千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

創作 萩の家

2014年09月21日 | 日記


 朝一番で着く列車に乗って、肌寒い駅に降り立った。
 朝靄にけぶる町は、深閑としていた。
 駅に向かって歩いてくる人の影がぼんやりと見える。
 始発のバスのエンジン音がした。
 誰もいない車内は寒々としていた。思わず上着をかき合わせた。

 夫は、娘たちはもう起きた頃だろうか。
 週末だからまだ布団の中かもしれない。

 母から電話がきたのは昨夕だった。
 小さな声で、
「お父さんがなんか変・・・」と言った。
「どうしたの」
「朝からぼや~っとしている」
「ぼんやりしてるの?気力がないってことなの?病院には行ったの?」
 受話器の向こうで、母がかぶりをふっている気配が感じられる。
 父は病院を嫌う。家族のことは心配するのに、自分は病気にはならない。常々、口にしていた言葉だ。
「明日、一番の列車で行ってみるわ」
 母も滅多に弱音を吐かない。思いあまったときこうして電話を寄こす。夫の手前、私がパートの仕事をしていることもあって遠慮がちだ。
「悪いねえ」
「子どもたちは、友だちと約束があるみたいで連れていかないわ」
「本当に悪いね」
「ううん、いいのよ。パパも私がいなければ結構やってくれる人だから」
 朝食は夫に頼んだ。夕方までに帰宅できなければ夫がやってくれる。
 実家と私たちが暮らすまちは列車で一時間ほどだ。
 子どもたちが幼い頃は頻繁に帰ってきたのに、近頃は足が遠のく。携帯メールを顕著に使うことが多くなった。母は使いこなせないらしく、簡単な返信で済ます。

 実家はバス停の近くにある。
 乗降客は私一人だった。



 彼岸の頃に咲く萩。
 私が物心つく前からあった。
 祖父母か、その先代が植えたのか、萩の咲く家と友だちに羨ましがられた。




 庭先の所々に萩の植え込みがある。
 特別な関心も感慨も持たずに今まできた。



  出迎えてくれた花は、朝露をたっぷり含んで物言いたげに見えた。
 萩は秋に相応しい花だ。
 ふっと、寡黙な父の顔が浮かんだ。



「ただいま」
 玄関の引き戸を開けたが、人の動く気配がない。

 仏間に座り、大日如来のご本尊に焼香して、手を合わせる。
 祖父母の三十三回忌はずいぶん前に過ぎ、位牌は寺に預かってもらっている。

「おはよう。早かったんだね」
 母の声に振り向くと、あねさかぶりに割烹着姿の母がいた。やさしい表情だが、内面の葛藤が透けて見えた。
「おはよう。お父さんは?」
「畑だよ」
「畑仕事?大丈夫なの?」
「毎朝、畑だよ」
「だって・・・」
 母は苦笑して、ため息をついた。
「おかしくなるのはそのあとなんだよ」
「秋口だから、夏の疲れが出てきたんじゃないの?」
「それだけだといいんだがね」
「行ってみる。裏の畑でしょう」
「何できたかなんていわないでくれ」
「わかっている」
「もう少しで朝飯だから。呼ばなくったって、時間になると帰ってくるお父さんだけどな」
「わかっている。わかっている」
 父の一日のスケジュールが眼に浮かんでくる。
 六十歳で定年退社。その後は、近くの土建会社の経理を頼まれたが五、六年で退社。以来、畑仕事に精を出してきた。田は、請負人に任せている。
 八十歳を過ぎれば、なにが起きてもおかしくはない。
 兄は東京の企業に勤めている、妻子がいる。故郷に帰らない兄を、両親は黙認している。そろそろ考える時期にきている。だが、家族を持つと、故郷はなつかしさと、あたたかな両親との思い出が交差する場所になってしまうのだ。今までは、両親の行く末を何も考えられないできた。





 庭を通り抜ける場所にも萩の花が咲きこぼれていた。
 萩の家、そう呼ばれるのがふさわしい風情だ。




 裏庭には、台風で倒れたヤマボウシの大木に代わって植樹した木に、赤い実がついていた。木の下に実がたくさん落下している。

「お父さん、おはよう」
 畑を耕していた父は、少し驚いた表情を見せながらも、喜びは隠しきれなかった。 眼がやさしく笑った。
 鍬を持つ手も変化は見えないし、背筋も伸びている。
「今、何を植えるところなの?」
 近づくと、父は覘き込むように私を見た。
「大崎菜だ。何かあったのか」
「いやあね。何にもない。お彼岸だからたまには両親の顔をみようと思って」
「早く起きたもんだ」
「私だって主婦よ。いくつだと思っているの。いつまでも寝ぼすけじゃあないわ」
 父は小さく笑った。
「そうか。よくきてくれた。お母さんが喜んだだろう」
「嬉しそうだった。私の好物つくってくれるかな」
「卵焼きだったな」
 父は作業帽を脱いで、少し逡巡とした思いの中にいるように見えた。
「お父さん、元気なのね。具合は悪くないのね」
 私は、思わず口にしてしまった。
 父は訝るように私を見た。
「お母さんが何か言ったのか、俺の具合が悪いとでも・・・」
 後悔した。だが、父の目に曇りがないことを確かめると話さずにはいられなくなった。
「お母さんから電話がきたの。お父さんが最近なんか変だって・・・」
 父は少しため息をついた。
「ちょっとばかおかしいのはお母さんなんだよ。誰も気がつかないし、あかるくふるまっているから、俺もまさかと思った。時々変になる。台所の蛇口を閉め忘れたり、風呂の湯を出しっぱなしにしたり、すぐに気がついて、ばかだねなんていっているが、それで終わりだ。つまらんことでくよくよしたかと思うとけろっとしている。まだ大したことはないが、お前の顔が見たくなったんじゃないかな。俺らも歳なんだな」
 父の話を聞きながら涙がこぼれた。
「そうだったの。私も、ここのところこっちに来れなかったから反省しているわ」
 庭の萩が頷いたような気がした。
「お母さん、美味しい卵焼きできたかな」
 父を振り向いた。
「なるべく帰ってくるようにするわ」
 父は微笑んだ。
「そうしてやってくれ」

 絵文字をいっぱい入れたメールも送る。
 八十歳を過ぎてもメールのやりとりが出来たんだもの、まだまだ大丈夫だ。要は一人ぽっちにさせないことだ。
 父との旅行もしてほしい。

 手を洗っていた父がいう。
「野菜はあるか」
「向こうのお父さんが下さるからいい」
 夫の父親が届けてくれる野菜を、今年ほどありがたいと思ったことはない。
「そうか」
 聞いているから、遠慮する父だ。

 父の背をみて思う。
 兄と、じっくり語り合う時が近づいているようだ。




                                   完 

 萩の花が咲かない・・・
 そう思ったのは間違いでした。萩が咲く家の正面玄関に廻ったら、こぼれるように咲いていました。写真を撮り、即席の創作にしました。M(_ _)m