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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ザ・ファイブ・ブラッズ』

2020-06-28 | 映画レビュー(ふ)

 劇中、敵対する北ベトナムのプロパガンダDJハノイ・ハンナ(目の醒めるようなヴェロニカ・グゥ)はアメリカからやって来た黒人兵=ブラックGIたちにマーヴィン・ゲイを聞かせ、こう語りかける。「あなた達を奴隷と思っている国のために何故戦うの?」。
スパイク・リーはかつて『セントアンナの奇跡』でもナチス政見放送DJに同じ問い掛けをさせていた。黒人たちが度重なる犠牲を捧げてもアメリカは応えようとせず、その民主主義の裏切りが今日のBlack Lives Matterの原因の1つではないだろうか。

 前作『ブラック・クランズマン』で初のオスカーに輝いたスパイク・リー監督は第2の黄金期を迎えている。かつてベトナム戦争に従軍した老人達が戦友の遺骨と金塊を探しに再びジャングルへと分け入っていく本作は相も変らぬ自由闊達さで(何せ回想シーンも老優達自らが演じてる)、前述のマーヴィン・ゲイから『地獄の黙示録』、『ブラックパンサー』などなどポップカルチャーを縦横無尽に横断。テーマは積載過剰で成熟とは程遠いエネルギッシュさだ(虚構的な回想シーンのアクションは間延びも甚だしい)。激化するBlack Lives Matter運動最中にリリースした嗅覚といい、社会情勢が混迷することでより先鋭化するアメリカ社会派映画監督ならではのダイナミズムがある。

 リーは社会を分断する憎しみの在処を探ろうと試みる。白人が黒人のルーツを知らなければ、フランスがベトナムを搾取していた歴史も忘れられ、何より主人公一行は戦後のベトナムを知る事もなかった。人にも人種にも国家にも歴史があり、それを省みない事が分断の温床ではないのか?初期スパイク・リー作品の立役者であるデルロイ・リンドーが扮したポールは何とトランプ支持の黒人である。戦後“子供殺し”と虐げられてきたポールが移民排斥に耳を貸したのも無知故だろう。憎しみと狂気にまみれた哀れな男をリンドーはド迫力で熱演し、来年のオスカー最有力候補である。

 そんな小隊ブラッズの隊長であり、精神的指導者となるのがノーマンだ。“ブラックパンサー”ことチャドウィック・ボーズマンを配役し、ブラックパンサー党創始者ダーウィンの写真を模したイスに座らせる。ノーマンは説く“憎しみの連鎖を止めよ”。リーは奴隷が連れて来られた400年前こそアメリカ建国の年と主張し、キング牧師の言葉を引用して「いつか祖国になるだろう」と希望を託した。観客に安全な場所から傍観する事を良しとしないパワフルな2時間35分、2020年を代表する1本だ。


『ザ・ファイブ・ブラッズ』20・米
監督 スパイク・リー
出演 デルロイ・リンドー、クラーク・ピーターズ、ノーム・ルイス、イザイア・ウィットロック・Jr.、チャドウィック・ボーズマン、ジョナサン・メイジャーズ、ジャン・レノ、ジョニー・グエン、ポール・ウォルター・ハウザー、メラニー・ティエリー、ヴェロニカ・グゥ
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『フランシス・ハ』

2020-04-21 | 映画レビュー(ふ)

 主人公フランシスは27歳。モダンダンサーを目指してカンパニーの研修生をやっているが、ダンサーで食うにはもう歳だ。しかし生来の諦めの悪さと夢見る夢子ちゃん気質がなかなか現実を直視させない。成功は遠く、借金は増える一方。ついには母校の寮母バイトで食いつなぐ羽目になってしまった。そんな彼女も家に帰ればルームメイトのソフィーが待っている。「私たちって熟年のレズビアンカップルみたい」と言う2人は互いにノンケだが、「I LOVE YOU」と連呼してはばからないベタベタぶりで、男はあくまで“つなぎ”だ。

 イタ~いヒロインをシニカルに描くノア・バームバックのタッチは脚本、主演グレタ・ガーウィグによってポップでエッジィなガールズムービーに変身した。それまでの冷徹な人物描写は鳴りを潜めて随分と間口は広くなり、陰影の濃いモノクロはヌーベルバーグ由来の正統アメリカンインディーズの風格を感じさせる。前作『ベン・スティラー 人生は最悪だ!』を経てガーウィグという創造的パートナーと出会ったバームバックは本作で新境地を開拓し、それは2019年の傑作『マリッジ・ストーリー』へと結実していく。ガーウィグも本作で俳優としてブレイク後、2017年『レディ・バード』で監督デビューを果たし、映画作家として羽ばたく事になる。本作は今や記念碑的映画と言ってもいいだろう。2人の作家性を語る上で外せない1本である。


