リッスン・トゥ・ハー

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「体にアンパンを乗せたのではなくアンパンから体が生えてきたのです3」

2008-02-05 | 掌編~短編
乾いたアンパンは砂をこねて、唾液を混ぜ込み、人間らしき形をつくる。唾液はガムのように伸びて粘着性が高かった。もちろん砂糖が含まれているからである。ジャムおじさんと名づける。それに、自らの頭を作らせるように動きをプログラムし、言い忘れたがアンパンは天才であった。世界の天才をミキサーにかけて出てきた粕ほどの天才であった。だから、アンパンに不可能はなった。アンパンは自らがヒーローとなる世界を作り上げた。ばい菌をイメージした砂を作った。それは宿敵にするつもりだった。はひふへほ、というアンパンは自分がアンパンであるという自覚を失いかけた。自分は神だった。実際この世界では神そのものである。すべてを創造してしまったのだから。もう怖いものは何もない。
自分が作り上げた中でもっとも気に入っていたのがバタ子だった。アンパンはバタ子をそばに呼んでは弄んだ。バタ子はいい声で鳴いた。一通り終わるとアンパンはバタ子にオクラホマミキサーを躍らせた。綺麗だった。それを見ているときだけ、ただのアンパンに戻れた。明日もやはりかばおはアンパンを食いたいと叫び、俺がそこに向かう、そしてアンパンを千切って与え、ばい菌にあーんパンチを食らわせる。その繰り返しだった。俺は疲れているのかもしれない。俺はすべてを手に入れ、これ以上何を望んでいるというのだ。アンパンはそう自分に言い聞かせてバタ子を抱いた。バタ子は甘い味がした。
アンパンは激怒した。バタ子が甘い?どういうことだ、バタ子はしょっぱいだけのはず、甘いわけがない。バタ子は当惑していた。バタ子よ、正直に言え、誰だ?バタ子は震えている。やはりアンパンが砂をこねてつばを加え、作ったココナツの周りを回り始めた。目にも留まらぬ速さで回り始めた。バタ子よ止めろ、正直に言えば許そう、アンパンは叫んだがバタ子は止まる気配すら見せない。そして、バタ子はバターになってしまった。
アンパンは指ですくいペろりんちょとなめる、甘い、この甘さには覚えがあった。奴か、アンパンは飛び上がった。アンパンが作り上げた森が町が湖が震えた、空気を切る大きな音を立て、音速で飛んでいた。飛ぶアンパンを見て、ある子どもは流れ星に願いを言えたよ!とはしゃぎまわった。ちなみに願いは「破れない靴下」だった。戦後貧しい日本を想定してある子どもも、もちろんアンパンが唾液を練り上げてつくったものである。
 アンパンが空を高速で飛び、向かった先はメロンパンのもとだった。
 メロンパンは乙女を想定して練り上げたはずだった。きらきらとした目をする夢見がちな乙女の理想として、四天王に君臨させる予定だった。気持ちを入れすぎた、自分の中にほとばしる乙女像を凝縮して形にしたものがメロンパンだった。その思いの強さが裏目に出た。乙女は禁じられた恋に走ってしまったというわけだ。アンパンは、天才であったが、一途だった。バタ子が甘いことに気づき、メロンパンが禁じられた恋に走ったに違いないと思い込んだ。そして、その怒りを、いや、喜びかもしれなかった。乙女の禁じられた恋はたまらなく魅力的であった。だからその様子をとても聞きたくてここまでやってきたのかもしれなかった。自らの唾液がここまで進化したことがうれしかったのかもしれない。メロンパンは入浴中であった。
「入るぞ」とアンパンは小さく言って家に上がりこんだ。
 当然シャワーの音にかき消されてその小さな声はメロンパンに届いていない。
 アンパンが浴室に近づく、中から楽しそうな鼻歌が聞こえた。懐かしい歌だった。アンパンがまだ釣られ乾いたアンパンだった頃に歌っていた歌だった。それをアンパンもハミングしてみた。とたんに楽しい気分になった。ほんの一瞬、その頃に戻れるような気がした。なにもかもが消え去って、真っ暗闇の中で干からびていくアンパンに戻ったような気がした。しかしすぐに、中のメロンパンはアンパンの存在に気づいた。そして喜びをあらわにした。バスタオルもつけずに浴室から飛び出てくるメロンパンはかわいらしかった。まだ乙女の要素を十分に持っていた。だからアンパンはひとつ安心した。それが崩れてしまえば、ブルースなんかをしわがれた声で歌うようになっていたらどうしようと内心心配していたのだ。その心配は無用だった。メロンパンは以前と同じように無邪気にアンパンに抱きついた。アンパンは頭をなでてやった。
 一通り会いにきた恋人がするようなことをして、ふとアンパンは気になっていることを問いかけた。
「お前はバタ子とどういう関係なんだい?」
「お友達です」メロンパンはどうしてそんなことを聞くのかしら、という風に答えた。
「どういうお友達だい?」アンパンはだんだん馬鹿らしくなってきながら再び聞いた。
 もうどうでもいいのだ。激怒した自分に酔ってここまできたけれど、正直もうどうでもよかった。
「いっしょにおしゃべりしたり、お茶したりするお友達です」
「それだけかい?」アンパンの聞き方はぎとぎとの中年そのものだった。舌を伸ばしてメロンパンをなめながら聞いた。
あん、とメロンパンはひとつ喘いで、それ以上のものはありません、と答えた。
 それから情事を手早く済ませ、アンパンは再び飛び立った。バタ子はバターになってしまったが、やはり帰る場所はそこしかなかった。アンパンはバタ子のようなのをもう一度作りたいものだ、とおぼろげながら思った。月夜だった。


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