リッスン・トゥ・ハー

春子の日記はこちら

「まぐろ その13(お銀編)」

2008-09-02 | リッスン・トゥ・ハー
「まぐろ その13(お銀編)」

由美かおるは降板に!スポーツ紙に踊る文字、赤、青、レインボーさながら複雑な色彩でスクープは掲載された。変わりに誰が、誰もがその疑問を口にすることをためらった。50を超えても尚現役にこだわり続けている由美の失望を思って、一方で仕方ないとは感じていた。50も過ぎれば、張り巡らされた皺が地図のように身体を覆う、特殊メイクであろうと隠し通せるのも時間の問題であった。モザイクをかけて、映せばどうかとの案もあったが、モザイクを由美は拒んだ。卑猥なものが映っているみたいに見えるでしょうが、と声を荒げた。実際、卑猥なものではあったが、誰も何も言わなかった。由美のプライドを尊重したのだ。しかし、権力が絶大であるスポンサーからの働きかけにより、由美は降板となった。変わって採用されるのが一体誰なのか、興味は既にそちらに向かいつつあった。由美ははやくも伝説のものとして、記憶に残るもののその扱いは過去のものであった。由美は気に入らなかった。あの頃は、あの頃は、誰もがそうつぶやく。由美は辛抱ならなかった。今でも十分、特殊メイクさえつかえばごまかせるではないか。もうすこしそんな風に空気読んで欲しいものさ、由美はつぶやいた。空気を読まなければならないのは由美自身であった。それに気づいていたのだ。そんな由美の変わりに採用されたのが、時価にして300万はするであろう立派な黒マグロであった。そのサプライズ人事に誰もが驚愕し、よだれをたらした。由美もそれを聞いたとき、あたしはマグロに負けたのか、と失望したが、実際マグロを見て、なるほど、と感じた。美しかったのだ。マグロの皮膚、うろこは七色に光り、湯をかけるとしわわしわわと身が縮んで実に美味そうであった。肝心の入浴シーンで、マグロは初めてとは思えないいい演技をした。もっとも、スタッフ他の出演者を始め誰一人として、その存分に出た出汁で一杯、と考えていた。流れ出たよだれで風呂は薄まり、粘性を増し、ゆらゆら揺れる湯に月が映った。真ん丸の月がゆらゆら揺れて、マグロは恥ずかしそうにタオルを首まで引き上げた。その少女のような初々しさがたまらない。