『フランシス・ハ』12・米
監督 ノア・バームバック
出演 グレタ・ガーウィグ、ミッキー・サムナー、アダム・ドライバー、マイケル・ゼゲン
 
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『Fukushima50』

2020-03-09 | 映画レビュー(ふ)

 2011年3月11日の東日本大震災によって発生した福島第一原発事故から9年。日本のメジャー映画会社がこれをいったいどのように描くのか興味があった。また昨年、アメリカのケーブルTV局HBOが1986年のチェルノブイリ原発事故をテーマとした『チェルノブイリ』を放送し、その冷徹なまでの描写と批評性が哀しいかな、旧ソ連を描きながら現在の日本を思わせた事も本作への興味を募らせた。だが、わかりきった事ではあるが、比べるべくもないのである。

 冒頭、大地震が発生し、大津波が原発を襲う。リアルなプロダクションデザイン、完成度の高い津波のCG、そして渡辺謙、佐藤浩市ら演技巧者達の白熱によって緊迫感たっぷりだ。電気がない暗黒の中、刻々と上昇する放射能濃度に怯え、命を賭けて事態収拾に当たる原発作業員たちを敬意を持って描こうとしているのはわかる。

 しかし、本作の醜悪さは作り手がそのヒロイズムに酔っている事だ。未曾有の危機に直面した作業員たちは混乱し、わめき、やがて精神論に依って思考停止する(映画も終盤、センチメンタルな泣かせ演出に頼って駆動しなくなる)。昨今のTV日曜劇場などで見られる大声でわめく事を熱演とした演出は彼らの混乱を描いても、優秀な技能者である事は描いていない。渡辺謙演じる吉田所長が東京本店とのやり取りで声を荒げた事は音声記録からも明らかだが、おそらくノーコントロール状態である渡辺の“熱演”からは無能な上層部に憤る現場指揮官というより、ただただ動転しているとしか見えない。
 やがて彼らが統率を失くし、挙句「一号機は手のかかる子供なんです。原発はみんな性格が違うんです」という情緒に頼る様には“こんな思考停止した人たちが原発を管理していたのか”と言葉を失った。実際に現場では怒号が飛び交い、技能者の矜持が逆境を支えた場面もあったのだろう。だが、震災前に指摘されていた大津波への対策を怠り、未だ収集の目途もつかないこの事故を「アンダーコントロール」と言ってオリンピックに“復興五輪”と名付けた政府、社会の搾取を描かなければ自ら決死隊と呼ぶ彼ら原発作業員への称賛どころか、所謂“特攻賛美”でしかない。

 さらに本作の悪辣さは震災から9年の時を経て今なお分断を生まんとしていることだ。劇中で個人名が言及されない時の総理大臣は徹頭徹尾、大声で怒鳴り散らすばかりであり、ほとんど錯乱したかのように描かれる。彼の現場視察によりベント作業が遅れ、海水注入が一時中断されたと描写されているが、これは既に然るべき機関によってデマである事が証明されている。原作者の政治的スタンスを見れば明らかだが、この映画化はそれを明らかとしていない。吉田所長の遺書が読み上げられる終幕、自然はコントロールできないと明言され、原発事故についての人的要因については一切、触れられないのである。

 『チェルノブイリ』では文字通り裸一貫で原発の真下にトンネルを掘った炭鉱夫や、90秒以上の作業は致命傷となりうる汚染区域で作業にあたった兵士ら多くの人々の勇気と献身が描かれる。そこには彼らに対する敬意と共に、人命を軽視した原発と政府への不審と怒りが同居していた。
 本作は事故による犠牲者や放射能の影響、震災関連死について一切触れる事なく、まるで復興を成し遂げたかのように“今年のオリンピックは復興五輪と位置付けられている”と結ぶ。『チェルノブイリ』の宣伝コピーは「嘘の代償」である。先に見ておくと、本作の欺瞞がよりわかるはずだ。

『Fukushima50』20・日
監督 若松節朗
出演 渡辺謙、佐藤浩市、吉岡秀隆、安田成美、緒形直人、火野正平、平田満、萩原聖人
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『プリデスティネーション』

2020-03-01 | 映画レビュー(ふ)

 ロバート・A・ハインラインによる短編小説『輪廻の蛇』を原作とした本作の倒錯的なタイムパラドックスを解説できる自信はないので、プロットについての言及を避けておこう。イーサン・ホーク主演のSFサスペンスのような売られ方だが、真の主役は時空も性別も超えるサラ・スヌークであり、語られるべきは彼女の驚異的才能だ。

