リッスン・トゥ・ハー

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「バルコニー」

2008-06-15 | 掌編~短編
芥川先生に捧げて。


 雨降りのバルコニーには、ずぶ濡れの園児が立っていて、暖かそうな室内の様子をじっと見ている。夜になっても、母親も、父親も、まだ歩けない弟も室内で、園児ひとりだけがバルコニー、さらに雨降り。園児のほかにバルコニーには誰もいない。
 なぜかと言うと、単純に雨も降っているというのもある。また、バルコニーは塗装が見事に禿げ上がり、しかし、誰が塗りなおすでもなくただ憐れに放置され、だんだんと誰も近づかなくなってしまった。できた当時はあんなに皆がやってきては、見に行った映画の話をしたり、父親が大好きな空母の性能の話をしたり、バーベキュー、花火などという夏の定番行事も行っていたと言うのに。今はただ禿げ上がったバルコニーがさらに雨によって、徐々に腐ろうとしている。さらにいつからかバルコニーには生ゴミが置かれるようになり、それが貯まり貯まってすでに強い匂いを発している。ゴミのせいで足の踏み場もないほどのバルコニー。その代わり名前の知らない、見ているだけで嫌悪感が走るような虫が這っていた。虫はゴミを啄ばみに来るのである。というよりもゴミから発生したのである。うねうねとうごき、うねうねとうごき、意味もなく繰り返している(ように見えるそ)虫は時に集合してSOSという文字を作る。もちろん偶然であるが奇跡とも言える。しかしその奇跡がなしえた信号に気付くものはいない。それを、誰も気にせずに、放置する。つまり眼中にない。それは、バルコニーに対してでもあり、虫に対してでもあり、そこに立っている園児に対してもそうであった。
 どこからかやってきたバッタも園児と同じようにバルコニー、さらに雨降り。
 バッタは後ろ足が一本取れていて、動きずらそうであった。それを気にしているのか、時々ないはずの足を、くいっと動かして前に進もうとするが当然何もないわけだから動くような気配を見せるだけでやはりバルコニー。すでに夕暮れは深く。雨も強く、音が聞こえなくなった。バッタは必死に空を掴むように跳ねようとする。にちにちと動く。トレーラーにぶつかり瀕死の状態でもがき苦しんでいる人間もこのように動くのであろう。バッタはにちにちと動いた後、バルコニーから落ちてしまう。その音も、バッタの存在自体も完全に雨にかき消されてしまう。バッタが落ちようが、万札が舞い散ろうが関係なく孤独なバルコニー、さらに雨降り。
 園児に、食べものは昨日から何も与えられず、一昨日チーズを一切れ食べたのを思い出しては唾があふれ、その唾をバルコニーで咀嚼している園児が、らんらんと輝く室内をじっと見ながら、もう少しいい子にしていたらあるいは自分もあのふっかふかのソファに座り、カスタードパイを頬張っているに違いないシカゴピッザァを頬張っているに違いない、そう空想し、それが永遠にやってこないことを知っていて、空を見上げる。空を見上げれば気分も変わるかと思ったのであるが、なんのなんの、雨降りの暗い空の深さを知っている現代人はこの園児ぐらいなものだろう。山奥に突然現れて旅人を飲み込もうとする底なし沼よりも深い。まんまと見上げた園児をブラックホールばりの吸引力で吸い込もうとしてくる。あるいは、吸い込まれてしまえばそれですべてが解決するのかもしれない。しかし、空は無残にも園児を吸い込むことはない不気味な静けさでじっと睨んでいるのみ。雨の音だけがバルコニーに乗っかって滑る、剥げた塗装をさらに削ぎ落として。
 園児途方に暮れる。
 たっているだけでもやっとであった。先ほども言ったとおり何も食べていない、胃の中には一昨日のチーズがやわらかいやわらかい塊としてゆっくりと消化されてしまったきり。しくしくと痛むのは胃液の酸が胃の壁を溶かしているから。園児は危機的なバルコニーに立っている。
 次から次へと降ってくる雨に紛れて、落ちてきた名前の知れぬ生き物がぬめぬめと顔を覆いつくす。そのぬめぬめの生き物はしかし、園児に安らぎを与える。少なくとも彼自身に対して興味を示して顔を覆っているのだと考える。ぬめぬめを口に含み飲み込み、医学的にはそれは唾液そして雨水であったが、あくまでも園児はぬめぬめの生き物を飲み込んだと解釈して、さらに安らぎを得る。
 どうにもならないことを、どうにかするためにはどうすればよいのだろうか。
 ふいに悟りきった都合のよい信者のように園児は祈ってみる。ぬめぬめになった顔をぬぐおうともせずに祈りの歌、口ずさんでみる。

