俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

答を考える

2007-11-14 20:01:14 | Weblog
 近頃は「答を探す」人が多いらしい。何か問題があれば、考えずにネットや文献で答を探すらしいし、何かをしようとする時もネットやマニュアル本に頼るらしい。この性質は共通一次試験(現在の「センター試験」)が始まってから顕著になったらしいが、その辺のことは大学関係者ではないのでよく分からない。確かに大量の答案を採点する場合は答が1つのほうが楽だ。正解が幾つもあったら採点するのに時間が掛かるし採点ミスも発生し易い。
 センター試験のほうが特殊な事例で、本来答は自分で考えて作るべきものだろう。正解は常に幾つもある。どこで食べるか、テレビは何を見るか、何時に寝るかぐらいは自分で決めているようだが、投票する政党までマスコミに指示されているようにさえ思える。NHKの「ご近所の底力」では近隣の問題を解決するために様々な珍案・奇案を出しているが、せめてご近所以前の自分の行動ぐらいは自分で考えるべきだろう。確かに、自分で考えたほうが却って間違ったことをしたり、恥をかいたりするだろう。しかしいつまでも転ぶことを恐れていたら一生立って歩くことはできなくなる。
 ビジネスでも「経費削減のためにボーナスを削る」という考えと「ボーナスを増やすことで社員の意欲を高める」という両方の選択肢がある筈だが、どこの会社も一斉にボーナス削減に走り、一斉にボーナス増額に走って完全に横並びになってしまっているようだ。

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