俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

進化論

2016-07-14 10:12:02 | Weblog
 進化論が西洋人に与えたショックは地動説に匹敵すると言われている。これらが聖書の教えを否定する科学だからだ。
 しかし進化論の革新性はその程度では収まらない。科学の大半がHOW(いかに)しか問わないのに対して進化論はWHY(なぜ)を問うという稀な性質を備えている。これまでの人々は進化論のこの特性を充分に理解していなかった。進化論的手法は科学の枠内には収まらずに、学際的いや超学際的に活躍する。それは、時間軸に注目するからだ。現在を幾ら調べてもHOWしか分からないが時系列的に捕えればWHYに迫れる。人類の困った特性である「なぜ」を問うことに対して答えを提供してくれるのが進化論だ。
 進化論の根幹はかなり単純な事実に集約される。自然淘汰と性的淘汰(言い換えれば「種族外競争」と「種族内競争」)だ。前者が生存競争(狭い意味での「適者生存」)へと導き後者がメスによる選別を招く。このことについての説明は省略するがこの帰結は「子孫を残した生物種のみが生き延びる」という極めて単純でしかも重大な事実だ。こんな簡単な設計図で豊饒な生物世界が作られている。
 私は動物における進化をコンラート・ローレンツから学び、それを大胆に人間社会にも適用する手法を竹内久美子氏と長谷川眞理子氏から教わった。哲学や社会学、あるいは経済学などまでが進化論に基づいて新たな視点で解明できることに驚かずにはいられなかった。進化論はこれまでHOWの解明に終始していた学問全体に対して根本的な見直しを要求している。
 進化論に基づく回答を例示しよう。「なぜ人間は利他的であり得るのか・・・群居動物だったから」「なぜ伝染病を克服できないのか・・・細菌やウィルスとの生存競争が今尚続いているから」「なぜオスとメスの違いがあるのか・・・進化するために有利だから」「なぜ哺乳類と鳥類のような懸け離れた種においてツガイによる子育てという類似した戦略が採られるのか・・・少子化という同じ戦略を選んだから」「なぜ人類だけが虫歯を患うのか・・・農業を始めて穀物を常食するようになったから」こんな例を挙げれば切りが無いが、私の記事にユニークさがあるとするならその大半は進化論による洗礼に基づくものだ。
 この際、進化論に対する誤解を解いておきたい。
 一番大きな誤解は、弱肉強食を奨励するという酷いレッテルだ。進化論は弱肉強食とは全く逆の考え方だ。進化論の根本は「適者生存」でありこの適者は強者を意味しない。現存する生物は総てそれぞれの環境における最適者であり、進化論は生物に優越差を認めない。異常な環境に適応している生物は普通の環境では不適者になり得るがそれは優劣ではない。
 もう1つの誤りは、個体は進化しないということだ。微妙な個体差が世代ごとに積み上げられることによって初めて別種へとし進化する。進化は個体の死を前提として次世代以降で実現される。だから自動車もイチロー選手も決して進化せず「進歩する」と表現すべきだ。進化は個体の死と次世代への継承によって初めて実現するから寿命の短い単細胞生物のほうが人類よりも早く進化する。寿命の短い細菌やウィルスの進化は人類の文明の進歩よりも早いからこそ感染症の克服は容易ではない。

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