 しらないなにもすててしまおう、きみをさがしさまようまいそーる

 園児はそこで唄うのをやめる。まいそーる、がやけにもやもやとしたから。
 園児はなんとか眠らなければならないと考え、園児はバルコニーの下にもぐろうとする。幼い園児の頭でようやく考え出した答えはバルコニーの下だった。その空間はまだゴミに侵されていなかったし、雨もしみこんではこない。衣服は多少汚れるかもしれないが、もともと血や汗や食べ物で汚れている、今更気にする程度ではない、と、バルコニーの下に向かう。
 それから何分か後である。

 園児はバルコニーと地面を繋いでいる三段の階段の途中でバルコニーの下でもそもそと動く生き物を凝視していた。何もいない、まだ侵されていない空間だと思い込んでいたバルコニーの下には、何かいたのである。上からぼんやりと漏れてくる明かりを受けて生き物は小刻みに震えていた。
 6割の恐怖と4割の好奇心で園児は何が起こっているのかを把握しようと、さらに目を見開いてバルコニー下を見た。
 雨を避け床下にもぐりこんでいた黒猫がバルコニーの下にいて、先ほど上から転落したもう力尽きようとしている片足のないバッタをもてあそび、噛み付いこうとしている。
 園児を怒りが支配した。片足のないばったをもてあそぶなど野良猫の風上に置けない行為。この糞野良が。
 「なにをしている?」と園児は雷のごとく激しく問い掛ける。
 驚いた猫は、一瞬飛びのき、園児を睨みつける。園児は瞬時にして、その野良猫が大分に弱っていて、自分が少し脅せば逃げていくと理解する。自分が支配できる世界がここにあるのだという気分が園児を強くした。園児はかつてないほどに強く問い掛ける。
 「汝、何をせん?」
 弱った猫はバッタを飲み込み、ゆっくりと見上げる。園児の厳しい表情を舐めるように見上げる。その目に媚びが混じる。はっきりしないが女なのかもしれない。
 「足のもげたバッタを咀嚼しただけぞな」
 園児は猫の答えが、ずいぶん陳腐で実際的であることに軽い失望を覚えた。同時に猫に対する憎悪がめらめらと燃え広がった。それを感じ取った猫は慌てて付け足す。
 「なるほど、足のもげたバッタを、咀嚼するのは、ほめられたことではないのかもしれん、しかしじゃ、咀嚼しなければわしも餓えるのじゃ」
 園児はその話の内容などどうでも良かった。ただ猫が自分のことを「わし」と表現したことに腹を立てた。俺でさえ、俺だぞ、猫無勢がなぜわしと言い出すのか。
 雨に打たれながら黒猫はにやあと鳴いて、園児の足元に首をこすりつけてくる。黒猫は園児のことを同志だと感じたのだ。わしもわるくないぞよ。園児はとっさに、両手で黒猫の首をつかみぐるんとまわして首を折ってこんばんははまむらじゅんです、それが園児なりの挨拶の仕方だったから。もげてしまって黒猫の首、だらんと垂れ下がって斜め上室内を睨む。目にどんよりとした鈍い光が灯る。それは、室内で季節はずれの苺ちゃんをふんだんに使ったケーキ、挿した蝋燭、ともされた炎だった。ガラス窓にさえぎられてくぐもった誕生の歌が聞こえる。にゅにゅにゅにゅー、にゅーにゅー、と園児には聞こえる。室内を睨んで黒猫はなおもにやあにやあと鳴いている。鳴き声はだんだんと大きくなって雨の音、誕生の歌を凌駕する。まだ歩けない弟がぶううと唾を飛ばしながら蝋燭の炎を吹き消す。同時に黒猫の目から光がなくなり、黒猫は鳴きやむ。園児は黒猫の体を抱きあげ、もげてしまった首を踏み潰して、バルコニーを離れた。雨はようやく弱くなり、もう間もなく上がる。
 その後の園児の行方は誰も知らない。


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