俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

向精神病薬

2014-11-27 10:21:41 | Weblog
 二日酔いの不快感を解消する最も簡単で有効な方法は迎え酒だ。しかしこれは治療ではない。二日酔いの状態をほろ酔いの状態に変えて不快感を消しているだけだ。肝臓の負担は大きいしアルコール中毒を招く恐れもある。現代の精神医学は不快な症状を緩和するだけであり病気を悪化させることが多いのだから迎え酒と同じようなことをやっているのではないだろうか。
 痛み止めを使えば怪我の痛みが消える。しかしこれは治療ではない。切り傷であれば傷口から血が流れ続けるし骨折なら骨が折れ曲がったままだ。やるべきことは傷の縫合であり骨の整形だ。結果に過ぎない痛みではなく原因である怪我を治すことが治療だ。
 不快感の解消は治療ではない。それにも拘わらずその場凌ぎの対症療法で満足する医師や患者が多過ぎる。下痢を止めれば有害物が排泄されないので却って重症化する恐れがある。
 感染症であれば予防することも治療することもできる。欠乏症もその栄養素を補給することによって治療できる。これらは原因が分かっているから治療できる。原因が分からないことに対する対症療法は治療ではない。それは切り傷に対する痛み止めのような偽医療だ。
 原因が分かっていれば医療は有効だ。しかし逆に、原因がわからないことに対する対症療法は殆んどが無効でありしばしば有害でさえある。
 脳出血等であれば手術で対応できる。それは原因が分かっているからだ。精神病の殆んどは原因が分からない。分からないままにとりあえず薬によって異常反応を起こしてあわよくば異常×異常=正常となることを期待している。こんなものは治療ではない。動物実験のようなものだ。
 パワハラやセクハラが横行しサービス残業が当たり前のブラック企業の社員であれば出勤するだけで嫌な気分になるだろう。こんな正常な感覚を薬によって捻じ曲げてエヘラエヘラ笑っていられるようにするのが治療であるならそれは抗精神病薬ではなく人を狂わせる「向精神病薬」だ。
 日本では軽い抑鬱状態に対して抗鬱剤が処方され勝ちだが、こんな危険な治療を行うのは日本だけだろう。欧米では軽度の鬱病でさえ極力抗鬱剤を使わずに治療しようとするそうだ。抗鬱剤の危険性を理解しているからだろう。脳に異常反応を起こさせる抗精神病薬を安易に使い続けることによって精神病患者が人為的に作られている。

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