俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

信号機

2016-07-15 09:52:52 | Weblog
 通行人も通行車両も多いのに信号機が1つも無い道路があった。「なぜこの道路には信号機が無いのか?」と尋ねたところ、地元の警官が答えた。「先日まではあった。しかし誰も信号を守らないから却って事故が増えて危険だと分かって撤去した。共産党は社会問題を科学的に分析して合理的に解決している。今、中国全土で『危険な信号機』を撤去しつつある。これは科学の勝利だ。」
 これは中国での実話に基づくジョークだ。良いルールは庶民を守る筈だがそのルールを誰も守っていなければルールに従えば却って危険になる。一昔前の交通標語「さあ青だ いやもう一度 右左」は中国などの非文明国では今尚有効だ。
 最近では余り使われていないが日本にも「正直者が馬鹿を見る」という格言がある。戦後しばらくの混乱期の犯罪数は現代とは比較できないほど多かった。「人を見たら泥棒と思え」は切実な教訓だった。ほんの70年前の現実なのに平和ボケした一部の日本人はこれがリオデジャネイロでは必要な教訓であることを忘れて被害に遭う。これは自己責任だ。太宰治の「走れメロス」のような今読めばくだらない友情賛美・ヒューマニズム賛美の小説が愛読されたのは当時の人々の心がそれほど荒んでいたからだろう。現実的ではないからこそ美しかった。
 「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において」(日本国憲法序文)であれば「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段として、永久にこれを放棄」(憲法9条)することもできよう。しかし近隣にそうでない国が複数あれば「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(憲法9条2項)という宣言は危険極まりない自殺行為だ。そんなことを本気で主張するのは、騎士道物語の理想に燃える狂人ドン・キホーテのような人だろう。自分がルールを守っていれば周囲も守ると信じることは妄想であり、それと比べれば冒頭のジョークにおける警察の対応のほうがずっと正常だ。かつての第二党からジリ貧の社民党は自らの狂気を総括して未来永劫跡形も残さずに消滅すべきだろう。
 日本と国境を接している国は4国しか無い。ロシアと韓国と中国と中華民国だ。北朝鮮とは国境を接していないが間違いなく隣国だ。これらの国々を「平和を維持」しようとしている善良な国々と見なせるだろうか。こんな状況で武装放棄をすることは、リオデジャネイロのスラム街で米ドルの札束を見せびらかしながら歩くようなものだ。
 馬鹿げた妄想は一人で見るものだ。寝言は布団の中以外では言うべきではない。私は癌で死ぬことであれば容認するが、狂人に付き合って一緒に死のうとは思わない。狂気の沙汰はできるだけ他人には迷惑を掛けない形で一人で完結させて貰いたいと思う。

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