 HBOのドラマ『サクセッション』で歯に衣着せぬ物言いが痛快な長女シヴを演じ、一躍その名を知らしめたサラ・スヌーク。性格的にドギツイ役柄でありながら愛さずにいられないのは彼女のファニーフェイスに依る所も大きい。貫禄たっぷりの存在感にさぞかしの熟練かと思いきや、1987年生まれの32才だ。本作ではイーサン・ホーク演じるバーテンダーのもとに現れた謎の男に扮し、奇想天外な身の上を物語っていく…そう、スヌークはなんと男を演じている。意外やディカプリオ似のイケメン、彼女と知らなければ女優である事にも気付かないだろう。性差すら乗り越える独自の才能にイーサン・ホークも“お仕事”に終わらない集中力を発揮している。彼女が気になった人はぜひとも『サクセッション』を見てもらいたい。


『プリデスティネーション』14・豪
監督 マイケル&ピーター・スピエリッグ
出演 イーサン・ホーク、サラ・スヌーク、ノア・テイラー
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『フォードvsフェラーリ』

2020-01-29 | 映画レビュー(ふ)

 今やアメリカ映画の正当な後継者と呼べる名匠ジェームズ・マンゴールドの最新傑作だ。
 1960年代半ば、フェラーリの買収に失敗したフォードは24時間耐久レース“ル・マン”での雪辱を誓う。しかし、所謂“大衆車”を作ってきたフォードにレースカー開発のノウハウはなく、1959年大会の優勝者キャロル・シェルビーに開発が託される。シェルビーは圧倒的ドライビングテクニックと知識を持ったケン・マイルズを抜擢、打倒フェラーリに挑むのだった。

 言わば戦後アメリカ産業史の1ページを築いた“ライトスタッフ=選ばれし者”達による開拓史である。全米では“レース映画は当たらない”というジンクスを翻し大ヒットを記録した。

 マンゴールドの演出はもはや巨匠然とした簡潔な筆致だ。車は速く、芝居は熱く、ドラマは濃く。実際のレース場で車を走らせたダイナミズムに映画技術の粋を集めた音響効果が加わり、7000回転するエンジンの轟音は観客の五臓六腑を震わせる。熱き血潮がたぎるマルコ・ベルトラミのスコアと合わせてぜひとも音のいい映画館で聞いてほしい。

 そして映画の駆動力となるのが俳優陣の素晴らしいアンサンブルだ。シェルビー役にマット・デイモン、マイルズ役にクリスチャン・ベール。破天荒な男を演じるベールは神経質で気難しいパーソナリティに珍しく英国訛りをタップリ効かせ、何とも魅力的な人物造形である。『バイス』で見せたサイコパスの副大統領といい、名優としての充実期にある。
 そんな2人を囲んでジョン・バーンサル、ジョシュ・ルーカス、トレイシー・レッツらイイ面構えの男達が並び、ケン・マイルズの妻に扮した紅一点カトリーナ・バルフが麗しい。初めて見た女優だが、既にTVドラマ『アウトランダー』の主演として世界規模の名声であり、改めて映画だけ見ていて映画を語れない時代だなと痛感させられた。また息子役には『クワイエット・プレイス』『ワンダー』『サバービコン』のノア・ジュプが扮し、大人たちと比べて遜色ない存在感を見せ名子役の面目躍如である。

 シェルビーとマイルズはGT40の開発に成功、ついにフォードをル・マン優勝に導くが、マイルズ自身は社の思惑によって同チームの別車にその座を譲る事となってしまう。だが、最上の速さだけを求めた純粋さは孤高の輝きを放つ。7000回転の彼方に消えてしまったマイルズへ映画が寄せる憧憬は旧き良きアメリカンスピリットの希求だ。

 本作はディズニーに買収された20世紀フォックスの製作である。おそらく買収後のフォックスにはオスカーキャンペーンを展開するスタッフもろくにいなかっただろう(何せ当のディズニーは『アナと雪の女王2』オスカー候補すら逃している)。今年のアカデミー賞では作品賞はじめ4部門のノミネートに留まったが、状況を考えればむしろル・マン優勝レベルの快挙と言っていいかも知れない。本作がハリウッドの一時代を支えた20世紀フォックス最後のオスカー候補作というのも相応しい話じゃないか。


『フォードvsフェラーリ』19・米
監督 ジェームズ・マンゴールド
出演 マット・デイモン、クリスチャン・ベール、カトリーナ・バルフ、ジョン・バーンサル、ジョシュ・ルーカス、トレイシー・レッツ、ノア・ジュプ
 
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