平成16年/上半期/直木賞 2008-09-18 | 二行目選考委員会 (奥田英郎作/空中ブランコ/一行目は) ―地上十三メートルのジャンプ台に爪先立ちし、山下公平は軽く目を閉じ、深呼吸した。― そして意を決したように目を開くと、最後に残ったブリーフを脱ぎはじめた。
コオロギ 2008-09-16 | 若者的詩作 怖い映画を見て眠れなくなった夜です 窓の下ではコオロギがぱたぱたと羽ばたきます 「素敵な歌を歌うから瞳を閉じてしまいなさい そうそうあなた本当は、お母さんの子ではありません」 あーもうめんどくさい事思い出した 僕はつぶやくよ、さようなら 薄く頬が光ったの、涙のあとだとあなたは少し笑います
夢を乗せて走るけど退屈な景色 2008-09-15 | 東京半熟日記 (雨の蒜山高原編2) でかい犬、牛と対峙する。 吠えることなくにらみ合った両者はひとまず一歩下がり、お互いの様子を覗っている。 次に攻撃を仕掛けたのは、牛であった。 牛は自らの牛糞をふろろろろろと垂れ流したかと思うと、その匂い、音などに紛れて偲びさながら犬の背後に立っている。何時の間に、と犬は狼狽する。拙者の鼻、耳をもってしてその動き、気配を全く感じる事ができなかった。そうかふふ、そうか、犬はつぶやき不敵な笑いを浮かべる、涎がだらりと垂れる。 この首輪を外すときがつきにきたというわけであるな、よかろう、拙者とて、まだここで討ち死にするわけにはいかぬ。 犬は首輪をはずそうとするが、飼い主がぎゅって紐を引っ張り上げたものだから、犬、きゃういん、と鳴いてしぶしぶ下山する。 牛の行列。
8月の果て 2008-09-14 | 若者的詩作 あの娘は水玉のリボンがよく似合う女の子 いつも空を見上げては花占いしてため息つく あら今日は可愛らしいワンピースでお洒落して いったい誰に思いを届けに行くんでしょう 8月の果てに向っている ちょっぴり風が吹いてきたみたい 星の光を探している 物語を見つけるために 一輪の綺麗な花が咲いていたので 暗い森に入ってしまいました みずうみに石を投げ入れたら映った顔が歪んで 怖くなりました、道に迷って、日が暮れた 8月の果てに立っている ちょっぴり空に近づいたみたい 星の光、私を照らす 物語は作られてく
平成3年/上半期/芥川賞 2008-09-14 | 二行目選考委員会 (荻野アンナ作/背負い水/一行目は) ―真っ赤な嘘というけれど。― 実際は角度により複雑に色が絡み合い、大変綺麗であり、観光客も喜ぶ。
昭和59年/下半期/芥川賞 2008-09-12 | 二行目選考委員会 (木崎さと子作/青銅/一行目は) ―充江は、はずしたエプロンを丸めて手にもったまま家に戻ると、台所で水を一口のんでから、居間のソファに座った。― シーソーの原理で湯飲みをもったまま飛び上がる義父。
新種とか言っても所詮、人間の都合なんですよね 2008-09-12 | リッスン・トゥ・ハー それは蛇というよりもむしろ、糸、と表現した方が適当そうだった。なにせ、細い。そしてまあめったに動かない、よくよく目を近づけて見てみると、一方に口や目がついており、わずかに動いているようである。この細さでは、何万匹食べようと、まず満腹感は得ることができない。よって、天敵などおらず、ただ、自分は地を這い、虫の死骸に侵入し、内から徐々に食い尽くしていけばいい。何せ細いのだから、餓えることがない。ほんの少し食べたなら、数ヶ月は基本的な生活は造作ない。すき間にうまく収まって生きている生き物だ。発見したのは、蛇の研究者、の孫、おばあちゃんの研究室にやってきて、動く糸を発見し、最初は気味悪がったものの、研究者の血が流れているのだろう、観察し、それが生き物であり、どうやら新種の蛇らしいと気付いて、採取した。その孫の名にちなんで蛇は、ムッシュムラムラ、と名づけられた。ムラムラはどこか恥ずかしそうに首を振っていた。
若返るオーケストラ 2008-09-06 | リッスン・トゥ・ハー ホルンはふるんと腕を震わせて必死、息を吹き込めば吹き込むほど、皮膚の張りはよくなり、色艶が出てきて、なんだか髪の毛も濃く多くなったようである。ホルンが老化現象を吸い取っているようだ。どの楽器もそうである。オーケストラが盛り上がる、第三楽章の中ほど、ほとんどの楽器がかき鳴らされて、会場は音で溢れかえる頃、まさに若人達の演奏会となった、オーケストラをしかし未だ初老の指揮者が、確実に導いていく。老化現象が鳴っている、燃えている。燃えて、燃やし尽くした音は、素晴らしい、というしかいいようがなく。それは、はさみで皮膚を切り裂き、つるんとした中身が出てきて、その中身に触っているような、はかない痛さと甘さ、酸っぱさ、をかねそろえた味、といっても過言ではなかった。しばらく聞いていると、様々な映像が見えた、オーケストラのメンバーの人生の一場面一場面であった。つまらない映像であった。時に猥雑な映像であった。ええ、あんな真面目そうな人が、的な映像も含まれていた。赤面しっぱなしの人もいた、しかしそれも確実に人生であった。それなしでは語ることなど出来ないのだ。走馬灯、だれもがそう感じていた。おそらく走馬灯はこのような映像、音、匂い、感触になるのだろう。退屈で退屈でしょうがなかったが、嫌ではなかった。心地よさは常にあったそれが老化現象を燃やす代償として、保証された完成度であった。オーケストラは同時に突然鳴り止む。進化の過程をさかのぼり始めたのだ。