霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

少女の神秘性についての一考察

2005年12月14日 16時39分57秒 | 日記
意見を求められた。
そんな訳で、私も少し書こうと思う。

最初に一つ言っておくが、私はiris氏よりも頭が逝っている自信がある。
だから凄い事を書く可能性があるぞ。


さて、少女の神秘性という事を考えるならば、
私は少女を殺すという行為に関しても充分な理解を示す事が出来る。
理解を示すだけだが。女には興味ないし。

少女の神秘性は得難いものだ。
そんな神秘を持つ少女を手に入れるのは大変難しく、
又、人間はやがて成長するからその神秘性はやがて失われる。
それに、少女の神秘性というものは俗人の手の及ぶ所には無い。
本当の意味で彼女らを手に入れる事は不可能に近い。

もし少女に「おにーちゃんだいすきー」などと言われても駄目だ。
そんなものは手に入れた内に入らない。
少女の感性、いや、存在は俗人とは違う次元にある。
『はじるす』ぐらいまでいけば手に入れたとは言えるだろうが…
そこまでいける人間など滅多に居ない。
殆どの場合『多くの大好きな人』の中の一人に入るのが関の山だ。
むしろそれにも入れないのが大多数な訳だが…

だからこそ、拉致、監禁という形で
神秘性を侵す事によって手に入れようとする。
少なくとも手に入れた気分になろうとする。
これは理解できる事だ。
ただまぁその手段が上手くいかない場合も多い訳だが。

しかし、もし本当の意味で手に入れたとしても、
侵す事で手に入れた気分になろうとも、
いつかは少女は少女でなくなる。
少女は俗に浸され、やがて女になる。
特に後者の方法をとっている場合、バレたらその時点で終了だ。
ではどうすればいい? どうすれば少女は永遠になる?

…まぁ、そういう事だ。

ただ私は、侵す形を取ったはいいが
にっちもさっちもいかなくなって殺害、
というのは大変美しくない形だと思っている。
どんな反社会的な行為でも美学は必要だよ、美学は。