自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

西山温泉から身延山そして・・・

2020年01月21日 | なかま道志

もう1週間以上前の話ですが9時ごろに西山温泉の宿を出て、次の目的地である身延山久遠寺にナビを合わせました。

身延山は私の菩提寺である日蓮宗の総本山です。

今の住職が同山で修行し本住職になる時には檀家を代表して、私も立ち合い修行をこの場所で行いました。

ナビはやはり便利ですね。

久遠寺の駐車場までを選択すると、あとはナビどおりです。

身延山近くになって裏道?みたいな地元の方が通る道で駐車場まで導いてくれました。

なんなく一番近い駐車場に入れました。

その駐車場近くのご門です。

広い境内ですね。その駐車場付近のご門です。

先ずは裏手の山門近くに、ちょっと小さな鐘楼がありました。

そして境内に入ります。

そこには歴史を物語る松がありました。

菩提寺の総本山ですので、深々と頭を下げ参拝させていただきました。

これまでに4~5度は来ています。

御遺文の石碑がありました。

「親は十人の子をば養へども 子は一人の母を養うことなし

異体同心なれば萬事を成し 同体異心なれば諸事叶ふ事なし

矢のはしるは弓の力 雲の行うことは龍の力

 男のしわざは女の力なり

おもしろい石碑内容(御遺文)です、

石碑は、身延山久遠寺内の御真骨堂と仏殿の丁度間に位置しており、身延山で有名な枝垂れ桜の近くにあります。

石碑には日蓮聖人の御遺文が書かれており、この御遺文に刻まれた文字の書が本覚寺開山加藤雲洞上人によるものであるとしておりました。

久遠寺内を歩き回りました。

寒いでしたが、団体参拝する方もおりました。

時期になると枝垂桜で有名な場所です。

大鐘楼があります。

かなり年期の入ったものです。

ここに我が家とご縁のある五重塔があります。

それは慶應二年に(約150年前)に、五重塔完成祝いでご寄進(ご寄附)したと証明する曼荼羅が我が家にあるのです。

多額のご寄進だったようです。

そして、明治8年には大火で五重塔も焼失したと記されていました。

先代は信仰心もあつく、明治5年には家内安全などご祈祷をお願いし、その時も多額をご寄進して曼荼羅をいただきました。

更に消失した五重塔を建立するために明治11年にもご寄進(ご寄附)した証が我が家の仏段に掛けてあります。

久遠寺内を見学させていただき、お題目を唱えさせていただきました。

令和3年2月16日は、日蓮大聖人御降誕800年になります。

檀家の総代表になっていますので、何かを考えなくてはならないのでしょう。

本来は修行のための、この石段を登って来なければならないのですが、私は2回ほど挑戦したことがあります。

女房は見るだけで十分だと言っています。

門前の商店街も寂れています。

昔ほど賑やかではありません。

これも時代の流れなのでしょう。

そして、今度はナビを女房の母の実家付近に合わせました。

身延線甲斐上野駅に先ずは向かいます。

義母の実家は大塚と言うところで、夏休みなどは良く長期で遊びに来たと言っています。

義母の通夜式に来ていただいた中に、この大塚からわざわざ来られたおじさんを見かけたとのことです。

女房はその親戚のおじさんにも可愛がっていただき、そのお礼としてご挨拶したいと思ったのでしょう。

きっと、西山温泉に行こうと言い出したのも、この世話になったおじさんへの挨拶が目的だったのかも知れません。

以前は自転車屋さんで、親戚筋で良く面倒見てくれたと言っていました。

しかし、訪ねても違う方の家になっていました。

電話でその方を探してくれたのです。

秋山太郎さんと言います。

やっとの思いで、今住んでいる家を発見できました。

教えていただいた道を間違えながら、何とかたどり着きました。

おじさんは直ぐに分かったようで、女房に対して「おまんも(お前も)おばさんになったなぁ~」と言われたそうです。

そりゃそうですね。

60年も前の話ですから・・・。

甲府盆地の全景が見えます。

時期には市川大門も花火も見えるとのことです。

そのおじさんの家は、義母の実家の上にありました。

今はお一人で暮らしている80歳半ばの方です。

下に降りて、墓参りと実家を見て来ました。

もう孫の代になっています。

失礼ですが荒れ放題です。

たまには管理しに来ているのでしょう、農機具などは置いてあります。

40年くらい前に、女房の爺ちゃんと婆ちゃん、そしてひ孫になる長男坊が写っている写真を探し出しました。

こんな雰囲気の場所でしたが・・・。

女房は母方のお墓で手を合わせています。

これで女房の気持ちも済んだのでしょう。

私も初孫の女房の連れ合いとして、喜んで迎えてくれた日々を思い出しています。

昼も大分遅くなりました。

途中、談合坂でちょっと寄りました。

お互いに「鶏だし 中華そば醤油」を注文いたしました。

府中競馬場あたりで、運転していて睡魔がきました。

家も近くなり安心したのでしょう。

無事、帰り着きました。

義母の四十九日の法要から西山温泉に宿泊して、義母の実家を訪れ世話になった方にあいさつして・・・。

内容のある有意義な2日間でした。

*スミマセン長文になってしまいました。

 

Hiro


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