてくれないものかと気が削がれてしまった。映画館の闇が明けた時には何の夢を見ていたのかすら思い出せなかった。


『グレート・ビューティー 追憶のローマ』13・伊、仏
監督 パオロ・ソレンティーノ
出演 トニー・セルヴィッロ
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする