この町に来て一年が過ぎた。
町というより、平穏な雪国の田舎暮らしがいつか私に馴染んだ。
トンネルを通り抜けて、隣県からここにやって来た。
私は失職中だったので、従兄の勧める話に乗った。冬は雪にすっぽり覆われるが、田園が開発され、すでに各種大学、新たな国際高校まで誘致されて、学園都市の構想が出来上がっているのだという。大げさな気もしたが、新幹線駅舎と伝統を支える寺町がいつか解け合っているのだからおもしろい。
駅舎近くの観光ホテルに職を得た。
従兄の紹介だったから、話はすんなりまとまった。
隣県、つまり私の生まれ故郷の企業が、このホテルのスポンサーだったのだ。
正直の所、私は都会派ではない。煩雑な都会暮らしは辟易した。スモッグを吸い込むと咳が出る。大気が澄んでおだやかな気候、冬の寒さは堪えたが空っ風よりはましだった。
父は働き盛りでこの世を去り、継母と弟妹のいる家で肩身の狭い思いをしていたのも事実。いつか家を出なければと考えていた。父方の従兄はそれとなく察知していたものと思われる。
与えられた仕事はホテルの窓口とも言える案内係であった。フロントでの案内やサービスだけではなく、売店管理や雑務がある。
観光ホテルとしてだけではなくビジネスも兼務したホテル。山と田園に囲まれた閑かな町だったが、国際大学、医療、薬科大学もでき、新幹線駅及び周辺は、国際色豊かな人々が行き交った。
フロントのカウンターに身をかがめてパンフレットの整理をしていたときのことである。
「誰かいないの」
頭上で甲高い女性の声がした。
「いらっしゃいませ。大変失礼をいたしました」
私は立ち上がって、深く頭を下げ失礼を詫びた。
「あら、いたの。客ではないからいいのよ」
若くはないが中年とは言い難い豊満な女性が、透る声で笑った。
「新しい人ね。しばらく来れなかったのでご挨拶です。あなた~」
エントランスの方に向かって、声を張り上げた。
夫らしき男性が段ボール箱を抱えて、カウンターに近づいて来る。
「支配人はいないの?」女性の声がロビーに響く。
「おります。少々お待ち下さい」
内線のボタンを押しながら、段ボールの男性に一礼をして、私は内心驚きを隠せなかった。
あの男ではないか。
なぜかときおり思い起こしていたあの男性。
あれから一年が過ぎたのだ。
深い秋が訪れ、雪景色が心を包み込んだ。
既婚の中年男性のことは忘れ去った。
「こんにちは。はじめましてです」
男性の笑顔が目の前にあった。
やさしそうなまなざしをして、眼をパチパチさせた。
どこかで会った顔・・・
そうなんです。私も忘れてはいませんでした・・・
声を出すことはやめた。
もう一度頭を下げることで無礼を詫びた。
支配人が奥から顔を出し、ロビーの椅子で話を始めた。
女性は遠藤圭子。陶芸家としての知名度が高いらしい。
男性は遠藤宗人。やはり陶芸家。
妻の明るい作風とは異なり、模索を重ね、壁にぶつかったまま這い上がれない。俺は落人ですよ。宗人(シュート)は参ったな。奥さんに頭があがりません。
そんな声が聞こえてくる。
遠藤圭子の実績で、古民家だが家も買ったし、夫の宗人は入院もしたらしい。
かねてより作品をロビーに置かせてもらう話が延び延びになってしまったが、今でも可能かどうかという話だった。ただ置いておくらしい。破損や紛失はホテルでは責任は持てないとの約束だった。売買を加味していなく、陳列棚の片隅に置く。
一年も前の話を反古にしないのは、支配人と宗人が知人であり、契約の責務がなかったからである。
「どうも、おじゃましました」
宗人と妻圭子が、私に頭を下げ帰って行った。
陶芸家遠藤圭子は陶芸家の顔になり、名刺を差し出した。
「ありがとうございます。ちょうだいいたします」
私は慇懃に頭を下げた。
遠藤宗人は、「あっ、名刺入れもってくるの忘れた」と、ズボンのポケットを探すふりをして、ついでに私を見た。
その人懐っこそうな眼は、あなたのこと思い出しましたよと言っていた。
「何言ってるんですか。名刺など持たないくせに。いつもの手ですよ」
遠藤圭子が少し笑った。
土方だと言って、林の中のアトリエ風の家を指さした宗人の薬指の指輪と、Tシャツの汚れを思い出していた。
住居はあそこなのだろうか。
古民家を買ったという。
豊満な身体を持つ陶芸家遠藤圭子と、
痩せた遠藤宗人の人懐っこい笑顔がいつまでも頭にこびりついて離れなかった。
つづく。
お家ご飯。
木の芽(アケビの芽)ご飯。
木の芽一握りをオリーブオイルで炒めて、ブラックペッパーを振る。
暖かいご飯を混ぜ合わせる。
木の芽(アケビの芽)ご飯。
水にさらしてアク抜きをした木の芽を茹でる。茹でてからアク抜きでもいい。ふりかけのゆかりと暖かいご飯に混ぜる。
量はお好み。二つとも美味しいのでお試しあれ。
ウドのキンピラ。
朝の川。