俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

無法者

2016-08-15 09:49:53 | Weblog
 「銃が違法とされれば犯罪者だけが銃を持つ」
 日本のマスコミが殆んど報じないことだが銃規制に反対するアメリカ人が最も好んで使うのがこの理屈らしい。この言葉は理性にも感情にも訴えるがより強く訴えるのは感情に対してだ。
 理性に対しては「善良な市民が法を守ることによって犯罪者が特権的な強者になり得る」と警告する。感情に対しては、丸腰の市民の周りに銃で武装した悪人がウヨウヨいるようなイメージが与えられる。これは悪夢のような光景だろう。もし刃物を持った人々が群がっていれば、たとえ平和ボケした日本人でもそこに近付く時には何らかの武器を要求するだろう。
 たとえ市民を守るためのルールであっても自分達が守るだけでは少しも安全のために役立たない。「守らせる」という強制力が必要だ。例えば自分達だけが信号機に従っていてもそれを無視する自動車がたった数台あるだけで交通事故は頻発する。犯罪的傾向のある危険な人々にこそ守らせねばならない。
 先日ジョークとしか思えない実話を紹介した。中国では余りにも信号無視をする車が多いから事故が頻発するという理由である地区で信号機を廃止したところ交通事故が減ったそうだ。これは「事実を優先する現実主義的な対応」などではなく「良識の敗北」であり「無法の勝利」だ。法治社会では、法を守る者を守らねばならない。つまり法を破ろうとする者に対する罰則が伴わなければ秩序が保たれない。罰を欠いたルールは無法者によって形骸化されて却って社会を危険化させる。
 アメリカ人にとっての自然状態とはホッブズが想定した「万人の万人に対する戦闘」ではなく家畜を襲う野生動物というイメージであるようだ。あるいは市民の生活を脅かす無法者と考えても良かろう。西部劇のように、善良な市民生活を破壊しようとする無法者(アウトロー)は住民の総力によって排除されるべきものなのだろう。統治者が頼りにならないからこそ自分の身は自分で守らねばならない。
 自分達が従うだけでルールが機能すると考えるお目出度い人々は世間知らずの阿呆かさもなくば悪人の手先だろう。自分達で守るだけではなく悪人にこそルールを守らせねばならない。銃を規制することが困難であることを知っているからこそ銃規制に反対するアメリカ人はルールのそんな弱点を熟知しているから理想論に反対する。マスコミがこの辺の事情に触れたがらないのは特定の意図を持っているからだろう。
 平和を祈っていても平和は維持できない。平和を守るためには無法者に対する断固たる制裁が欠かせない。他国の排他的経済水域にミサイルをぶち込む国や国策として領海侵犯を繰り返す国や他国の領土を不法占拠する国を黙認したままで平和を語ることなど寝言にも等しい。国際法違反に対する断固たる対応が無ければ平和は維持できない。自分達だけがルールを守っても無法者の横行を許すだけであるならそんなルールなど無いほうが良かろう。