俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

道具

2016-09-23 10:12:23 | Weblog
 かつて「♪お前もいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた♪(森進一{おふくろさん」)」という歌詞の歌がヒットしたように、「社会に貢献せよ」とか「人様の役に立て」とか割と平気で言われているがこれは有害な理念だろう。こんなことを教え込まれた人は「役に立たねばならない」と考えて自分を役に立つ人間に仕立て上げようとする。もし役に立つ人間になれなければ「駄目な人間」と考えるだろうし、役に立たない人を見れば「人間のクズ」と考える。
 知的障害者大量殺傷事件の植松容疑者はこんな有害な理念を教え込まれてそれを疑わずに実践しようとしたのだろう。しかし如何せん能力が足りなくて一般社会では「役立たず」だった。だから彼でも役に立てる福祉施設に就職した。しばらくの間、彼は役に立っている自分に満足していたことだろう。しかしその内、彼は気付いた。彼が世話を焼いている相手は「役立たず」ばかりだ。こんな役立たずを大勢生かしておくことは「社会にとって有害」だと思うようになった。そして彼らを殺すことこそ「社会にとって役に立つ」行動と確信した。だから彼は理想の実現のために大量殺人を犯した。これは決して狂気による犯行ではない。誤った理想に基づく狂信的な犯行だ。だから彼は犯行後に薄笑いを浮かべていた。その心境は宗教的理想に燃えて異教徒の殲滅を図るテロリストに似ている。
 数年前に奇妙な事件があった。母親が娘の点滴に異物を混入させて病状を悪化させるという事件だ。当時その母親は「代理ミュンハウゼン症候群」という奇病の患者と診断された。つまり献身的な母親を演じることが生甲斐となってその遂行のためであれば肉親に危害を加えることも厭わない特殊な病気とされた。
 これは病気ではあるまい。ただの異常心理だ。家庭内では役立たずであると自覚していた彼女はこんなやり方によって自分の居場所を創造しようとしたのだろう。「役に立たねばならない」という強迫観念が人を狂わせた。自立できない障害者や病人の世話をすることによって辛うじて自分を「役に立つ人」と位置付けようとするからこんな奇妙な事件が起こる。巷では当たり前のように言い触らされている「社会の役に立て」という言葉が歪みを増幅させる。
 この理念のどこが間違っているのだろうか?人を道具扱いしていることだ。自分を社会の役立つ道具に貶めようとするから他人を、まるで自分が役立つための道具であるかのように扱おうとする。道具と道具の関係だからこそ双方の道具がその道具性を最も発揮できる状況が求められる。しかし人は道具ではない。人は意味も目的も無く放り出された存在だ。無理に意味付けをしようとすれば自分も他人も道具に格下げされてしまう。
 虚構は虚構を要請する。元々意味の無い社会を意味のあるものと思い込もうとするから無理が生じる。意味の無いものに意味を付与しようなどと大それたことを企むから嘘まもれにならざるを得なくなる。嘘の上塗りは矛盾を増幅するだけでありいずれ破綻を招く。

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